虚構の兎 [SF]

静寂を破る放屁の音が部屋中に響き渡った。


私は父さんを睨みつけた。

何だってこんな奴の娘に生まれてしまったのだろうかと自分を呪う。


静まり返った寺の控室で私たち親子は向かい合って座り、無限の時を過ごしていた。


いや、無限に感じているのは私だけかもしれない。

父さんはさっきから呆けた表情で中空を見つめ、何かブツブツ言っている。

自分が屁をしたことすら気が付いていないのでは。


こんな人が大学教授だなんて信じられない。


職場でどんな顔をしているのか知らないけれど、この人の心は虚無だ。

何もない。


だらしないスーツに油っぽい髪。

分厚い眼鏡に無精ひげ。


おまけに飛び出た前歯のせいで兎に見える。

人間のふりをした虚構の兎だ。


その日は母さんの二十三回忌だった。


百年ほどの長い時間待たされた挙句、たった数十分で法事は終わった。


父さんは大学に用事があるからと言ってそそくさと姿を消した。


私がひとり家に帰ると、玄関の前に女が立っていた。


見知らぬ女だった。


女は私を見ると足早に近寄って来て「和田教授の娘さん?」と声をかけてきた。

私は思わず「はい」と返事をしてしまった。


すると女は、ついに見つけた…などと小さな声でブツブツ言い始めた。


私は少し怖くなってそのまま家に入ろうとした。


すると、女は私の腕を掴んで「あなたはお父さんから知らされているの?」と詰め寄って来た。


女の手を振りほどこうとしたができなかった。

爪がぐいぐい食い込んで痛かった。


私が黙っていると、「なんと罪深い…」と言いながらやっと手を放してくれた。


そしてバッグから古い雑誌を取り出すと、それを私に押し付けながら「真実を知りなさい!」と叫んだ。


言い終えると女は満足そうな表情になり、去って行った。


心臓がバクバク鳴った。こんな怖い想いをしたのは生まれて初めてだった。


何だったんだ…あの女…。


私は震える手で雑誌の表紙を見た。

古いオカルト雑誌だった。


付箋がしてあったので、そのページを開いた。


そこには、「天才科学者 和田博士の悪魔の実験!!!」と見出しがあり、若いころの父さんの写真がでかでかと載っていた。


やめればいいのに、私はそのページの記事を読み始めた。


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当時T大学の准教授だった和田博士は、亡くなった妻のがん細胞を使って不老不死の身体を持つクローン人間の生成に成功した。


秘密裏に進められていたこの実験は勇気ある助手のひとりによってリークされ、世に知られることとなった。


大学側はこの事実を否定しているが、同年に和田博士は大学から解雇されている。


その後、博士の行方はわかっていない。


ただ、生成したクローン人間を実の娘として育てているとのもっぱらの噂だ…。


果たして事の真相はいかに!!!


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後ろで放屁の音がした。

振り返ると、父さんが見たこともない表情をして立っていた。


その顔は、外国のアニメに出て来る狂った兎そのものだった。


「と、父さん? なんか変な人がこれを…」


私が言うと、それが合図になったかのように父さんは飛び上がり、そして走ってどこかへ行ってしまった。


あまりに驚いていた私は追いかける間もなく、そのまま父さんを見失ってしまった。


それきり父さんは帰ってこなかった。


今まで職場と聞いていた大学に連絡してみると、そんな教授は働いていないと言われてしまった。


全てが虚構の渦に巻き取られ、私は自分が誰なのかもわからなくなってしまった。

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