PN回路

春夏あき

PN回路

 アジア国際都市の郊外に作られたこのスラムには、定期的に妙な物が舞い込んでくる。が、その理由はわからない。近くにアジア中央宇宙センターがあるためかもしれないし、このスラムの土地が低いためかもしれない。それはある時はアフリカ帰りの旅行者が持ち込んだ伝染病だったし、またある時は違法部品屋が持ち込んだ厄介なウイルスパーツだった。ともかくこの街は厄介者を引きつけるらしい。そしてまた、このスラムに良からぬものが現れたようだ。

「なに、それじゃこのスラムに──」

「"PN回路持ち"がいるとか──」

 噂は実態を持たないが故、噂の内容そのものよりも伝播しやすい。私がその噂を初めて聞いたのは、馴染みの部品屋で買い物をしていた時のことだった。

「お前も聞いたことがあるかい」

 店長のラッツが、ずいぶん旧式の発声装置をがくがくさせながら言った。狭い店内には気の利いたBGMもなく、空気を撫でつけるだけの空調がブンブン唸っているだけだった。だからその声は、スチールラックに乱雑に置かれた中古部品を吟味している私の耳によく聞こえてきた。

「何を?」

「とうとうこのスラムに、PN回路持ちが現れたんだってよ」

「……そう」

 自分でも味気ないと思う返事を返し、私は部品たちに意識を戻した。そんなくだらない話に耳を貸す暇があれば、少しでも部品に意識を裂いた方がいい。ラッツはウイルスパーツや違法改造品に手を出すような奴ではないが、平気で値段を偽ってくる。ただの料理プログラムを相場の五倍近い値段で売っているのを見つけた時、私はよっぽどこいつをぶん殴ってやろうかと思った。買取が他よりもましな分、私はこの店をよく利用しているが、それが騙されてもいい理由にはならない。戦闘中のように慎重に中古品を見ていき、そしてようやくお目当ての部品を見つけて手に取った。

 最近増えてきている火星産の武器に対抗するための、アナロティクスプログラムが搭載された基盤をレジに置く。値段は5000ギル。贅沢しなければざっと五日ほどの生活費になるが、だからといって回路をケチって死んでしまっては元も子もない。

「興味ないのか」

 ラッツは回路を袋に入れながら、またもや話しかけてきた。こいつはこの手の話に目がない。感染症や凶悪犯罪者には素っ気ない態度をとるのに、ウイルスパーツなんかは目をキラキラさせながら話しかけてくる。多分根っからのエンジニアなんだろう。

「少なくとも、この基盤よりは」

「そんなこと言うなよ、PN回路だぞ」

「今時そんなもの、子供でも信じない」

「しかし夢があるじゃないか。もしPN回路が本当にあるんだったら、そいつを使いさえすれば傭兵業なんか楽々こなせちまう。そしたら生物検査に備えて目と脊髄あたりを買って、市民票も買えば都市に住める。はれてこのスラムともおさらばって訳だ」

 それこそ子供でも信じない話だ。

 金と基盤を交換しながら私は考えた。冷凍精子から作ったただの指ですら一本当たり50万ギルはかかるのに、脊髄なんて買おうと思ったら天文学的なお金が必要になる。それこそPN回路があったとしても、骨を折ることになるだろう。

「もし見つけたら、俺にも触らせてくれよな」

「はいはい、またね」

 私はラッツの声を聞き流しながら、回路の入った袋を持って店を出た。

 そこはどこにでもあるスラムの裏路地だった。正面には50センチもないような距離で建物の壁がにょっきりと生えていて、左右にはその幅のまま、曲がりくねった道が延々続いている。日は既に沈んでいて、等間隔に設置された街灯が道をぼんやりと照らしていた。ところどころにある窓からは優しい光が漏れ出していて、腐った野菜と脂の醸し出す胸の悪くなるような匂いが辺りに注いでいた。私はそんな道をどんどん進んでいった。

 新聞紙にくるまって眠る産業ロボット、酔って喧嘩している刺青の入った人間、店先で前腕部の修理を受けているアンドロイド。種種雑多な者たちが闊歩するこの街は、ある意味世界一優しい街と言えるだろう。この街では種族の違いなど微々たるものでしかない。ロボットだろうが人間だろうがアンドロイドだろうが、ここへ来るということは、実社会から用済みの烙印を押されているということだ。しかしこの街の住民は、掟に従いさえすれば傷口を舐めてくれる。決して楽な仕事とは言えないが、日雇いの傭兵業ならいくらでも湧いてくる。多少不味い飯を食べる覚悟があるやつにすれば、この街程住みやすい所もないだろう。

