第15話 第2章 人が嫌いだった #15

            ✳︎


 『もしもし』

 『もしもし? あぁ、やっとかかった! 日菜!』

 『何よ? 急用? 今、仕事終わった所なんやけど』

 『違う違う! 元気にしとるんかなぁって思って。あ、仕事お疲れ様』

 『ありがとう。元気やよ。今はヘトヘトになっとるけどね』

 『ちゃんとご飯食べとるん?』

 『食べとるよ。ちゃんと作っとるしね。母さんから教えてもろた肉じゃが作り置きしとるのが多いけどね』

 『いちいち細かくてうるさいって思うかもしれんけど、親はいつまでも子どものことが気になるもんやからね! その辺は分かってよ』

 『分かっとるよ。ただ今やって奇跡的に電話かかれたんやし、仕事しとる時間帯だってあるわけやからそこは母さんも分かってよ?』

 『分かっとる分かっとる! 分かっとるからあんたももう少し電話かかってよ! 分かった?』

 『分かった分かった。じゃあ今から友達とごはん食べてくるから。またね』

 『はーい! じゃあね。また連絡するでね』

 『分かったよ。またね』


電話を切り、ツーツー、と電子音がに耳に届く。私の周りには嵐が過ぎ去ったあとみたいに静寂が訪れ、大きくため息を吐いて呼吸を整えた。真面目な自分を演じ続けているのはやっぱり限界がある。唯一の家族である母さんにも、いつからか本当の自分を見せなくなった私は、今日も外面の良い「桜井日菜」を演じた。バイト後に普段使わないエネルギーを使ったからか、昨日よりも体全体がずっしりと重く感じる。友達と夕食には行かない私は、普段通っている道を普段よりも目に焼きつけながら歩いた。いつからだろう、親にも気を遣って会話をするようになったのは。すっかり陽が落ちて、普段よりも風が冷たく感じる帰り道を、普段よりも重く感じる足をゆっくりと動かして歩いた。


 『人身事故が発生しました。そのため、運転を見合わせております。お客様に多大なご迷惑をおかけしますことを……』


ガヤガヤと騒いでいる人並みを落ち着かせるように流れるアナウンス。マジかよ、いつ動き出すの? は? ふざけんな。死ぬなら1人で死ねよ。人に迷惑かけてんじゃねえよ。まるで、悪口を言い合う大会みたいにそこら中から罵詈雑言が聞こえてくる。バイト後で疲れた時に神経を使う電話をしてからの人身事故による運転見合わせ。悪口を言い合う大会に参加するつもりはないけれど、我慢していると耐えきれそうになかった私は疲れを吐き出すように思いっきりため息をついた。

 確かに人には迷惑をかけているし、場所を選べよと言いたくなる気持ちも分かる。ただ、一瞬で死ねるのなら、いっそそうしたいって思ってしまう時があるのも分かる気がする。実際、私もストレスで頭がいっぱいいっぱいになる日がある。何もしたくなくなって、呼吸をするのにも億劫になる。痛みと恐怖さえ乗り越えれば、あっちの世界に行けるのに。

 ビビリな私はいつも踏ん切りがつかず、モタモタしているうちに気持ちが落ち着いて頭の中が冷静になる。そうしているうちに無意識に自分の命を保っている。私が死んだら多分、家族は悲しんでくれるとは思う。佳苗も泣いてくれると思う。そう思うと、その人たちを悲しませてはいけないとは思うけれど、いつか、ふとした瞬間に自分でも制御が効かずに向こうの世界へ行こうとする自分が現れるのではないかと危惧しているのも事実だ。

 実際、自分でも何を考えているか分からない時がたまにある。自分の中に別の人格があるとまでは思えないけれど、自分自身でも怖いと思う何かが心の中に潜んでいるのは本当だ。どんよりと真っ黒な雲が空に立ち込めたような暗い気持ちになっていると、それを紛らわせてくれるように佳苗からメッセージが届いた。


 『今日もお疲れ様。今週の金曜日さ、バイト後、あの店行かない?』


私の心の中を暖かく照らしてくれるように誘ってくれた佳苗のメッセージをじっと見つめながら私は人混みから避けるようにトイレの中へ駆け込んだ。


 『行く! あそこのコーヒー飲みながら佳苗と駄弁りたい! 話したいこともあるし!』

 『なになに? その話したいこと、めっちゃ気になるんだけど』


時間があるのか、ほんの数秒で佳苗からメッセージが返ってきた。


 『そこで話すから楽しみにしてて!』

 『めっちゃ焦らすじゃん。あと3日も待てるかな』

 『3日なんてあっという間だよ』

 『まぁ楽しみがあった方がバイトも頑張れるし、いいか。あ、そういえば私も日菜に教えたいことあったんだよね』

 『なになに? 今、聞いてもいいけど』

 『金曜日話すから楽しみにしてて』

 『絶対、言われると思ったよ! じゃあそうする!』

 『うい。じゃあ、金曜日、空けといてね』

 『もちろん! 楽しみにしてるよー!』

 『はーい』


ゆるいタッチで描かれた猫が目をキラキラと輝かせているスタンプを佳苗に送信すると、佳苗が愛用している無表情のクマが親指を立てているスタンプが送られてきた。どことなく佳苗に似ている可愛いこのキャラクターが私は好きだ。このイラストを見ているだけで心が軽くなる気がする。気持ちを切り替えてくれた佳苗とクマに感謝をして私はトイレを出て歩き出した。なんとなく今日は家に帰る気分ではなくなり、私は駅を出て近くの漫画喫茶まで足を動かした。

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