第46話 #46
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「じゃあニケさんの世界中を旅する本当の目的は、達月くんの病気を治せる人を探すためだったってこと?」
「うん。達月くんの体にある極めて珍しい病気が見つかってから、どうにかそれを治すことは出来ないかって2人で考えたんだ。少なくとも日本には治せる人はいなかった。だから私たちは世界を信じた。この広い世界には治せる人が必ずいるってね。ニケさんがそう言って聞かなかった」
時刻は18時を回った頃。イギリスはまだ朝の時間帯だろうか。2人を見送った私たちは、家の近くにある居酒屋で優子さんは酒を体に入れながら、私は普段通りジンジャーエールを飲みながら語り合っている。今日は優子さんの飲むペースが早く、飲み始めてから30分ほどで優子さんの手元には空になったジョッキがすでに2本置かれている。
「ニケさんの師匠が見たかった景色を見たいっていう気持ちもあったんだと思うけど、やっぱり一番は達月くんの病気を治せる人探しだったんだよね」
「うん。本当に見つかってよかったよ。かれこれどれくらい探してたの?」
「達月くんの病気が判定したのが彼が8歳ぐらいの頃だったから、もう15年以上は前なのかな。そう思うとだいぶ長いよね」
「その間、優子さんもニケさんと離れてる期間があったんだよね」
「まぁそうだね」
「寂しくなかったの?」
不意に聞いた私の質問に対して、優子さんは目を丸くして元々大きい目をさらに大きくして私を見た。
「寂しいに決まってるよ。ひとりぼっちで過ごす夜なんか、最初の方は昔、店で一緒に働いていた友達を読んだりして寂しさを紛らわしてたなぁ」
「やっぱり寂しいよね」
「でも、いつかニケさんは帰ってくる。そういう連絡が来るって思うと毎日頑張れたよ。徐々に慣れていったし、お客さんもよく話してくれたしね」
うんうんと、首を縦に振りながら手元のジョッキに口をつける。私もつられるように自分のジョッキに手を伸ばして中に入っているジンジャーエールを体の中に流し込んだ。私の元に届いてからしばらく経つのに、ジョッキはまだまだキンキンに冷えている。私も気分がいいのか、普段よりも早いペースでそれを体に流し込んでいく。目の前にこんなに飲みっぷりのいい人がいるから、私も自分が酒を飲んでいると錯覚してしまう。
「でもやっぱり、私は日菜ちゃんに出会えたのが大きいなぁ」
「私?」
「うん。話をする回数が増えてどんどん仲良くなりたいって気持ちが強くなっていって。ついには一緒に住みたいって思うようになって。だから、日菜ちゃんが一緒に住みたいって言ってくれた時は泣きそうになっちゃうぐらい嬉しかったよ」
私の髪の毛を優しく撫でる優子さんの手。その感触の余韻に浸っていると、私も同じように嬉しくなってきた。あまりにも優しいその手で撫でられ続けられると、私の瞼も、心の中も蕩けてしまいそうにとろんとなる。
「ふふ。日菜ちゃんのその顔見てるとニヤニヤしちゃうよ」
「優子さんがニヤニヤしてたら私もにやけちゃうけど」
いい感じに酔いが回ってきたのか、優子さんも顔がさっきより赤くなっている。嬉しそうにお酒を飲んだこともあり、かなり気持ちが昂っているようだ。
「今度さ、日菜ちゃんが1人でビーフシチュー、私に作ってくれない?」
「え? 私が優子さんに?」
「うん。日菜ちゃんが作ったのを食べたい。ダメかな?」
「い、いや。ダメじゃないけど。どうして急に?」
顔を赤くしたまま微笑む優子さんは、いつにも増して色気があった。男の人がこんな表情を見たら、多分それだけで気持ちを持っていかれる気がする。私は何とか自分を落ち着かせながら優子さんを見た。
「私の愛弟子でもあり家族でもある日菜ちゃんの料理が食べたくなっちゃって。その中でも一番食べたいって思ったのがやっぱりあのビーフシチューなんだよ」
「ま、まぁ優子さんがそこまで言うなら……」
「やったー! じゃあ日菜ちゃん、今日はもうお腹いっぱいだから明日だね」
「うん。急に決まっちゃったけど頑張ってみる」
「えへへ。楽しみにしてるね」
会計をする際、店員の男の子に、
「お連れの方、顔、真っ赤ですけど大丈夫ですか?」
