狐につままれて

玉舞黄色

第1話

「いってきます」

 誰も返してくれないとわかっているが、ついそう言ってしまう。

「あっつ」

 汗を拭きながら、スーパーへと向かう。

 昨日まで台風が来ていたとは思えないほど空は晴れている。

 ピロンッ

 スマホが鳴った。

 赤信号で通知を見ると、親からメールが来ていた。

 大学の夏休み、家に帰ってくる? と書いていた。

 それと、ぶどうを送ったと付け足されていた。

 帰らない、ぶどうはありがとうと返信する。

 信号が青に変わり、僕はスマホをポケットに入れて歩き出した。

 スーパーで買い物を終え、僕はアパートへと戻る。

 ふと、家の鍵がないことに気づいた。

 あれ? 家に鍵、忘れた? 鍵掛けてない?

 僕は焦って走り出した。

 アパートに着いて僕の部屋まで行くと、ドアの前に誰かが座っていた。

「あの……どちら様ですか」

 僕はバックを抱きしめて座っている中学生くらいの少女に声を掛けた。

 その少女は僕に気づき、はっとして立ち上がった。

「あっえっと、佐藤さんですね? 稲垣くつねって言います」

 そう言って頭を下げてきた。

「稲垣さんは……僕の家の前でなにをやってたんですか?」

 僕は気になっていたことを聞いた。

「私は、その……あなたが鍵を閉め忘れるのを見て……泥棒が入らないようにと……」

 とても恥ずかしそうにうつむいて言う。

「そ、そうだったんですか。ありがとうございます」

 お礼を言うと、稲垣さんはいえいえと手をふる。

 そして、申し訳なさそうに縮こまって言った。

「すみません……ここで、一日だけ泊めていただけませんか……」

「ど、どうしてですか?」

 いきなり泊めてと言われ、少々驚いた。

「実は、私が住んでた家が台風で壊れてしまったんです」

 と、悲しそうに言う。

 家がないと言う人を見捨てるわけにはいかない。

「わかりました。どうぞ、入ってください」

 そう言ってドアを開け、中へと促した。

「お邪魔します」

 僕はスーパーの袋からお茶を出し、コップにつぐ。

「稲垣さんも飲みますか?」

 頷いたのを見て、新しいコップにつぐ。

 お茶を飲みながら稲垣さんは言う。

「そういえば、もう夏休みは始まったんですか?」

 頷いて返す。

 ふーんと言いながら、稲垣さんはお茶を飲み干した。

 そんなとき、スマホが鳴った。

 大学の同級生からだ。

 何件も通知が溜まっている。

 見るのも嫌になってすぐに電源を消した。

 顔を上げて稲垣さんを見ると、机に突っ伏して寝ていた。

 仕方なく抱きかかえると僕のベッドに寝かせ、布団を掛けてあげた。

 僕はシャワーを浴びて、ソファに寝転んだ。


 ピピピピッピピピピッピピピピッ

 アラームの音で僕は起きた。

 けたたましいアラームを止め、スマホを見る。

 もう十時か……

 大きくのびをして、稲垣さんが寝ているベッドを見た。

 稲垣さんはまだ寝ていた。

 もう少し寝かせてあげよう。

 僕は冷蔵庫から卵を出し、目玉焼きを作り始める。

 朝食を食べ終え、スマホでゲームをしていると稲垣さんが起きてきた。

「おはようございます……」

 目をこすりながらそのまま洗面所の方へ向かった。

「おはよう」

 そう返しながら、僕はゲームに一区切りをつけた。

「何やってるの?」

 いきなり後ろからスマホをのぞき込まれ、僕は反射的に隠してしまう。

「ゲームだよ、今流行りの」

「ふーん。そんなことより……朝ご飯は何?」

 ちょうど稲垣さんのお腹が鳴った。

 みるみる顔が赤くなっていく。

「あははっ」

 思わず笑ってしまった。

 稲垣さんは黙り込んで僕の後ろを付いてくる。

 朝食べた目玉焼きをつくってあげた。

「今日は何か予定でもあるんですか?」

 目玉焼きに醤油を掛けながら聞いてくる。

「うーん、ないかな」

 夏休みというのになにもない。

 稲垣さんが目玉焼きを黙々と食べ出し、僕はまたゲームをし始めた。

 一旦ゲームを終え、僕は食器を洗い始めた。

 稲垣さんの分も受け取り、洗い出す。

 すると、稲垣さんはバックから何かを取り出した。

 けん玉?