「やあ、どこへ行くんだい?」

 誰かのゲロを避けながら道を歩いていると、不意に声をかけられた。振り返ると、所狭しとポスターが貼り付けられた掲示板の前に、戦友のハルが立っていた。背中にしょっている長物は原子銃だろうか。首からは一つ前の仕事で狩ったらしい水生生物の頭蓋骨がぶら下がっていた。

「今帰るとこ」

「ふーん。ねぇ、今度の仕事の内容見た?」

「いんや」

「それじゃ今見てよ、今回のは凄いよ」

 私は軽く肩をすくめて見せてから、帰り道を外れて傭兵屋へ寄ることにした。

 薄暗い店中には既に二、三人がいた。皆目つきが鋭く、壁に無造作に貼られた庸平募集の紙を真剣に見つめている。いつ死ぬかもわからないこんな仕事に従事する奴特有の癖だ。店内には緊張した雰囲気が漂っていたが、ハルの甲高い声がそれをぶち壊しにした。

「ほら、これこれ」

 パラジム合金の指が指し示したのは、その二、三人が見向きもしない壁の紙だった。その辺りには完遂が非常に難しい仕事が多く紹介されていたが、ハルの言う仕事はその中でも異彩を放っていた。

「太平洋第七プラントの奪還作戦?」

「そ。なんでも作業員達が立てこもってて、それをなんとかして欲しいってさ」

「作業員程度なら政府軍でもなんとかできるんじゃないの」

「それがそうもいかないみたい。作業員達に武器を横流しした輩がいるみたいで、奪還は難航をきわめてるとかなんとか。まさか善意で武器を渡すなんてことはしないだろうから、何かしら大きな計画を警戒してるところらしい」

「なるほどね」

 私はこの仕事を受けることにした。近頃激しい戦闘をしていなかったせいで、身体が鈍っていたからだ。それにこの仕事は、他よりも五割ほど報酬が良かった。恐らく早くかたをつけたいためだろうが、その理由はどうでもいい。大事なことは、このスラムで生きていくための生活費を稼ぐことなのだ。

 その後、私とハルは二言、三言交わして互いに帰路についた。決行は明後日。当日に店の前に政府の連中がやってきて、エア・バスで拾ってくれるらしい。

 すっかり遅くなってしまった道を行き、私はようやく家にたどり着いた。それは隣家に寄りかかるようにして何とか立っているようなぼろいアパートだが、私の大事な城だ。いつ抜け落ちるかとひやひやする錆びた階段を上がって戸を開くと、見慣れた家具たちが主をじっと見つめてきた。

 私は後ろ手に鍵を締めて埃っぽいソファに座り込み、机に置きっぱなしにしてあった工具を手に取った。明日もまた仕事がある。それが始まるまでに回路を導入しておかねばならない。いつ買ったかもわからない服を脱いで腹部の人工皮膚をぺりぺりとめくると、その下から現れたのは筋肉の赤ではなく合金の灰だった。それは一目でわかる、人間ではないという確固たる証拠だ。培養された脊髄をいくら買ったところで、私が人間になることは有り得ない。この身体に意識を宿した頃はそう思う度泣きそうになっていたが、今となってはもう何も感じなかった。アンドロイドは死にたいと思えばいつでも死ねる。非登録アンドロイドには命令遵守機構が備わっていないため、自身が望めばすぐにメインコアを小爆破で破壊できるのだ。しかしそれをしようとしないのは、するのが怖いと感じるのは、アンドロイドの唯一の欠陥だろう。

 私は工具を腹部パーツに突き立ててパカリと開き、そして腰を目一杯曲げて内部の挿入された回路たちをじっと見つめた。私は第五世代のアンドロイドだが、流石にマザーボードにはいくつか空きがある。袋から回路を取り出して、そして空きスロットにゆっくりと挿入した。

 途端、私の意識へ何者かが侵入を試みる。これまでは私自身が完璧にコントロールできていた意識という名の大河に、突然大岩を投げ込まれた気分だ。そのまま流れを止めなければ、岩はやがて打ち砕かれてなくなる。だが岩に負けて流れの方向を変えられれば、意識は破損する。最悪の場合は自我にも傷がつく。そうなってしまっては日曜エンジニアの私には対処できないので、ならないことを祈りながら、ゆっくりとソファに背を預ける。

