第六章 第731海軍航空隊(1945年夏)

第1話

「何故なんですっ!?」


 乱暴に机を叩く音が、司令官室で響いた。

 第731海軍航空隊の司令官小谷大佐だいさに向かって、感情も剥き出しに抗議しているのは、和人だった。


 第731海軍航空隊は、特攻兵器として開発された『桜花』というロケット推進方式の特殊滑空機を運用する実験・訓練部隊として編成され、太平洋戦争終盤に沖縄戦線で桜花を含む対艦特攻に従事している。

 731空の通称は『天雷部隊』であり、ロケット兵器である『桜花』の速度と轟音を『天雷』の如くであったことから名付けられた。


 和人はこれまで、第203海軍航空隊に所属し、これら特攻部隊を直掩するために戦い抜いてきた。

 そして戦局が絶望的な状況となり、本土決戦も必至だと思われた4月。彼もまた乗機の『零戦』と共に同じ鹿屋基地に所属する731空に転属し『零戦』中隊の指揮官になっていた。


――もう覚悟はできている。志乃との別れも済ませたんだ……


 そう思い、彼は出撃命令を待ち続けた。


“中隊長殿! お先に参ります!”


 攻撃隊に選ばれた年若い特攻隊員が、次々に二度と還らぬ出撃をしていくが、和人には一向に命令が下されなかった。

 24歳の和人にとって、予科練出身の特攻隊員は、実の妹の慶子よりも若い少年達だ。


 彼等は特攻兵器『桜花』の棺桶のような操縦席に乗り、発射母機となる機体『一式陸上攻撃機(一式陸攻)』の胴体下に『桜花』ごと吊り下げられて目標に接近、敵艦近くで母機から切り離され、そのロケット推進力で体当たりをする。


 迎撃できないほどの速度と1,200kgの爆薬を積んだ『有人対艦ミサイル』の登場は、攻め寄せる連合国軍艦隊を震撼させたが、航続距離の短さが大きな足枷となっていたため、すぐに対策が講じられてしまった。


 つまり『桜花』は、その形状から機外に装備せざるを得ず、そのために起こる空力の悪化、全部で2.3トンになる『桜花』自身の重量、さらには米兵から『ワンショット・ライター』と綽名されるほど防御の薄い母機の脆弱性と相まって、『桜花』を切り離す以前に敵機に捕捉・撃墜されるようになってしまい、目を見張るような戦果は上がっていない。


 それでも、小谷司令は『一式陸攻』と『桜花』による攻撃……『天雷作戦』……を止めようとはしなかった。

 その度に『一式陸攻』と『桜花』の搭乗員、合わせて9名が無為に命を散らせている。挙句の果てに小谷は、損耗した『一式陸攻』に代わって、新鋭の陸上爆撃機『銀河』を新たな母機と定め、改造を指示したのだから堪らない。

 この戦術に、歴戦の和人の怒りはついに爆発したのだ。


「何故、零戦隊も特攻に出さないのですか!? このまま戦力の逐次投入では各個撃破され、戦果を挙げる前に部隊は壊滅です! ここは敵艦隊に対し、全機出撃の飽和攻撃をすべきと意見具申いたします!」


 憤懣遣る方ない様子の和人に、小谷は冷ややかな視線を浴びせ付けながら、口を開いた。


「『零戦』の25番(作者注……250kg爆弾)では、空母や戦艦に損傷を与えられん。今更、駆逐艦如きを沈めたとて、大勢には影響を及ぼさんのだ」


 司令官の執務机に両肘を付いて、小谷は厳しい眼差しを和人に向けた。


「ならば我々零戦隊を直掩に付けてください! 『桜花』に乗る予科練生達は使い捨ての駒ではありません!」


 和人は、窓の外で対空陣地や塹壕を構築している少年達を指を差し、小谷はそれを静かに眺めていた。

 司令官室には沈黙の時間が流れ、やがて静かに口が開かれた。





 和人のように兵学校から航空学生に進む者だけがパイロットになる訳ではない。操縦士の育成を目的とした組織は他にもある。海軍飛行予科練習生は、需要が高まる操縦士育成を目指して発足した制度で通称『予科練』と言う。

 予科練を卒業した練習生は、太平洋戦争勃発と共に下士官として航空機搭乗員の中核を占め各地で戦い……そして散っていった。


 ところが、戦局の悪化と装備と燃料の枯渇から予科練教育は凍結され、各予科練航空隊が解隊したのは、今年の6月の事だ。これにより任務を失った彼等予科練生は、日々、基地や防空壕の土木作業や建設などに従事している。

 この航空隊で、特攻兵器『桜花』に搭乗するのは彼等だった。

 いつ招集が掛かるのかは判らないという中途半端な状態のまま、土木作業に従事する彼等は、自らを土方どかたにかけて『どかれん』と呼び、半ば自嘲気味に過ごしていた。


 そして、徐々に『予科練だった生徒』に立場が近づいている者達がいた。

 機体を整備する整備兵達だ。第731海軍航空隊付で配属されている『特別機整隊』に所属する彼等は、特攻機となる機体の整備を担当する。


 しかし、機体を整備する側に立てば、その気持ちは複雑だった。

 特攻という、機体自体を一つの爆弾として見立て、敵艦に体当たり攻撃をする。当然機体は操縦士もろとも木端微塵になる……そのために整備をする……それが任務とは言え、やりきれない思いを抱えてしまうのも事実だった。


「ああ、クソッ! このナットはダメだ……締めたら折れた」


 彼は溜息を吐くと『不良品』と書かれた箱の中に、折れたナットを放り込んだ。

 ある程度纏まったらくず鉄として回収し、溶かして再生産する事になるであろう箱の中には、こうした規格外の部品が少なからず積まれている。


「こうした部品の勤労奉仕の女学生が作っているらしいぜ」


 同じ整備兵仲間の若者も、オイル塗れになった手を手拭いで拭いながら機体の点検口から顔を出した。


「材質も悪くなっているしな……」


 そう言って彼は、損傷して飛べなくなった機体に歩き、部品を取り外し始めた。

 それは彼等が今整備している『使える』機体に部品を流用するためだ。


「塗料も無いから、識別表も書き換えられない。ここだけの話……世も末だな……」


 切迫した状況はひしひしと彼等整備兵達にも伝わっていて、様々な情報が間断なく乱れ飛んでいた。


 彼……越智市郎おちいちろう二等整備兵は16歳……『海軍特別年少兵』だ。

『海軍特別年少兵』は、帝国海革の基幹となるべき中堅幹部の養成を目的に昭和16年創設されたもので『少年航空兵』『少年電信兵』(それぞれ16歳以上)よりも若い14、15歳であることから、海軍では『特年兵』と略称された。


 特年兵教育は一般志願兵の教育と比較して、特に訓練と普通学に重点を置くことに特徴がある。午前は普通学科、午後は軍事訓練と体育に充当されたており、厳しいという言葉が生易しく感じる程の猛訓練と猛勉強が海軍の網領に基づき厳正に実行され、 一日24時間、全く容赦をしない帝国海軍伝統のスパルタ教育が課せられていた。

 越智二等整兵は、その訓練を終えて同期の特年兵とともに整備兵として配属されていた。


「予科練の連中、この間松の木伐採に駆り出されたみたいだぜ」


 仲間の整備兵の話を聞いて、市郎は暗澹たる気持ちになった。

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