すから始まってきで終わる

茂 幸之

Question.

 好きって何なのだろう。


 突然、頭に衝撃が走った。身体中に響いた鈍い音と共に頭頂部がジンジンと痛みを帯びてくる。


「痛っ」


 私は頭をさすりながら顔をあげ、寝起きでしょぼしょぼの目で犯人を見た。

 目の前にいたのはみそらだった。しかも手には分厚い英和辞典がある。


「もしかして、いや、もしかしなくてもあんたでしょ、私を叩き起こした犯人は」


 私が眉をひそめて睨みつけると、みそらは前に垂れた髪を耳にかけながらヘラっと悪びれもないような表情をした。


「だってはるか、ずっと寝てたから。四限の授業笑ちゃったよ。数学の教科書立ててガチで寝てるんだもん」


 そう言うとみそらは腹を抱えて笑い出した。

 確かに私は、さっきの授業で寝た。ずっと居眠りした。でもそれは、窓から入り込んでくるポカポカの陽気と先生の念仏のような授業のせいだ。


「……そんなに面白い?」


 ツボにハマってしまったのか、みそらはさっきからずっと笑っている。このままじゃ購買間に合わないよ。


「いやさ、遙めちゃくちゃ大口開けて寝てたから。カバみたいにグワァって」


「か、カバとちゃうわ!」


 なんて失礼な。私の寝顔をカバに例えて、挙げ句の果てには寝ている私に辞書を落とす。昔から変わらない薄情なやつだ。

 クラスの喧騒に紛れて、教室の前の扉に一人、人影が見えた。


「おーい、遙。もう購買行った?」


 晴臣はるおみは大きく手を振りながら、私に向かってそう言った。みそらと同じ、昔からの友達。そして、今日私を襲っている眠気の一番の原因であった。


「まだー」


 返事をしないわけにもいかず、私は教室の端まで声を投げた。


〜〜〜〜


 私は晴臣に、告白されたのだ。告白を受けたことのない私でもわかる、あれは確かに告白だ。

 生徒で賑わう廊下を並んで歩く晴臣の顔を眺める。女子の中でも低身長な私にとって、長身を武器にしてバスケ部で活躍する晴臣とは身長差が激しすぎた。

 澄ました顔をしているが、彼は今朝私に告白したはずなのだ。

 今日の朝、朝起きると晴臣からメールがきていた。『七時四十分に体育館裏で待つ』と。

 えらく早い時間だなと思った。が、私は何の疑問も抱かずに体育館裏に出向き、まんまと騙されてしまったというわけだ。


「遙、俺はお前が好きだ」


 なんてどストレートな言葉なのだろう。

 私は逃げた。彼がそう言い放った後、全速力で逃げた。途中で転けそうになったほど走ったからか、ブレザーの中にとてつもない熱がこもった。

 幼稚園の頃から連れ添った友達が、急に告白してきたら、動揺するし、逃げもする。

 それに、流石に面と向かって言われると恥ずかしい。私も一端の女の子なのだから。だからといって、晴臣に特別な感情を抱いているかと問われると、何とも言えないのだけれど。

 そもそも、好きって何?

 ましてや、付き合うって何?


「おい、大丈夫か?」


 ギョッとした。なんせ晴臣が私の顔を覗き込んでいるのだから。

 考え事をしていたとはいえ不覚だった。というか、なぜ彼はこんなにも飄々としているのだろう。自分の気持ちがまた宙ぶらりんになっている私より、はっきりしていて思いまで伝えている彼の方が恥ずかしくなるものなのではないのか。こんな姿を見ていると、何かと真剣に悩んでいる自分がバカみたいだ。


「大丈夫。ほら、さっさと行くよ」


 体の中で脈打つ鼓動を必死に抑えながら、私は大股で歩み出した。

 案の定購買の目玉はほとんど売り切れていて、私はあまりもののあんパンを買った。晴臣は何を買うか熟考していた私を律儀に待っていたみたいで、すぐそばのベンチに腰掛けている。

 やっぱり、あれはいわゆる嘘コクというものなのかもしれないという不安が頭をよぎる。そも、あの出来事は私の見た夢なのではないかとも思えてきた。


「ねえ、今日の朝、私に告白した?」


 ズカズカと晴臣に歩み寄った私は、彼の前で腕を組み、目一杯の威圧感を持って訊いた。

 笑い飛ばしてくれればという私の願いとは裏腹に、私の目に飛び込んでくる晴臣の顔は冷静そのものだった。


「した。俺は今日、お前に告った」


 嘘だろ、と思った。嘘であってほしかった。


「じゃあなんでそんなに冷静なのよ。もっと、こう、キュンキュンしたりしないわけ?」


「強いて言うなら、恥じらい隠し? とにかく、そういうのは本人に見せないもんなの」


 晴臣はいちごオレを片手にそう言った。耳が少し、赤らんでいる気がした。

 ここで私の願望は儚く散ったことになる。あわよくばと思ったが、その眼差しからしてどうやら本気のようだ。

 私は一呼吸おき、晴臣に話しかけた。


「正直、私そういう気持ちわからない。好きだとか愛してるだとか、形式的にはわかるし、決してマイナスな意味じゃないのもわかる。でも、それ以上に理解できてないというか、このままなし崩しに付き合うのも違うと思う」


 晴臣は神妙な顔持ちで、静かに私の話を聞いていた。


「だからさ、私も晴臣の気持ちが理解できるように色々考えてみるから、答えが出るまで、ちょっと待っといてくれるかな」


 これが私の本心だった。

 もし付き合うのなら、何のしがらみもないようにしたい。もし付き合うのなら、別れて今までの関係を壊したくはない。

 多分、今の状態で付き合ったとして、今朝起きたことを何も知らないみそらは歓迎してくれるだろう。元からそういうやつだから。

 けれど、その先別れたとしたら私とみそらの関係、みそらと晴臣の関係、そしてもちろんのこと、私と晴臣の関係も修復不能になってしまう気がした。

 私の話を聞いた晴臣は大きく頷き、口を開いた。


「わかった。待つよ、遙が答えを出すまで。例え答えが見つからなくても、俺はいつまでも待ち続けるから」


 晴臣はそのはにかんだ顔をぶつけてきた。


「痛々しいな、そのセリフ」


「うるさいなぁ、本心なんだから仕方ないだろ」


 彼の照れた顔は、教室に戻った私の頭に痛烈に残り続けた。

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