選べない手段
また微睡んでしまっていたようだ。
楊広が学校に戻ってから、もう四時間ほどが経った。
いつの間にやら、陽は落ち始め、辺りは薄暗くなってきている。
平日に公園のベンチでウトウトしながら過ごすなど、楊広に指摘されるまでもなく、我ながら情けないことである。ただ、致し方ない。
むしろ意識が飛んでいるうちに時間が過ぎてくれたことを、僕はありがたく思う。
卒業間近の三年生を始め、部活動のない生徒はすでに下校を始めている時間である。
もしかすると、僕の中学校の生徒のうちの幾人かは、下校途中にこの公園の前を通り、ベンチで微睡んでいる僕を見て、「殺人犯だ」と指をさしていたかもしれない。
――もっとも、それでも構わない。
僕の見えないところでやってくれるのであれば、僕の心が傷付かないのであれば、陰で何と言われていようが構わないのである。
卒業式が終わるまではSNSは見ないようにしよう、と僕は心に決めていた。
そろそろ帰っても母親に怪しまれないだろう、と僕はベンチからゆっくりと立ち上がる。
ちょうどその時、ズボンのポケットが振動した。学校に行くつもりがなかったので、制服を着つつも、スマホを持っていたのである。
SNSの通知だったら無視しようかと思ったが、しばらく待っても振動は止まらない。
電話である。
けったいに思いながらもスマホをポケットから取り出し、画面を見ると、発信者は新多だった。
僕は通話ボタンをタップし、スマホを耳に付ける。
「もしもし」
新多の低い声を聞くと、昨日、固定電話の子機から新多に電話を掛けたことを思い出す。
あの時は、新多の「もしもし」を無視し、それどころか、僕は名乗りすらしなかったのである。
新多が僕の固定電話の番号を知っているはずはないから、新多は、昨日の「無言電話」が僕の仕業とは気付いていないはずだ。
「もしもし」
今度は僕は応答する。
「道人、体調は大丈夫か?」
「え?」
思わず聞き返してしまったが、冷静に考えると、何もオカシな質問ではない。
僕は今日、学校を欠席しているのである。
「体調は問題ないよ」
「だよな」
この反応からすると、新多も、僕が仮病を使ってるのだろうと勘付いていたようだ。
「道人、昨日の配信見たぜ」
「……ああ」
当然、新多は見たに違いないとは思っていた。
ただ、実際に「見た」と報告を受けると、なんだかきまりが悪い。
あの配信では、僕は地獄丸との勝負に負けた上、クライシスの正体が僕だと自白してしまった。
無論それだけでなく、僕は、采奈殺しの犯人だと告発されているのである。
「道人、どうするんだ?」
「どうするって?」
「このまま地獄丸にやられっぱなしで良いのか?」
なんとかして地獄丸に対して一矢報いることはできないか、ということは僕もずっと考えていた。
暴露配信がされ、僕が采奈殺しの犯人として名指しされてしまったことに関しては、もう取り返しがつかないことである。
それへの対応としては、喉元を過ぎるのを待つ――すなわち、中学卒業までじっと過ごし、「永倉采奈の死の真相」から生徒の関心が離れるのを待つしかない。
しかし、それが上手くいったとしても、僕の気持ちは到底収まらない。
地獄丸に勝ち逃げさせるわけにはいかない、という思いが、僕の中に強くあるのである。
もっとも、そのためには――
「地獄丸の正体を掴む必要があるんだよね」
配信での言い合いは、どう考えても分が悪い。
視聴者は、地獄丸の言うことを鵜呑みにする者ばかりだ。
それは、地獄丸が、美少女Vtuberという今流行りのスタイルを用いたことに加え、あえて真相の暴露を何回か引っ張り、クライシスとの対決構造を作り出したことなど、見せ方を工夫したことにもよるだろう。
悔しいが、地獄丸のやり方が上手いことは認めざるを得ないのである。
とすると、僕としては、地獄丸の正体を突き止め、配信の外で決着をつけるしかないだろう。
そもそも、采奈の死は、配信の場でアレコレ言い争うべき性質のものではないのである。
「地獄丸の正体を突き止めたいというのは、俺も分かる。だけど、道人、そんなことできるのか? 一度外してるんだろ?」
僕が地獄丸に間違ったDMを送ってしまったことは、配信を見ていた者には周知の事実なのである。
僕の回答が新多だったことは、新多を含め、僕と地獄丸以外は誰も知らないのだが。
「それに、道人は、地獄丸の正体は仲良し六人組の誰かだ、って推理したけど、その推理が正しい確証はないんだろ? 地獄丸の正体は、もしかすると、俺らの知らない誰かである可能性だってあるんだぜ」
その可能性はもちろん否めない。そして、仮にそうだとすると、地獄丸の正体に辿り着くことは、たしかに無理ゲーである。
「道人、地獄丸の正体を突き止めるのは諦めた方が良いんじゃないか?」
「そう簡単に言わないでよ。地獄丸の正体を掴まないと、地獄丸に反撃することなんてできないんだから」
「本当にそうか?」
新多がそのように疑問を呈してきたことは、僕には驚きだった。
「……新多、何かアイデアがあるの? 地獄丸の正体が分からないままで、地獄丸に一泡吹かせられる方法が?」
「ある」と、電話口の新多がキッパリと断言する。
「……何?」
「道人、お前が身の潔白を晴らせば良いだけだろ」
新多は、自信満々に話を続ける。
「采奈が事故死なのか殺されたのか、これはたしかにどちらとも判断が付かないところはあると思う。だけど、道人が采奈を殺してないことは、道人本人だったら簡単に証明できるはずなんだ」
「新多、そう簡単に言わ……」
「いいや、簡単だよ。SNSでも、配信でも何でも良い。道人側から、道人と采奈の関係や、采奈が死んだ日の道人の行動を克明に示せば良い。そうやって、地獄丸の言っていることは出鱈目だって示せば良いんだ。そんなの簡単にできるだろ」
新多のアイデアは、決して間違っていない、と思う。
Vtuberに「殺人犯」と告発された者がとる手段としては「正攻法」であるとも思う。
――しかし、僕にはその手段はとれない。
やっていないことの証明は、悪魔の証明だから、とかそういう問題ではない。
僕の知っていることをありのまま話すことは、絶対にやってはならないことなのだ。
「……新多、ごめん。僕にはそれはできないんだ」
「どうして!?」
「……理由は言えない」
「……そうか」
新多が大人しく引き下がったのは、僕が、僕が犯人ではないことの証明ができない――すなわち、僕が犯人であることを認めた、と捉えたから、かもしれない。
それは重大な誤解であるのだが、地獄丸の配信を見た多くの者が同じ誤解をしているのだから、そうした者が一人増えたところで、今更気にすることはない。
「じゃあね」
僕は一方的に電話を切る。
そうするほかないのだ。
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