第15話 【 メキシコの計画 】
テレビの前のテーブルの上にコーヒーを一つ置いて、もう一つは手に持ったまま、窓際の椅子に座り、つかさはコーヒーを飲み始めた。私は、テレビのスイッチをつけ、テーブルに差し入れてあった椅子を引き出し、コーヒーを取って、つかさの方を向いて座った。テレビをつけることに意味はないのだが、私たちの世代は、部屋に入るとテレビをつけて流してしまうという癖がある。あまりテレビを見なくなったつかさたちの世代からしたら不思議な行動に映ったかもしれない。事実、テレビの画面にはあまり興味なさそうで、振り向いて背中の緑色のカーテンを開けて外を眺めた。外の陽射しは既にかなり高く、眩しかった。外はもう暑いかもしれない。私はその光の中にまみれているつかさを見ながらコーヒーを飲んで、何からきり出せばいいのか考えた。
「あのさ、つかさ、メキシコ行くよね? 俺さ、会えるか分からなかったけど、もしかしたらと、会えた時のために色々考えてたんだ。どうやったらつかさとメキシコ行けるかってね」 私はここからきり出した。
「行きたい。旅費払ってくれるんですか? 」
「うん、それは大丈夫。払う。退職金も出てるけど、5年前から始めてたアメリカの社債もあまり増えそうにないし、それも解約して使える」
「社債? アメリカ?」
「うん、5年前に身体障害者年金がまとめて入った時、100万円分買ってたんだ。どうせ、お金使ってしまう前に幾らかでも残せるかなと證券会社のお姉さんに言われるままに買っておいた。年利1・7パーセントぐらいだったんだけど、為替が当時の見込みと逆になったからマイナスになってる。このまま置いといてもたいして増えないから解約しても構わない。その代わり「ロボテクスファンドっていうロボット関連の会社の株を使ったファンドは1・7倍ぐらいになってるから50万しか買わなかったけど35万くらい利益出てる。これはまだまだ上がりそうだからまだ解約できない。なんかずるいよね。俺は、この時たまたまお金が入ったからこれを買えて、寝かせておいただけで35万円増えてる。元々お金持ちの人たちはこんな端じゃなくて大きなお金を動かすことで、何もしなくても1年や2年は働かなくても生活できるくらいのお金を得ちゃうんだから。まあ、ということで、お金のことは心配しなくていいです。但し、今計画しているのは、6日間だしエコノミーです。大丈夫? 俺が金持ちだったらビジネスクラスにするんだけどね。ごめんなさい」
「全然、大丈夫です。私痩せてるし」
「だよね。エコノミーの方が若者らしいよね。俺は年寄りだけど。そっか、ビジネスクラスでも検討するかな。うーん、やっぱ無理かな。ビジネスクラスはすごいけどね。出張で台湾へ行く時、一回だけ、たまたま、ビジネスクラスにまわされたことがあったけど、全然違った。料理のメニュー持ってきて説明してくれるし、ワインも持ってきてくれる。専務や常務はいつもこんなに贅沢してるんだと思った。俺だけいつもエコノミーだったからね。今回もまたエコノミーで行かせてもらいます。つかさと一緒ならなんでもいいです。席が狭い分、間が近くてなおさらいいです。つかさは嫌かもしれんけど」
「あはは、全然そんなことないですよ。たぶんほとんど寝て行くし」
「ああ、そうやね。でも、遠いからフライト時間長いよ。機内食も何回か出ると思う。『ビーフオアチキン?』って訊かれるで。つかさ、まだ国際線乗ったことないんじゃない?」
「ああ、それ、憧れる。うん、乗ったことない。海外行ったことないし」
「そっか、まったく海外行ってない? じゃ、パスポートもない? 俺も今は切れてるから新たに作るけど、つかさも急いで作らなきゃね。ビザとかの関係があるから早めに必要になるかもしれない。旅行社に出さないといけないこともあるかもしれない。死者の日に行きたいんでしよう? 」
「うん」 つかさは小さくうなずいた。
「じゃ、もう出発が10月31日と決まってるんだ。俺がいつまでに必要かとか詳しいことを旅行社に訊いて直ぐ連絡するよ。大丈夫? 出来そう? それに本当にぼくと二人でメキシコまで行っていいの? お父さん、お母さんは許してくれそう? つかさ自身も不安じゃない? ぼくと二人じゃ嫌じゃない?」
つかさは微笑みながら
「大丈夫です。お母さんは何も言わないし、お父さんは新型コロナ騒動で、浮気がばれてからあんまり家に帰って来なくなってるんで。パスポートも友だちとかに訊けば大丈夫だと思います。連れて行ってもらえるだけで有難いです。ひとりじゃ絶対行けないし、友だちと一緒に行くような簡単なところでもないし、嬉しいです。絶対行きたい」
「そうなんだ。なんで、そんなに行きたいんだろうね」
「私にもよく分からないけど、なんか絶対行きたいと思うんだよね」
「じゃ、まずパスポートやね。お母さんの許可も必ず取って。でないと俺、逮捕されてしまうかもしれない。あっ、それから住所やお母さんの連絡先や名前、家の電話番号。生年月日、 そう、つかさの本名も聞いてない。LINEで、今入れておいてくれる?」
私は、今、LINEに入れてもらっておかないと、このままこの話もつかさも消えてなくなってしまうのではないかと思い、そうお願いをして、自分の住所や電話番号、本名も自分のスマホのつかさのLINEに入れ始めた。しばらくして、東京都町田市……望月つばさ 「望月つばさって言うんだ。カッコいいなあ。アイドルみたいな名前じゃん。つばさだったからつかさって名付けられたの? 伊東つかさ似だからじゃなくて」
