第17話 【 出発 】


 いつもより暑い、残暑厳しい9月が去り、10月も半ばを過ぎて、いよいよメキシコ出発の日が近づいた。私は、以前、出張用で使っていた旅行用の重いスーツケースを諦め、今時、流行りの軽くて小さいスーツケースを購入した。これなら杖の代わりにもなると考えたのだ。もちろん、杖はいざという時のために小さく縮める事が出来るものを新しく購入した。あまり浮かれて色々揃え過ぎると、嫁さんがやきもちを妬くので、いたってシンプルに、これ以上は揃えなかった。衣服もこれまでの物を旅行用に集めた。ここで嫁さんの機嫌を損ねてしまったら土壇場でひっくり返される。最近ではなくなったが、これまで何度もそんな事があった。出発は、成田を発つ前日に佐賀空港を15時の便で行くことにした。空港まで自分の車でひとり向かった。私は身体障害者用駐車場にとめることが出来るが、佐賀空港は、一般の駐車場も無料で使用する事が出来る。公共交通機関の発達していない田舎の人間にとっては助かる駐車場である。

夕方、成田に着いて、空港近くのホテルに泊まった。もちろん、シングルで、コンセプトカフェなどは無いし、行かない。何しろ明日からはつかさと一緒なのだ。他の若い子はいくら可愛くても誰もいらない。翌日は、12時50分発の便だ。

朝は遅い時間に朝食をゆっくりと取った。つかさとは余裕を持ってツアーの集合時間の30分前にツアーカウンターの前ということで約束していた。つかさからは、お母さんと一緒に向かってるとLINEが入った。私は、ホテルからタクシーで向かうことにした。私にしてはずいぶん早目に行動したつもりだったが、いつものことだ、結局、ギリギリになった。つかさの方が先に着いているかもしれない。お母さんが付き添って来てくれていて助かったと思ったその時、お母さん? お母さんって何歳だと突然気になった。長女のつかさを25歳で産んだとすれば、つかさが19歳だから44歳だ。つかさに似てるとすれば美人に違いないし、私にとって眩しいほど若いはずだ。少しドキドキしてきた。

「おはよう」

「おはようございます」

  濃い緑色の横縞が入った長袖のTシャツにジャケットを羽織って、ジーンズにスニーカーを履いたつかさが現れた。

「お世話になります。つばさの母です。この度はすみません。つばさを連れて行ってくださるということで」

「いやいや、こちらこそすみません。大事な娘さんを連れ出しちゃって。佐藤と申します。つばささんにはぼくの小説にも出てもらってるので、取材旅行に同行してもらってこの作品を完成させようと思っています。ほんと申し訳ないです。本人がいた方が断然良い作品が書けると思うので、つばささんも行きたいということで、それなら是非とお願いした次第です。途中まではつばささんも読んでくれているのですが、これから先のストーリーはつばささん本人が作っていくことになると思います。私もなるべく、事実通り書きたいと思っています。出来上がったらお母さんも是非読んでください」

私は、あくまで、私主導で、私のためだということを伝えた。

「えっ、そうなんですか。つばさ、そんな事言ってませんでしたよ。自分の魅力で気のいいおじさんにねだって、ずっと行きたかったメキシコへ連れて行ってもらえることになったって」

「そんなこと言ってない。優しいおじさんが連れて行ってくれるって言っただけじゃない」

弟と二人で、ぼくらの話を聞いていたつかさが口を出した。高校生ぐらいと思える弟も一緒に来ていたのである。やはり、つかさが見ず知らずのおじさんと海外へ行くとなると親だけじゃなく、弟も心配して私を確認しに来ざるを得なかったのだろう。それは確かに無理のないことだ。むしろ、そうして私を確認してもらってありがたかった。隠れて行くよりずっといい。

「あはは、私から頼みました。手を出さないからという約束で。でも、お母さん若いですね。つばさんに似て美人だし」

「あっは、つばさが私に似たんですよ」

「あっ、そうですね。お母さんの電話番号訊いていいですか? 母さんにも手は出しませんから」

「えっ、私、魅力ないですか?」

「いえいえ、とても魅力的です。ダブル不倫はダメだし、つばささんのお母さんだし。なんかあった時のために一応教えて下さい。LINEでも状況、伝えられると思うし」

「はい、分かりました。よろしくお願いします」

私たちはお互いの電話番号を確認し、登録を済ませ、LINEのプロフィールも確認した。そして、つかさと私はツアーカウンターに受付をし、二人で説明を聞き、荷物検査を通して、チェックインを済ませた。つかさのスーツケースも私の物より少し大きいぐらいで、中くらいのものだった。真新しいピンクがつかさにとても似合っていた。航空会社はエアロメヒコ航空だ。つかさもパスポートは忘れずに持ってきた。良かった。つかさはこの前のリュック。私は肩から掛けれるようにショルダーバッグを持ってきた。薄めの単行本を一冊だけ持ってきた。せっかく、つかさと二人なのに、本を読んでいては勿体ない。それに今回は、取材旅行。つかさをメキシコへ連れていくことも目的だが、つかさのお母さんに説明したように自分の小説も書かなければならないのだ。スマホがあるだけで時間は充分過ぎる。