 僕が物珍しく見ていると、けん玉をし始めた。

 上手いな。

 一度も落とさずにもしかめを歌いきり、どや顔でこっちを見てきた。

 思わず拍手してしまう。

 ぺこっと頭を下げて返してくる。

 皿洗いを終え、また稲垣さんの方を見ると、今度はお手玉をしていた。

 そして二個から三個、三個から四個とどんどん増えていく。

 五個まで来たとき、稲垣さんはお手玉を終えた。

 僕はまたもや拍手をした。

「すごいね」

 素直に感想を言うと、稲垣さんは照れくさそうに頬を掻いた。

「そうだ、花札をしませんか」

 唐突にそう提案してきた。

「いいよ。しかし、ひさしぶりに見たな」

 バックから出した花札を見て、そうつぶやいた。

「そうなんですか? 花札は国民的ゲームだと思ってたんですが」

 首をかしげながらそう言ってくる。

「いやいや、もうルール知ってる人も少ないんじゃないかな。稲垣さんと同じ年代の子はそれこそ花札自体を知らないと思う」

 その言葉にショックを受けたのか、驚いた表情で固まっている。

「そ、そうなのですか。まあ、佐藤さんは知ってるから一緒に遊びましょう」

 僕たちは花札をし始めた。

 どれぐらい時間がたっただろうか。

 僕と稲垣さんはずっと花札をし続けていた。

 僕の勝率は三割ぐらいだった。

 花札を終えると突然お腹が鳴り、もう昼頃だと気づいた。

「お昼ご飯にするか。何か食べたいものってある? スーパーで買ってくるよ」

「いなり寿司かきつねうどんで。というか、一緒について行きます」

 ちゃんと鍵を閉め、僕たちはスーパーへと歩き出した。

「そういえば、どこに住んでたの?」

 僕は歩きながら聞いた。

「……ここの近くですよ」

 そう言われても台風で壊れた家なんて知らないな。

 僕が考えていると、ポケットにあるスマホが震えた。

 また、大学の友達からだった。

 はあ、めんどくさい。

 そう思ってポケットにねじ込む。

 スーパーでいなり寿司を二パック買い、家に戻る。

 家についてすぐ、稲垣さんは幸せそうにいなり寿司を頬張り始めた。

「あっ。そういえば、明日で家が直るらしいです!」

 頬にご飯粒をつけたまま、うれしそうに言う。

「よかったな」

 僕は笑い返した。

 そんなときにまた、スマホが鳴る。

 通知切っとこうかな。

 そんなこと思いながら見ると、今度は元カノからだった。

 新しい人と付き合い始めました。

 僕がうんざりするも返信しようとすると、いきなり稲垣さんがスマホを僕の手から取った。

「なにするんだ!」

 僕が怒ってスマホを取り返そうとすると、稲垣さんは子供をなだめるように優しく語りかけた。

「……私、人の感情がわかるんですよ。佐藤さんがこれを見ているとき、いつも不快な気持ちが出ています。そんなにこれが大事ですか? 不快になるのに、見る価値はあるんですか? 私と花札しているときは愉快な気持ちが出ていましたよ。これって本当に大事なものなんですか?」

 そう言われ、僕は気がついた。

 意味のないゲーム、関係ない情報に振り回されていることを。

 そうか、いつの間にか取り憑かれていたんだな。

 僕が黙っていると、家のチャイムが鳴った。

 慌てて出ると、お母さんからの荷物だった。

 そういや、ぶどうを送るって言ってたな。

 ちょうどいい。稲垣さんと一緒に食べよう。

 段ボールを開封してぶどうを出す。

 皿に載せて持って戻ると、稲垣さんの頭に耳が生えていた。

 具体的には、狐の。

「あ、あの……頭に耳が……」

 危うくぶどうを落としそうになりながら、僕は稲垣さんに言った。

「えっと……」

 稲垣さんはほおを掻きながら、気まずそうにしている。

 ぶどうを、なにも言えないまま稲垣さんの前に出した。

 そして僕は無言でぶどうを食べ出す。

「す、すみません。じつは私、人間じゃないんです」

 ぶどうには手をつけないまま、稲垣さんは言った。

 僕は食べる手を休まずに、ぶどうを食べ続ける。

「実は、前の台風で神社の鳥居が少し破損して……だから人間の姿になっていたんです。それがもう直ってしまったので、元の姿に戻りつつあるのだと思います……」

 納得すると、僕は稲垣さんがぶどうを食べていないことに気がついた。

「ぶどう、嫌いなんですか?」

 そう聞くと、稲垣さんは頷いた。

「ぶどうはすっぱいと聞いていたもので……でも、佐藤さんからは幸福の感情が出てますし、食べてみようかな……」

 そう言って一粒口に入れると、途端に顔をほころばせた。

「おいしい! なにこれ、こんなに甘かったんだ……」

 そう言いながら、次々と口に放り込む。

 黙って見ていると、いきなり稲垣さんに尻尾が生えた。

 気づかずに食べ続けている稲垣さんに僕は声を掛けた。

「そろそろ帰らないと、まずいんじゃないですか」

 すると、ぶどうを食べる手を止め、残念そうにしながら立ち上がった。

「そうですね、じゃあ最後の一粒」

 一粒を口に入れ、すぐ食べずに口の中でコロコロと転がしているようだ。

「ふんっ」

 そして稲垣さんが全身に力を込めると耳と尻尾が引っ込んだ。

 これで目立たずに外に出れる。

「送っていきますよ」

 僕はそう言うと、くつを履いて稲垣さんと一緒に外へ出た。

「そういえば、スマホ返してください」

 稲垣さんについていきながらそう言うも、えーと言って返してくれない。

 どうやって返してもらおうかと悩んでいると、赤い鳥居が見えてきた。

「あそこです」

 稲垣さんが指を指して言う。

 家の近くにこんなところがあったんだな。

 鳥居をくぐり、賽銭箱の前まで来ると、稲垣さんが振り返った。

「はい、これお返しします」

 僕のスマホを返してきた。

 とりあえず僕は受け取った。

「そんな目をしなくてもわかってますよ。僕はもうこいつには取り憑かれませんって」

 僕は笑いかけた。

「そうですね。……では、さようならです。お供え物はいなり寿司か、ぶどうでお願いしますね」

 稲垣さんはそう言って消えていった。

 僕はそのまま家に戻る。

 家にはけん玉とお手玉、それに花札が残されていた。

 これからは、スマホでゲームなんかしないでけん玉でも挑戦してみようかな。

 稲垣さんが祓ってくれたおかげで、なにか吹っ切れた気がする。

 明日、余っているぶどうを持っていってあげよう。

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