異邦人 [SFファンタジー]

 石畳の路地で、私はぼーっと座って行き交う人を眺めていた。


 ここが何処なのか全くわからなかった。


 記憶喪失?


 …いや違う。記憶はある。

 私は山里早紀。都内の大学に通う学生…。


 確か、バイトに遅れそうで走っているところで…。


 そこから記憶がなかった。

 気が付いたら、この異国情緒あふれる街角でうずくまっていたのだ。


 …まさかこれは…異世界転生!!??


 …いや、いや、落ち着け私…。さっき、そこの窓ガラスで見たじゃないか。

 私は私だった。見知らぬ私にはなっていない。


 ってことは…異世界召喚的な…?

 しかし、そんなラノベみたいなことが起こり得るだろうか。


 さっきから道行く人を観察しているが、どうも言葉は日本語ではない様子だった。不思議と意味は分かるのだが…。


 それから、どこからともなく聞こえて来る歌声が気になっていた。

 聞きなれない響きなのに歌っている意味はわかる。


 《鳥や雲や夢を掴めよ旅人よ…》


 それにしてもこの街並み…。どこか中東の雰囲気ではないか?

 中東なのか? 行ったことがないのでわからなかった。


 こうして私が途方に暮れていると、声をかけてくる者がいた。


「さっきからずっとそうしてるけど、もしかして迷子?」


 同じ歳くらいの男の子だった。

 いろんな人種がミックスされた顔立ちをしてる人で、私はその人を美しいと思った。


 彼はとても親切そうな人で、ジェイと名乗った。

 私の名前は彼には発音しにくい様子だったけれど、なんとか「サキ」と覚えてもらえた。


 私の予想どおり、ここは東京ではなかった。

 何か街の名前らしい言葉を言われたが、私には発音できず、覚えるのを諦めた。


 喋りながらジェイくんはポケットからスマホのようなものを取り出すと、何かを入力していた。


「今、救助を要請したんだけど、迎えが来るまで時間がありそうだよ。よかったらこの街を案内しようか?」


 突然の展開に私が目をパチクリさせていると、ジェイくんはあははと笑った。

 その笑顔があまりに無防備で私はドキリとしてしまった。


「ごめん、訳解らないよね。先週からここの転送装置がぶっ壊れててさ、君みたいな迷子が続出してるんだよ。今、対策チームに連絡したから迎えが来るんだけど、何しろ混んでるからね」


 よくわからないけれど、私はジェイくんに街を案内してもらうことになった。


 ここは、とてつもなく風変りな街だった。


 広場には子供たちが集まって、空に向かって両手を広げていた。

 みんな黙ったままで、ひたすらそうしているのだった。

 私にはそれが、日光を浴びている植物のようにも見えた。


 一方の大人たちはと言えば、忙しそうに道を通り過ぎたかと思うと、急に立ち止まり歌をうたったりしていた。

 その歌は、最初のころに私が耳にしていたあの歌だった。祈りのように私には聞こえた。


 ジェイくんは市場のようなところを案内してくれたが、屋台に並んでいる商品が、私には何一つ馴染みがなかった。

 その用途すらわからない。食べ物なのかそうでないのかもわからなかった。


 人の流れに飲まれそうになってふらついていると、ジェイくんが私の手をしっかり握って引っ張ってくれた。


 私は彼とずっと一緒に居たいと思ってしまった。

 彼の手をぎゅっと握り返すと、ジェイくんは私の指に自分の指を絡ませて、しっかり手を握ってくれた。


 そして振り向くと「大丈夫?」と優しい声で言ってくれた。

 私はのどまで出かかった言葉を飲み込んだ。


 …帰りたくない。


 もっとジェイくんを知りたいと思った。

 それから、ここの街のことも。何もかもが不可解なこの街をもっと知りたいと思った。


 だけれども、私にはそれは許されていないようだった。


 制服のようなお揃いの服を着た男たちが三人やってきて、準備が整ったことを私たちに告げたのだ。


「よかったね、君の故郷がわかったみたいだよ」


 ジェイくんがにっこり微笑みながら言った。

 私は「…うん」と言ったが寂しさが全身から溢れ出てしまっていたかもしれない。


 ジェイくんは私の手を握ったまま、制服の男たちについて一緒に来てくれた。


 男たちは私を大きな建物へと案内した。

 中に入るとそこは何か宗教的な施設のようだった。


 正面に祭壇のようなものがあり、大きな象が鎮座していた。

 もちろん見たこともない象だったが…。動物なのか神なのかもわからない。


「この度は、わが国の不祥事により、多大なご迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます」


 男たちは私に向かって深々と頭を下げた。


「これから帰還の儀を執り行います。聖域にお進みください」


 “聖域” の意味が解らずにジェイくんを見上げると、彼は床を指さし教えてくれた。


 そこにはどこかで見たような文様が書かれていた。


 すごく見覚えがある…何だったか…。


 そして私は思いだした。


 埼玉県のマーク…。


 なぜ…。


 考えてもわからないことだった。


 私はジェイくんに促されるままに、埼玉のマークの中央に立った。

 すると制服の男たちが深々と礼をして、例の歌をうたい始めた。

 街中で大人たちがうたっていたあの歌だ。


 彼らが歌い出すと、私のまわりに青白い光が集まりだした。


「これよりサキ・ヤマサトの転送を開始します。なお、時間も移動することになりますので若干の時空酔いが発生する可能性があります。予めご了承ください。苦情申し立ては N8000-2356G22335まで…」


 私は男たちの言葉を途中から聞いていなかった。


 ここから飛び出してジェイくんの胸の中に飛び込みたいと思ったけれど、体が動かなかった。


 知らず知らずに涙が流れていた。

 私は本当に戻りたくないと思った。


 そんな私の様子に気が付いてくれたのか、ジェイくんが青い光の中に入って来て、そっと抱きしめてくれた。

 そして耳元で「元気でね」と彼は言った。


 ジェイくんの腕も声もとても優しかったけれど、それだけだった。

 彼の中に何か特別な感情はない…私はそう悟ってしまった。


 彼にとって私はただの通りすがり。多くの迷い人のひとりにすぎない。

 ちょっと振り向いてみただけの異邦人。


 私はジェイくんを押し戻すと、がんばって笑顔を彼に見せた。

 せめて、最後に見た私の顔が笑顔であるように。


 ジェイくんも笑顔を私に向けてくれた。


 青い光が強まり、ジェイくんも、制服の男たちも見えなくなった。

 ただ、不思議な祈りの歌だけが響いていた。


 私は徐々に気を失った。


・・・


 目をあけると私は病院のベッドにいた。

 体を起こすと酷い眩暈がして吐き気がした。


 思わず吐いてしまった。

 手探りでナースコールを押した。


 バタバタと足音がして、看護師さんと両親が病室に入って来た。

 両親は泣いていた。


 何でも、私は道で滑って頭を打ち、5日間目昏睡状態だったようだ。


 それからいろいろな検査を受けたが、脳には異常は見られなかった。


 私は気を失っていた間の体験を誰にも話さなかった。

 それは私だけの秘密だから。


 この哀しみは私だけのものだから。


--------------------------

曲からイメージして物語を書く、という企画で『異邦人』を元に書きました。


https://youtu.be/5raK_iAFrn8

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る