 こんな時のコツは、思考を消すことだ。一度河を干上がらせてやればいい。そのあと少しずつ水を流していけば、それは何事も無かったかのように流れを取り戻す。

 しかし上を向いて目を閉じる私の頭には、ラッツが言っていた例の言葉がぐずぐずと残っていた。私がいくら考えるのを止めようと目をぎゅっと瞑っても、その度にそれは大きくなっていくようだった。

 PN回路とは、この街に住むアンドロイド達が誰しも一度は夢に見る回路だ。かつてアンドロイドの素体を作り出した博士が死ぬ間際に書き記したとされる、極限まで最適化された戦闘用回路。命令系統はこの世で最も電気伝導率が高い合成金属のみで構成されており、戦闘中に命令の優先順位を変更できるよう、至る所にショートカットが作られている。また基盤に搭載された小型の電波受信装置は世界各国の軍事基地とバックドアを介して繋がっており、日夜膨大な量の戦闘データを取り込み、回路内に搭載されているナノロボットが回路を物理的に作り変えてくれる。故に回路保持者は常に最適な状態で戦闘を行うことができる。

 3000勝0敗とは誰が言い出したか、PN回路保持者の戦績だそうだ。それもその大半が、異星人の鎮圧やテロリスト殲滅など、命がいくつあっても足りないような危険な仕事で占められているらしい。どんなに危険な任務でも必ず生還するため、PN回路保持者は不死身であるとも言われている。

 そんな仕事ばかりをこなすことができるというのなら、ここでの暮らしも随分と楽になる。脊髄を買うのは無理にしても、もう少し大きな家に住んで、温かい食事を満足に食べられるようになる。それがどんなに望みの薄い話だとしても、縋りたくなってしまうというのにも頷ける。

 しばらく物思いにふけっていた私は、ふっと気付いて時計を見た。

 針は十二時を回っていた。どうやら考え込んでいたようだ。

 すっかり意識の良くなった私は、腹部パーツをぱたんと閉じ、道具類を机の上に残したまま、ソファに寝転がって目を閉じた。次第に薄れていく意識の中、私はまだ見ぬPN回路のぼんやりとしたイメージを、頭の中に描くのだった。



「これで全員か」

 流線型のエア・バスの前に立っている政府高官が、人数を数えながら叫んだ。バスの前にいるのは私、ハルを含めてたったの三人。やはりこの街の住人にとっては、少々難易度の高い任務だったのだろう。

 ハルに声をかけられてから二日後、私は依頼文通り、例の店の前に向かった。そこには役人特有のインクの匂いが漂ってくるひょろりとした男が立っていた。男はパリッとしたスーツを着ており、この街にはとても場違いに見えた。

 そこにはハルの他に、もう一人、男性型のアンドロイドが立っていた。外見から推測するに、恐らく第四世代。生産年代にもよるが、私の先輩だ。彼は腰に拳銃を一丁だけ引っ提げていて、それ以外には何の武器も持っていなかった。依頼内容を理解できないただの馬鹿か──それとも、自らの技術によっぽどの自信を持っている馬鹿か。

 出発の時間がくると、私達はバスに乗り込んだ。車内には四、五人が既に乗っていて、皆ブスッとした顔で押し黙っていた。こんな場所で談笑している奴らなんていたら、そっちの方がおかしいと思うが。

 こんな雰囲気では私もおしゃべりする気になれず、バスが目的地へ向かう間中、私もハルも黙ったままだった。

「この先は既にプラントからの射程圏内だ」

 例の高官が、運転席の隣から車内に叫んだ。観光バスにしては随分物騒な紹介文句である。

「このバスにはダミー装甲が張られているから、今は空の色に擬態できている。だがパラシュートで降りればそこはもう戦場だ。お前らの任務は道中でも説明した通り、第七プラントの奪還だ。何人殺しても構わない。だが海底採掘用の道具には決して手を触れるな。いいな?」

 かくして計画が開始された。雇われた者たちはパラシュートを片手に、次々とバス後方から宙へ身を躍らせた。

「こんなところで死ぬなよ」

「お前もな」

 ハルは軽口を叩いて空へ飛んだ。私も腰にささった得物──超振動ブレード──や無線機、パラシュートなどの確認の後、後に続いた。

 空の青と海の青。水平線の彼方まで広がる青色にサンドイッチされるように、第七プラントがあった。ちょっとしたマンション程の大きさで、あちこちからベルトコンベアや太いパイプが見え隠れしている。先に降りた仲間たちが、プラントの壁や床に蟻のようにへばりついているのが見えた。