と心配されるくらいには優子さんは仕上がっていた。それでも優子さんの足取りはしっかりさていて、帰りのタクシーにはちゃんと乗れていたし、家に帰った時なんてスキップをしながら家に入っていた。久々に優子さんと2人で飲み明かした時間は格別で、特別で、最高の夜だった。達月くんがいつも座る黒色のソファの上で眠っていた優子さんは、明らかに私よりも楽しんでいた。次の日、二日酔いだったのか、びっくりするぐらい眉間に皺を寄せている優子さんがソファから起き上がっていて私を睨みながら「おはよう」と言っていたので、私は笑いを堪えきれずに吹き出しながら「おはよう」と言った。
✳︎
「え? マジなやつ?」
「うん。今年の秋かな。東京でやるんだけど。2人分、席があんだよね」
いつものクセでストローの先端を噛みながら話す佳苗は、自身のスマホの画面を私の方に見せてそう言った。その画面の中には日本を代表するバレーボール選手たちがいて、その中には晴樹さんがアタックを打とうとしているフォームで止まっていた。芸術点を争う競技なのかと見間違えそうになるほど綺麗なフォームだ。
「晴樹さんがさ、私と日菜で見に来てほしいんだって。それで、テレビ中継ももちろんあるみたいで。試合の様子、イギリスでも放映されるかもなんだって」
「そっか。じゃあ達月くんも見れるかもだね」
「うん。みんなで晴樹さんを応援しようよ。じゃあ日菜は私と会場に行くってことでいいね?」
「ありがとう。大丈夫だと思う」
ならよかった。と言って佳苗は手元にある私の作ったビーフシチューを口に運んだ。その味に驚いているのか、私とビーフシチューを交互に視線を変えながら目を丸くしていた。
「ちょ、ちょっと待って……! このビーフシチュー、本当に日菜が作ったの?」
「いや、本当だって。私だって、何回も作っては改善してってやってるんだから。落ち着いたら優子さんにも食べてもらう予定だしね」
「これはすごいわ……。これ、達月くんが食べたら病気、治っちゃうんじゃない?」
「あはは。そんな効果あったらすぐにでも渡しに行くのにな」
「いや、ほんとに。マジでイギリスに持っていくべきだって!」
佳苗のこんなに必死な顔を見たのは、晴樹さんが試合中に足を怪我したあの時以来な気がする。ここまで本気で言ってくれている佳苗を見ていると、少しは私も成長したのかなと嬉しくなった。
「ありがとう。佳苗がそんなに言ってくれるなら私も自信がつくよ。このビーフシチューはね、彼がここに戻ってきた時に最初に食べてもらう料理って決めてあるんだ。それに、彼の病気は絶対に治る。私は確信してるから彼が帰ってくるまで待ってるんだ」
「……ふふ」
私の言葉を聞いた佳苗は、何かを悟ったように笑って私を見た。
「日菜がそう言うなら達月くんも大丈夫だね。うん、私も達月くんがここに帰ってきたら、晴樹さんと一緒にこのビーフシチュー、食べに来てもいい?」
「もちろん。ニケさんの分も優子さんの分も作るからいっぱい作るつもりだからいっぱい食べに来て。その時まで私の腕も今より上げておくから」
「お、じゃあ今より美味しいビーフシチューを食べに来るからね。ハードルはぐんぐん上がってるからね」
「そこは程よくでお願いしたいよ」
「分かってる分かってる。その時が来るまで日菜も体調とか崩したりしたらダメだからね」
「うん。大丈夫だよ。私、体だけは頑丈だから。昔から知ってるでしょ」
「知ってるけどなぁ。運動会当日にお腹壊したり、試合の日に弁当持ってくるの忘れたりする日菜だからちょっと心配なんだよな」
「大丈夫。あの頃よりは大人になったから」
私の精一杯のドヤ顔と一緒に右手の親指を立てて胸を張ると、佳苗は大きく息を吐いて呆れるように私を見て笑った。
「うん。大人になった。あの頃よりかはね」
「あんまり成長してないよなーとか思わなくていいからね」
「思ってない思ってない」
私たちはいつものように笑い合いながら私の作ったビーフシチューを一杯ずつおかわりしてそれを食べきった。自分で言うのも何だが、確かに以前よりも美味しくなったと思う。まだまだニケさんや優子さんの作るそれには敵わないと思っているけれど、達月くんには早く食べさせてあげたいなとも思った。佳苗が帰るのを見送った後に部屋に戻り、スマホを開くとそこにはニケさんからの着信履歴があった。私は慌ててスマホを落としそうになりながら彼に電話をかけ直した。
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