15.「知らなきゃだめだと思った」

「なんで来てくれたの?」


 二人で学校近くの神社の木にのぼって、花の蜜を吸った。

「おれも嫌だったから」

「なんで?」

 隼人は日に焼けた指で花びらをくるくる回した。


「だっておかしいじゃん。いろんな家があんのに、あんな公開処刑みたいなことすんの。山路ってまじでうざいよな」

 私も激しく同意した。

「わかる。ていうか、わたしの親、リコンしそうなんだよね。勝手に巻き込むなって思うし」

「そうなんだ」

「そう。毎日喧嘩ばっかりで嫌になってくる」

 隼人は花びらをぽっと投げた。くるくると舞いながら地面に落ちる。


「うちは、どっちもいないから、あんまわかんね」

「え、ごめん……」

 とっさに謝ったけど、隼人は気にしていない風に笑った。

 この時、たぶん初めて笑った隼人の顔を見た。目じりがきゅっと上がって、猫みたいだなと思ったから。

「大丈夫、今じーちゃんたちと住んでるから。優しいし、どっちも」


 隼人は昔、お母さんと二人で暮らしていたらしい。本人には直接教えられていなかったが、実は隼人のお父さんには別の奥さんがいて、それでもいいからといってお母さんは隼人を産んだのだ。

 隼人を産んでから、お母さんは何度かお父さんに会いに行こうとしたらしい。でも、お父さんは断固として会ってくれなかった。

 奥さんは念願の子どもを授かっていた。隼人たち親子は存在しないものとして扱われた。


 小さい頃のことであまり記憶はないけれど、隼人は泣いているお母さんをよしよしと撫でていたことは覚えているらしい。

 お母さんは日に日に弱っていき、隼人をだっこする力も無くなってしまった。そして、ある日、この世にお別れをした。花が落ちるように、あっけなく。


 その後隼人はすぐにおばあちゃんの元へ引き取られたのだが、どうやって事の顛末を知ったのかというと、おばあちゃんが引き出しの中にお母さんの遺書を大事にしまっていたのを見つけたからだった。


 隼人を置いていかなければいけない悲しさ、やるせなさ。でも悪いのは自分だから連れていけない。『隼人、ごめんね』


「おれが知らないこと、教えてくれなかったこと、いっぱい書いてあった」

「見なきゃよかった?」

「いや、知らなきゃだめだと思った。母さんを捨てた男死ねと思って腹立ったし、母さんも、なんでそこまでしておれを産んだのかわからなかったけど」


 私は、どかんと重いもので頭を殴られたような気持ちになっていた。うちの両親は、まあいろいろあるけど、どちらも私を育てようとはしてくれている。

 でも世の中には、理由があってどうしても育てられなくなってしまう親がいるということを知った。


 隼人のお母さんの気持ちは、まだ子どもの私には違う世界のように遠く感じられた。

 でも、この世を去る時、痛かったかな、とか辛かったかな、とか考えてしまって、どうしようもなく涙が流れるのだった。


 私が何も言えないでいると、隼人は続けた。

「おれがもっと大きかったら教えてくれたのかな。辛かったらもっと直接言ってほしかった。どんな気持ちになっても。手紙って一気に気持ちを持たされるみたいで、なんか怖かった……」

 そこで言葉をつまらせて下を向いてしまったので、私は隼人の手を握った。小鳥みたいに、震えていた。


 隼人の小さいからだでは、まだお母さんの気持ちを抱えるのはあまりにも大きすぎた。きっとお母さんだって、そんなつもりではなかったはずだ。

 どうして神様は、隼人にこんな仕打ちをしたのだろう。


 一方その頃学校では二人の失踪で大騒ぎになっており、すぐに発見された私たちは大目玉を食らった。

 そんなことよりも、ずっと隼人のお母さんのことばかり考えていた。


「なんで手紙ってあるんだろうね。直接言えばいいのにね」

「な」


 私は今でも手紙を書こうとすると、あの日を思い出してお腹が痛くなる。

 隼人にとっては手紙を見るのも、開けるのも、深い傷口を開けるような行為だろう。

 だから私は約束したのだ、どんなことがあっても、気持ちは直接言葉で、と。

 だから、今私がしていることは、裏切りに近い行為なのかもしれない。

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