 重力という強大な力に引き寄せられる私は、敵から撃たれるのを防ぐため、脚が故障してしまわないギリギリの衝撃で済む高度からパラシュートを展開する。お陰で地面の鉄板に着地するとき、どごんという鈍い音がした。生身の人間なら間違いなく骨折していただろう。

「敵襲! 敵襲だ!」

 先に降りた仲間が戦闘を始めたのか、プラントのサイレンから緊迫した声が聞こえる。奴らに反撃の隙を与えぬうちに、倒し切らなくてはならない。

 私は無線機に気を配り、インプットしてあった設計図を視界に映し、プラントへ侵入を開始した。

 ドアを蹴破り、超振動ブレードを脇に携えたまま、プラント内の部屋を次々クリアリングしていく。連中も馬鹿ではないのか、外壁に接した部屋には人気が無かった。恐らく中央辺りで引きこもっているのだろう。

 錆びつく鉄板を踏みしめる音を極力抑えながら廊下を走っていると、私の集音器が、前方からガチャリという銃器の音を拾った。恐らくあの角に一人いるのだ。

 私は奴の射線に入らぬよう、床を蹴って天井近くまで飛び上がった。

 そして角から身体を出すと、やはりそこには一人の人間がいた。対アンドロイド用の電気銃を携えていたが、彼は宙にいる私を見て驚いた顔をした。慌てて照準を合わせようとするが──。

「残念」

 私はそれよりも早くブレードを振り下ろした。

 ごぽりという、排水溝に汚物が流れるような音とともに彼の頭部が二つに切り裂かれた。動脈から血が噴水のように噴き出すが、それが地面に着く頃には、私は彼の遥か後方にいた。本当に残念だ。彼は私に返り血すらつけられなかったようだ。

 私は勢いを殺さぬまま廊下を走り続けた。道中何人かの作業員に遭遇したが、皆大した強さではなかった。使っていた武器もどこでも買えてしまうもので、およそ脅威と呼べるものではなかった。

 政府連中の勘違いか?

 私はそう思った。しかし次の部屋に入ろうとドアを開けた時、その考えこそが勘違いであるということに気付かされた。

 私がそのドアを開けた瞬間、「危ない!」という声と共に後ろに引っ張られた。

 思わず後方へ倒れ込む。すると私が直前まで顔を置いていた空間に、一発の弾丸が飛来して、そのまま後方へ抜けていった。──背後にある壁に、音もなく真円を描きながら。

「大丈夫か?」

 床に倒れ込んだ状態で、真上から声をかけられた。そこにある顔は、私が直近で見たことのある顔だった。たしか──。

「あぁ、自己紹介がまだだったな。俺はザジ。あんたとは、バスの前であったのが初めてだな」

 私は彼の差し出した手を握り、床から立ち上がった。

「助けてくれてありがと。……状況は?」

「設計図を見てもらったらわかると思うが、この部屋の先はもう採掘場入り口だ。扉は電子錠がかかってるが、スーパーコンピュータを使えば無理矢理開けられる。連中に武器を流した奴らの狙いは、そこにある何かなんだろうな」

 私は弾丸が開けた穴を指でなぞり、その鋭いエッジにぞくりと背を震わせた。

「反物質弾を横流しできるなんて、よっぽど上の人間だと思うけど」

「だろうな。俺は火星あたりの自治区が、地球に反感を買ってると思ってる」

 ザジは拳銃を握りしめぽつりと呟いた。その推理が合っているにしろ間違っているにしろ、私達の任務に影響はない。なぜなら目的は、奴らの殲滅ただ一つだけだからだ。

「お前は無線を使えるか?」

「え?」

 そう言われてみて、初めて無線からノイズしか聞こえないことに気がついた。先程までうるさいくらいに聞こえていた皆の叫び声が、今では完全になくなっていた。

「どうやらジャミングされているようだ。助けを呼びに行ってもいいが、さっきお前が開いたドアからみたところでは、連中、既に電子錠の解読を始めていたな」

 ザジは拳銃を握り直した。

「俺が突入する。合図したらお前も入ってきて、援護してくれ」

「まさか、危険すぎる。手足はともかく、胴体に一発当たっただけでも致命傷になりかねないのに」

 ザジは私の方を振り向いて、少し思案して、そして告げた。

「大丈夫さ。──なぜなら俺は、PN回路を持ってるからな」

 それがどういう意味なのか理解する前に、彼はドアを蹴破って室内へ躍り込んだ。

 途端、ザジを掠めるように反物質弾が空間を飛ぶ。しかしザジは、その攻撃を身体を捻るだけで受け流した。そして勢いを殺さぬまま、陣形を組んだ連中に構わず飛び込んでいった。