「じゃ、免税店も中にあるし、そろそろ行こうか」

「うん、お母さん、じゃ行ってくるね」つかさは、そう言って、弟にも小さく手を振っていた。

「お母さん、行ってきます。今日はありがとうございました。向こうに着いたら連絡します」


私たちは、さほど並んでいない保安検査場に入った。バッグとスマホ、サイフをカゴにそれぞれ入れて上着をその上に載せて検査員に渡した。つかさがなんなく先に通過し、私は後に続いた。杖は、検査員に渡さなければいけないが、代わりの木製の杖がいるか? と尋ねられて、いつも「いりません」と答える。しかし、ゲートを通るとほぼ必ずと言っていいほど、「ピンポーン」とアラームが鳴って、こちらへと検査員に誘導され横の方に座らせられる。今日もそうだった。すでに通過したつかさはやや不安そうにそれを見ていた。検査員は私に手をあげさせ、脇下からズボンの方へと触ってくる。両手をあげるように言われるが左手は上がらない。靴の底も触って来た。国際線はやはり厳しいようだ。

「ごめん、ごめん。言うのを忘れてた。だいたい必ず止められる。頭蓋骨に金具貼ってあるし、左の大腿骨も人工骨頭と言って金属だから。サイボーグだで」

「そうなの、びっくりした。たいへんね。麻薬でも持ってるのかと思った」

「あはは、だから金回りいいのかって。ないない。お金も麻薬もない。煙草も一度も吸ったことないのに、麻薬なんて、そんな危ないものに手をつける勇気も興味もない。興味あるのは若い女の子だけだ」

「えーっ、そうなの。危険じゃない人なのに?」

「あっ、いや、今興味あるのはつかさだけ」

「ありがと。でも、香港へ行ってるって言ってた中洲のお姉さん、どうなったの? とっても綺麗な人だった」

「おお、さすが、ギフテッド、完全記憶能力者やね。覚えてるね。あれ、つかさ妬いてる? わあ、嬉しい。相変わらず美人だよ。今は香港で働いてるみたい。香港がデモで荒れてた時期に向うへ行って、新型コロナで帰れなくなって、期限延長したって。スパイでもやってるのかなぁとも思う」

「スパイ。わあ、カッコいい」

「まあ、冗談だけど、ロシア人の美人のお姉さんとも友達だったみたいだし、完全にゼロではない」

「ロシア人のお姉さんと会ったことあるの?」

「いや、ない。LINEのタイムラインかなんかで見ただけ。でも美人やった。目が青くて」

そうこう言ってたら出国審査場に着いた。私は予め旅行社が代筆してくれた出国カードのつかさの分を渡して初めての海外旅行になるつかさを先に行かせて、そのあとに並んだ。つかさは私の方をチラチラと見ながら不安そうに進んだ。可愛い。ほんとにこの子と行くことになったのか。


出国審査を出るとそこには、免税店が並んでいた。歌舞伎グッズの店があったり、マツモトキヨシ、アニメグッズや家電製品は、アキハバラとアルファベットで書いてある店で売られていた。新型コロナの影響で海外からの旅行者はかなり減ったのだろうが、また需要が出てきているのだろう。秋葉原で出逢った二人がこの店の中を見ながら海外へ出かけようとしている。不思議な感じがした。こんなことになるとはあのシャンパンの蓋が開かないと二人で悪戦苦闘した時に予想出来ただろうか。私はあの時の自分とつかさにこの状況にたどり着いたと感謝のメッセージを送った。もしかしたら届いてここに繋がるかもしれないと思ったのである。 ありがとう、ありがとうございますと感謝の気持ちを口に出すだけで幸せになれるというが、私は口に出さなくても常に感謝の気持ちを念ずることで、過去の自分にもメッセージが飛び、より幸せな方向や安全な方向へ自らを導くことが出来ると信じている。

「あっち、ちょっと見てきていい?」

つかさはブランド品の店の方を指差した。

「ああ、いいよ。興味あるよね。買ってあげないけど」

「見てくるだけ」

「うん、行って見ておいで。先に行ってるから後から追いついて。ゲート分かるよね。チケットに書いてあるから間違えないで。早目に来てね」

「はい」 

やはり、ブランド物にも興味ある年頃になっているのだろうと思ったし、私の人一倍遅い歩きのスピードに合わせるのは疲れるだろうとあえてそう勧めた。つかさは嬉しそうに走って行った。なんとも可愛い後姿だった。


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