春の魔物 [ファンタジー]
春休み。それは終わりと始まりが混在する期間。
春休みには “時の魔物” が住む。
静かな山村の子供たちが囁く噂話だった。
小学四年生の春休み。コウタは神隠しにあった。
その日、彼は独りで村はずれの神社に遊びに行った。
桜が見たかったのだ。
古い鳥居をくぐると楽器の音が聞こえた。拝殿の方から聞こえてくるようだった。
行ってみると、賽銭箱の上に人が座っていた。長い黒髪の大変に美しい人だった。
その人はギターのような楽器を弾いていた。
コウタがうっとり眺めていると、向こうもこちらに気が付いて演奏の手を止めた。
「おや、これはめずらしい」
その声を聞いてコウタはこの人が男性であることを知った。
美しい人はサッと飛び上がるとコウタの目の前にふわりと舞い降りた。
それと同時にどこからか犬のような顔の男が現れて「ヒジリ様。なりません」と言った。
ヒジリ様と呼ばれた人は片手を挙げて犬顔の男を黙らせるとコウタに向かってこう言った。
「君はここにいてはならぬよ」
返事をする間もなくコウタはヒジリ様に抱きかかえられ鳥居の前に戻された。
「さあ、すぐにお帰りなさい」
コウタは怖くなってそのまま逃げるようにして神社から出た。
神社から出て振り返ると、ヒジリ様の姿はもうなかった。
夢でも見たのか…とコウタはぼんやりする頭を抱えて家に帰った。
コウタが帰ると家は大騒ぎになった。
どうやらコウタは一週間姿を消していたようだった。
コウタは自分の体験を話したが大人は誰も信じてくれず、子供たちの噂話だけが後に残った。
それから年月が過ぎ、コウタは高校三年生になった。
最後の春休み、コウタはふと思い立って久しぶりにあの神社へと向かっていた。
四月からは大学に通うため村を出ることが決まっていた。
村では過疎化が進み、若者はみんな都会に出てしまった。
神社に近づくと楽器の音が聞こえてきた。
コウタは走った。
鳥居をくぐり、参道を走り、拝殿へと向かった。
そしてあの人を見た。
…ヒジリ様!
ヒジリ様は前に見たままの姿で賽銭箱の上に座っていた。
楽器をかかえて爪弾いてはいたが、表情は虚ろだった。
コウタが近づくと、犬顔の男が急に現れた。
「待っていたぞヒトの子よ」
「何? 俺?」
犬顔は懐から手ぬぐいを取り出すと、コウタに渡しながら話を続けた。
「ヒジリ様はご病気になられた。あの時お前に触れたことによって祟られてしまったのだ」
受け取った手ぬぐいを開くと中に大きな釘が五本と金槌が入っていた。
「ヒジリ様の下に影が見えるか?」
犬顔が指さした方を見ると、確かに真っ黒な影が見えた。
コウタが頷くと犬顔は話を続けた。
「このままではヒジリ様は祟り神になる。必死で抗っておいでだが、限界は近い。その釘で祟りを固定できる。元凶であるお前がやらねば効果はない」
コウタはゴクリと唾を飲み込んだ。
「どうだ。やってくれるか?」
聞かれるまでもなかった。
「もちろんだけど、本当に俺にできる?」
犬顔は無言で頷いた。
コウタは釘と金槌を握りしめ前に進んだ。犬顔が後からついてきた。
賽銭箱の裏にまわると床に影が落ちていた。
実に禍々しい影だった。
「どこに刺せばいいの?」
「影の中、まんべんなく、均等に」
コウタは釘を取り出し、影の真ん中めがけて打ち込んだ。
釘は見事に刺さったが、何の手ごたえもなかった。
拍子抜けして犬顔を振り返ると、彼はうんうんと頷いていた。
コウタは次々と残りの釘も影に刺した。
五本の釘を刺し終えると、ヒジリ様がゆっくりと賽銭箱からずり落ちた。
犬顔がヒジリ様の体を支え賽銭箱から遠ざけた。
見下ろすと影はまだそこにあった。
「うまくいったの?」
「予想以上に」
その言葉とは裏腹に、ヒジリ様はぐったりして動かなかった。
犬顔はヒジリ様を拝殿の中へと運ぼうとしていた。
「あ、ちょっと、影はどうするの?」
「それはもう剥がれた。無害だ」
それを聞いてコウタも拝殿へと入った。
拝殿の中にヒジリ様は寝かされた。
あまりの美しさに手を伸ばして触れたいと思ったがぐっと我慢した。
「心配はもうない。あなたはもう行きなさい」
犬顔が急かすように言った。
コウタは以前ここに来た際、外では一週間が経っていたことを思い出した。
「やべ、俺、どれくらいここにいた?」
犬顔はじっと黙ったままで深々とお辞儀をした。
コウタは急に怖くなった。
「じゃあ、俺、帰るね」
ヒジリ様が目を覚ますまで居たくもあったが、一刻も早くここから出たいとも思った。
コウタは参道を走り抜けて神社の外へ出た。
振り返ると神社はひっそりとしていた。ヒジリ様も犬顔も消えてしまったのだ。
さて、あとは一体どれくらい時間が経っているかである。
春休みを失ったくらいであればいいとコウタは祈りながら家路へとついた。
村の方へと向かうと、コウタは不安を覚えた。
木々の感じが違って見えた。
神社から一番近い吉田さんの家がなくなっていた。
コウタは恐怖に怯えながら走った。
やっとのことで村の中心部に来たが、村はなくなっていた。
それから間もなく、外の世界では百年の時が流れたことをコウタは知った。
彼はその運命から数奇な人生を送ることになるのだが、それはまた別のお話。
また別の機会に。
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