 一人が銃口をザジに向ける。だがその向こうには味方がおり、彼は引き金を引けなかった。ザジは銃口をぐいと掴み、彼を地面へ転ばせた。そのまま身体を反転させ、背後からストックで殴ろうとしていた一人に拳銃を撃ち込む。

「EMナイフを使え!」

 連中の一人が叫んだ。対アンドロイド武器の、電磁波発生装置を取り付けたナイフだ。

 まさかこんなものまで横流しされているとは、と考えながら、私も扉から身体をのぞかせた。

 ザジを囲むようにして、二十人程の人間がいる。先程の声に応じて、何人かがナイフを取り出した。

 ジリジリと前へ詰めていく。ザジは動かない。ある一線を超えたとき、ナイフは一斉にザジに襲いかかった。ザジはまず、真上へ高く飛び上がった。しかしただ飛び上がるだけでは格好の的になってしまう。彼はそのまま天井まで飛び上がり、それを床のように蹴った。落下しながら拳銃を撃つ。二人が倒れ込み、床にナイフを取り落とす。何人かがナイフを上に構える。落下してくるザジを狙っているのだ。

 私は背中からサブアームのライフルを引っ張り出し、そして胴体をがら空きにさせた奴らに何発かを撃ち込んだ。

 真横からの銃撃を食らい、脇腹を押さえてよろめく。ザジはちらりとこちらを見た。それから拳銃を正確に五回撃ち、新たに増えた死体に着地した。そこへめがけて職員が銃を撃つが、ザジは稲妻のように連中に襲いかかった。素晴らしい反射神経だった。距離わずか十メートルで放たれた弾丸は、彼を掠めることすらしなかった。そのまま混乱する職員たちの中へ突っ込み、乱戦へもつれこませる。連中は武器を使う暇もなかった。ザジが急所を確実に狙い、そのたびに床に倒れる人の数が増えていった。

 これはひょっとすると、彼は本当に──。

 センサーがいくつかの足音を検知した。仲間ならもっと静かに歩くはずだ。それに味方識別の合図、特殊な周波数のチャンネルを持っていない。

 部屋の右側に取り付けられたドアが開き、武装した職員が何人か見えた。増援だ。

 ザジもそれを把握したようで、最後の一人の額に銃弾を撃ち込んでから、手近にあるコンテナの裏へ隠れた。

 このままでは埒が明かない。とにかく連中の目的だけは止めなければ。

 身体を隠しながら部屋をじっくり観察する。広さは50メートル四方。奥の壁に大きな丸い蓋が取り付けてあって、側にはごついコンピュータが置かれている。電子錠を解読しているのはあれだろう。

 超振動ブレードを起動する。グオンと音がして、空気中の酸素分子がオゾンに化学変化し、特異臭を漂わせる。私は足に思い切り力を込め、ブースターも使って入口から大きな跳躍をした。

 身体をできるだけ小さくし、ブレードを盾のように構える。携帯兵器の銃弾なら確実に防ぐことができるが、果たして反物質ではどうだろうか。

 壁際にいた何人かがこちらに気づき、そして引き金を引いた。空気銃のような軽い音と共に、死神の手がこちらへ迫ってくる。

 一発目、二発目は、ブレードの中程に当たってブーンと音を響かせただけだった。三発目は足の甲を貫いた。だが運動に支障はない。法律で義務付けられている痛覚も、回路の一つが消してくれる。四発目はブレードの刃に当たり、軌道を変えて天井に吸い込まれていった。

 重力に引かれ、中空から一気に落下する。着地と同時に前転し、さらに距離を伸ばす。起き上がると同時に、コンピュータの側にいた一人にブレードを叩き込んだ。「ぐえ」と声を上げて、そのまま倒れ込む。

