つかさ
岩田へいきち
第1話【出逢い】
「つかさ? おれおれ、覚えてる?」
「あーん、覚えてる。九州?」
「凄い、覚えてるんだ。もう一年以上になるよ。5月まではバイトするって言ってたけど、まだ辞めてなかったんだね。来て良かった。あの後、すぐに新型コロナが流行って、ツイッターにも出てなかったから、もうとっくに辞めてしまっているんじゃないかと思ってた。ほとんど諦めて、ダメ元で来てみたんだよ。ウサギは元気?」
一年前と変わらない面長で小顔のつかさは以前も感じたように可愛くて、綺麗な歯を見せて微笑みながら「えー、ウサギ覚えてるんですか。げんき、元気ですよ。嬉しい」と答えた。
私がこのつかさに出逢ったのは去年の1月のことである。九州からひとりで出張に来ていた私は、仕事先に電車一本で行ける利便性から、あまり気乗りはしなかったがここ秋葉原の駅近くにホテルを取った。いつもより余裕をとって、まだ、かろうじて明るいうちに着いたのは、もしかしたらメイドカフェでもちょっとくらいなら覗けるのではないかと思ったからである。しかし、いざ秋葉原に着いてみても、どんな顔をしてメイドカフェに行っていいものか想像がつかない。どこにあるのか、どこの店が良いのかも事前に調べる余裕はなかった。私は、どうせ暗くもなってきたし、チェックインを済ませたら夕ご飯だけ食べに出て、あとはホテルでゆっくりしようと決め込んだ。今、書きかけの小説も書き進めるチャンスだとも思ったのである。
ホテルは、1階がエレベーターの入り口になっていて、フロントは3階にあった。受付カウンターは三か所あったが、係員は二人しか付いておらず、たくさんの中国人が待ちわびるほど、思いのほかチェックインに時間がかかった。部屋はシングルで予約したはずだったがベッドが二つありアメニティも二組。なぜツイン? 以前ラパホテルに宿泊した時もそうだったような気がしたので、秋葉原特有の何か怪しい慣習でもあるのかとそれ以上は気にしなかった。
福岡空港を出る時は冬なのに暑くて、カバンの中に入れたままだったダウンジャケットをスーツの上着代わりに羽織って、ネクタイも外して夕食を取りに出かけた。玄関を出ると右側に携帯のショップがあって、スラっとした女性がひとり何やら宣伝用と思えるA3サイズぐらいのパネルを持って立っていた。売出しかと思ったが、ひとりでどことなく暗い感じだ。コールガール? まさか、携帯ショップの前にコールガールは立ってないだろう。チラッと見ただけで横断歩道を渡ることにした。30歳代くらいの若い体格のいい男性が何やら話しかけていたようだったが、その男性も直ぐに離れて一緒に横断歩道を渡った。
ここは秋葉原。外国人の姿もあちこちで見られ、以前よりも更に多くなった気がする。道を渡りきると右へ曲がり歩道を歩いた。特に贅沢な夕食を取るつもりもなく、お酒も飲まないから先の方に見えるカツカレー屋さんでも良いなと思っていた。
カツカレー屋を覗くと、多くの客が座っていて、何かでグランプリを取ったの、どうのと書いてある。一人の席ぐらい直ぐに空くだろうと、ここでカツカレーを食べることにした。先に食券を買うスタイルで、私は、カツカレー中盛を押して券を手にすると手前にひとつ空いているテーブルに置いた。すると直ぐに店員さんが水を持ってきたが、私では座りにくい、丈が高い丸椅子だということに気づいた。私は、13年前に脳出血で倒れ、左半身に麻痺が残っているのだ。店員さんに断りを入れて、反対側の低い椅子がある方に、まだ前の客の食器が残っているところへ移った。
食器を片付けてもらって、水を飲みながらひとまず落ち着いて、壁にたくさん貼られたカレーのポップや写真を眺めた。良かった。美味しいお店らしい。お客は、それぞれ一心不乱にカレーを食べている。
まもなくカツカレー中盛が運ばれて来て、「いただきます」とあまり動かない左手のグーと右手のひらをくっつけた。カレーの味は一口で、九州と違うと思ったが、これが東京の味だろうと続けて食べた。あまり経験のないカレーだが、まずいという訳ではない。だいいち、カツが入っている。贅沢で分厚いカツではなく、ちょうどいいくらいに薄い。庶民のカツはこうでなければ。カツ丼のカツもこれくらいがいい。
どんどん客が入れ代わる中、私のカウンター席の左側に男女の若いカップルが座った。男性は超大盛のカツカレーを注文して、彼女と写真を撮っている。窓の外の歩道には入る時にはいなかった白いジャンパーを着た若い女の子が四、五人見えた。あれは何だろう。はやりパネルを持っている。さっき、携帯ショップの前に立っていた女性より明らかに若くて明るく見える。
私は、カレーの残り少なくなったカツを食べながら、訊かなければ、 危なくないなら行ってみなければと思うようになってきた。カレーの持つ不思議な力のせいか、或いは、カツのせいか、次第に力が湧いて来た。なんか面白いものかもしれない。社会勉強だ。小説のネタにもなるかもしれないとカレーの匂いを少しでも消そうと口の周りを紙ナプキンとティッシュで丁寧に拭って、コップの水で口の中もゆすぎながらじっくり飲んだ。そして、また両手をぎこちなく合わせて「ごちそうさま」と小さな声で言って、店を出た。カップルはまだ大盛と格闘中のようだったが店は次々と客が入れ代わる繁盛ぶりだった。
歩道に降りると私は迷わず、右前方に立っていた他の三、四人よりパッと見で可愛く見えた子の前に立って、「これ何なんですか?」と尋ねた。
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