「いいえ、伊東つかさが先だと思います。だから普段はつかさでいいですよ。色々呼ばれたら混乱するし、お店のお客さんは、つかさでいいです」
「つかさね。了解だけど、お店のお客さんか。もう少し近づけないかなぁ? 前世からの繋がりがあると思うんだよね、ぼくとつかさ。つかさもそう感じてない?」
つかさは少し困ったような顔をして
「ええ、そうですね。それ、分かんないけど、もう一緒に泊まったしね。有るかもね」
私は一瞬ドキッとして
「ああ、泊まったよね。なんもなかったけど。なんもしないってことはやっぱり前世ではお姉さんか妹?」
「お婆ちゃんってこともあるかも?」
つかさが私の暴走にややブレーキをかけた。
「ええ、それ要らない。いや、分かんないね。あり得るね。つかさ、ババ臭いとこある?」
「えーっ、ない。でも漬物とかは食べる」
「あはは、つかさがお婆ちゃんって、想像出来ないなあ。でも、お父さん浮気してたの?」
「うーん、お父さん、本社が関西にある会社の営業の仕事していて、接待とか多くて、行きつけのナイトクラブの女の人と…… よく分かんない。新型コロナのクラスター感染があったみたいで、色々調べられてばれたみたい。お父さんが感染したわけじゃないんだけど、それから家の中がギクシャクしてお父さんあまり家に帰ってこなくなった。私もそれからあんまりお母さんとうまくいかなくて、帰ったり帰らなかったりしてる。ウサギがいるからなるべく帰るけどね」
つかさは、少し寂しそうにそう言った。
「そうなんだ。とんだ新型コロナやったね。感染して死んだりしなかっただけでも良かったと思うしかないね」
「うん」
つかさは真面目な顔でうなずいた。
「あのさ、メキシコツアーの行き先とかスケジュールなんだけど、死者の日に合わせたツアーでいいよね。オアハカ死者の日ツアー、夜の墓巡りとか朝の散歩とかある。リメンバーの中で、生者の国、ミゲルが住んでいた町サンタセシリアのモデルになった街らしい。そこに泊まるプラン。あとさ、死者の国のモデルになったグアナファトという、凄く綺麗な街があるんだけど、そこも行きたいやろ?」
「へえー、こうじさん、詳しいんですね」
「うん、ネットで調べてた。最初、メキシコって大丈夫かとも思ってたけど、観光地にもなってるみたいね。ほら、グアナファト。綺麗やろ」 私は、スマホのネット画像を見せながら話した。
「うあ、凄い、映画みたい。ほんと死者の国とおんなじ」つかさは、私のスマホ取って、その画像に見入った。
「映画の死者の国、やたら綺麗やったもんね。俺も気になっていたからここのツアーも組み入れたいね。つかさも行きたいなら、組み入れたプランで相談してみるよ。日数は一日二日延びるかもしれないけど大丈夫? 予算もだいぶ上がるだろうから、それも考えながら旅行社に相談するよ。出発日が早目になる感じかなぁ」
「行きたい、行きたい」
つかさは私のスマホを持ったまま、両肘を曲げて上下させながら微笑んだ。
「了解、どうせ行くなら色々行けた方がいいね。メキシコってカラフルな国なんやね。俺もグアナファトの画像見たときは、行ってみたいと思った。買い物の市もカラフルで面白そうだし。俺らの頃のメキシコのイメージと言ったら乾燥した砂漠にサボテン、大きな麦わら帽子にギター、逃亡犯が逃げ込むところ、だったけどね。ターミネータのシーンでも出てきた。あれはメキシコかな? 少年が言うんだ『嵐が来るよ』ってね。そして、植物が風で転がっていく。見たことある?」
「見たことない。そうなんですね。でも、ギターなんだ」
「そっか、ミゲルは、ギターをやってたね。そっか、メキシコでギターはメジャーなんだ。そっか、全然思ってなかった」
私とつかさは映画の主人公が弾いていたギターについてお互い納得した。
「じゃ、グアナファトとオアハカ死者の日ツアーで捜すね。スケジュールとか詳しく決まったらすぐ連絡する。つかさはなるべく早くパスポート作って。それから、ご両親、少なくともお母さんの許可はとってね。俺、嫁さんの許可取らなくちゃ。これが一番たいへんかもしれないけど。小説の取材旅行に行くという事でなんとか頼んでみる。マジで小説のためだし、つかさと一緒じゃなきゃ、小説のタイトル『つかさ』にならないし、面白くない」
「あはは、そうだね。ヒロイン、私でいいの?」
「もちろん、つかさはヒロインで輝いていてくれたらいい。最後までいてくれたら嬉しい」
「凄い。ちょっと恥ずかしいね」
「いや、つかさは充分可愛いし、ヒロイン的要素を持ってる。完全記憶能力者、ギフテッドなんでしょう? 俺のこれまでの小説のヒロインの中で一番可愛いし、興味深い。メキシコ旅行でどんなことするのか今からめちゃ楽しみ。この小説がうけるかどうかはつかさにかかってるね。なんかやってよ、 面白いこと。危険な事はダメだけどね。いざという時、助けられないから。俺、走れないし。それからショートパンツやスカートはダメなんだって。売春婦と間違えられるって」
「へぇ、そうなんだ。詳しい」
「たぶんそんな風に書いてあった。その長スボンでいいんじゃない?」
「長スボン、あはは」
つかさは呆れたように笑った。そして続けて
「面白いこと出来ないよ。普通だし」
「カッコいい若い男、見つけていなくなったりしないの?」
「あはは、こうじさんがいるのにそんなことしないよ。たぶん」
「たぶんかぁ」
私は少し安心した。
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