「コンピュータを止めろ!」

 ザジが叫ぶ。言われなくてもわかっているさ。

 私はブレードを構え、そして今なお数字の羅列を表示するコンピュータに思い切り突き立てた。刃は金属を豆腐のように貫いて、コンピュータの機能を停止させた。

 それから脚のスプリングを解放し、連中が弾丸を打ち込む前に、ザジと同じコンテナの裏に飛び込む。一拍遅れてコンピュータがハチの巣になった。

「光度を下げろ!」

 ザジがどこから取り出したのか、閃光グレネードを天井へ放り投げた。制御装置に電流を流し、受け取る光度を低下させると同時に、それが起爆した。

「うおっ!?」

「うろたえるな! 撃てっ!」

 銃器がタラララッとタイプライターのような音を立てる。それらはコンテナ周辺にばらまかれたが、そのころには私たちはもう、奴らの真横まで来ていた。

 ザジが拳銃を精密機械のように使い、連中の急所を確実に打ち抜く。私はブレードを振るい、ザジが撃ちのがした職員を斬りつけていった。

 やがて最後の職員が倒れた後、床は真っ赤に染まっていた。ザジが通路のドアを閉じ、人差し指から火花を散らせ壁と溶接した。これでもう、追手が来る心配はない。

「あなたの身体、随分便利ね」

「色々改造してあるんだ……お前さんと同じようにな」

 溶接が終わったザジは振り返ってそういった。

「早く味方と合流しよう。まだ残党兵がいるかもしれない」

 私はこくりと頷き、ブレードの電源を切った。そして並んで部屋を出ていこうとしたとき──プスリと、気の抜けた音が部屋に響いた。

 私は音のした方を向いた。ザジがいた。アンドロイドにとっての心臓部、メインコアのある胸部に真円を開けたザジが。

「残党──」

 無意識の内に身体が動いていた。反射回路に予めインプットしてあった身体動作が、早送りでもしたみたいに私を動かした。ブレードを手に持ち、危険からできるだけ身を遠ざけ、原因を排除する。たった三つのステップからなるシンプルなプログラムは、私の思考を瞬間的に占領する。

 バッと振り返る。死体の山に紛れるようにして、一人の職員が銃を構えていた。殺し損ねたのだ。

 身体をプログラムに委ね、他に無駄なことを考えない分、驚異的な速度で間を詰める。

 腕部アームが閃き、そいつはバラバラの肉片になった。

「ザジ!」

 反射回路が遮断され、ようやく普段の思考回路に切り替わった私は、慌てて彼の傍へ駆け寄った。もう長くない。はた目から見て判断できるほど、彼の傷は致命的だった。

「ぁああ……しくじった、最後の最後にな……」

「──こんなところで死ぬなよ。だってお前は、PN回路を持ってるんだろ!?」

 ザジは優しく笑った。それから腹部のパネルを開き、私に中を見るよう促した。

 そこには何もなかった。

 いや、正確にはいくつかの回路があった。しかしそのどれもが、ラッツの店でも見たことがあるような、初歩的な戦闘回路でしかなかった。

「まさか、PN回路なんて本当にあるわけがない。……あれは回路開発者達が計算理論を考えるために生み出した、全ての性能が理論値まで引き上げられた架空の回路なんだ」

 ザジは再び笑った。その笑みは先ほどよりも随分弱々しくなっていた。

 私は無線で仲間を呼ぼうとした。ザジはまだ、予備の思考回路で息を保っている。サブバッテリーが切れてしまうまでにメインコアを修復できれば、彼はまだ死なずに済むのだ。

 だがそれは叶わぬ望みだった。無線から聞こえてくるのは、冷たいノイズだけだった。

「……どうやらダメみたいだ。整備工場に行くのをサボっていたつけが回ってきたよ」

 私にはどうすることもできない。私はただのアンドロイドで、整備士でもなんでもない。私にできることは、ただ目の前で死にゆくザジを見つめることだけだった。

「これからは、君が回路の持ち主だ」

 彼は息も絶え絶えにそう言った。

 そのとき私は、PN回路の正体にようやく気がついた。

 なぜPN回路の持ち主は死なないのか。

 逆だ。

 PN回路だから死なないのではなく、──死なないからPN回路なのだ。

 戦闘で死ななかったアンドロイドが、PN回路の保持者になるのだ。これまでにも、今の私と彼のような回路の交換式が、きっと延々と行われて来たのだろう。

 私は何も言わずに、黙って彼へ敬礼した。それは新たな回路の持ち主が、自身の使命──すなわち、次の回路保持者を見つけるということ──を了承した証だった。

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PN回路 春夏あき @Motoshiha

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