第7話 #7
「さすがに半日以上前だと落ちてはいないか」
「うん。でも、逆に落ちてたら大分ショックだったかも。いっぱい汚れてたと思うし」
「この辺って交番とか近くにあったっけ?」
「あるね。あっちのスーパーの近くにあったと思う」
「じゃあそこに行くか。日菜の命ぐらい大切な日記を探しに」
「ほんとありがとうね! 佳苗」
「もしあったら、ちょっとだけ中の内容見せてね」
「いや! それは本当に勘弁して!」
「冗談だよ。誰にだって触れられたくないところあるでしょ」
佳苗はいつものように私を笑わせてくれる。このいつも通りのやりとりが今の私には言葉に出来ないほどのゆとりと安らぎを心の中にくれる。佳苗のおかげで私は平常心を保ちながら交番まで向かうことが出来た。交番の中に入ると、テレビに出ているタレントが事故防止を呼びかけるポスターが私を嘲笑うように見つめている。何も音のしない殺風景な空間にいる私はつい、体に力が入ってしまう。すると、1人の警察官が階段から降りてきた。帽子で顔は見にくいけれど、鼻の横や目元にある皺なんかを見ていると北山さんよりは年上そうな気がする。
「こんばんは。どうかされましたか?」
その警察官はゆっくりと私たちの方へ歩いてきた。革靴のコツコツと乾いた音が私の心をかき乱すように耳に入ってくる。今さっきまで心に余裕があったのに、いざ警察を目の前にするとやっぱり緊張する。でも大丈夫。別に悪いことしてないんだし。私は自分を落ち着かせながらその人を見た。
「あの、今日の午前中にこの近くの道端でノートを落としたんですけどここに届いたりしていませんか?」
「あぁ、今日の落とし物ですね。少しお待ちください……。これが今日の落とし物リストです。この中にありますか?」
警察官が持ってきた大きな段ボールの中に今日だけで集まった量とは思えないほどの落とし物が入っていた。その中には私の物によく似た方眼ノートも入っていた。やっぱり落とすよね。私だけじゃなくてよかった。と謎の落ち着きを取り戻した私は、夢中でその箱の中をかき混ぜるように探した。そしてついに見つけた。赤色の方眼ノート。私の字で『わたしの時間』と書かれている見慣れたそれを手に取ると、私は今日2回目の泣きそうな瞬間が訪れた。
「あったあった! お巡りさん! ありました!」
「この赤色のノートで間違いないですか?」
「はい! 間違いありません!」
中身を確認しようと側面のページをつまんでみたものの、隣にいる佳苗には確実に文章を読まれる。そう思うと、ページを開こうとした私の気持ちが、萎んだ風船のように一瞬で小さくなった。
「中、見られなくて大丈夫ですか?」
「はい! この表紙の字とタイトルで私のものだとすぐに分かりました!」
「確かにインパクトのある表紙だね。じゃあ、こちらへ来て受け取りの手続きをお願いします」
ふふ、と優しい笑顔を私に向ける警察官に再び緊張しながらも私は促されるまま、名前と住所と電話番号を指示された書類に記入した。私はそのまま手続きを終えて交番を出た。開放感と安心感と緊張感から解放された私は、大袈裟だろうけれど、この世界に生きている誰よりもしがらみから解放された気持ちになった。
「良かったね。いい人が拾ってくれたんだね」
「ほんとだよ! 状態も悪くなってないし! 拾ってくれた人にお礼を言いたいけど何とかして出来ないかな?」
「うーん。個人情報は警察もさすがに教えないだろうしなぁ」
「そうだよね……。いい方法思いつかないな」
「普段から人のために行動してる日菜だから、この町にいる心優しい人が助けてくれだんだよ、きっと」
「そんなつもりないけどね。佳苗がそう言ってくれるのは嬉しいけど」
「何はともあれ良かったじゃん。今日は拾ってくれた人に感謝して帰ろうよ」
「……そうだね! 心の中でお礼言いまくる!」
「言い過ぎたら言われてる人も気遣っちゃうだろうからほどほどにね」
「ふふ。そうだね! そうする! てかさ、佳苗、今日はもう家に帰るだけ?」
「うん。もう予定は何もないよ」
「ほんと!? じゃあさ、久々にウチに泊まってかない? せっかく近くまで来てるんだし」
「え? いいの?」
「うん! どうせならお酒やツマミなんかも買っちゃう?」
「やばい。めっちゃ楽しみになってきたんだけど」
テンションが上がっている時の佳苗は、眉毛が上下にぴくぴくと動く。昔からその癖は変わらない。ポーカーフェイスの彼女の気分を見極めるひとつだ。当然、目の前にいる佳苗の眉毛は意思を持ったかのように動いていた。あまりにもぴくぴく動いていたので私は思わず噴き出してしまった。
「何だよ、日菜」
「ううん! 私も楽しみになってきた! 夜が明けるまで飲んじゃおうよ!」
私もいつになくテンションが上がっている。久しぶりに佳苗が家に来る。一人暮らしを始めた時に初めて人を入れたのが佳苗だ。あれがもう、3年くらい前になるだろうか。私の眉毛は動いていないだろうけれど、佳苗と同じくらいテンションが上がっているのは間違いない。私の足はバイト終わりで疲れているはずなのに全く疲れを感じない。最悪だと思っていた1日がいつの間にかとても良い日に変わっていたことに気づいた。すっかり日の落ちた空を見上げると、いつもより大きく見える満月が静かに私たちを見守ってくれているように光っていた。
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