第2話 プロポーズ。

王都から離れた小さな農村にこのバルネフェルト男爵家別邸はある。


もともとは初代バルネフェルト男爵が病がちだった妻の療養所として購入したものだった。

それを初代の死後、現バルネフェルト家当主である老ヨハネスが、大枚をはたいて趣味の館に作り替えてしまったのだ。


老ヨハネスの趣味とは、


ーーーー園芸だ。


昨今の有閑階級で好まれる趣味の一つである。

特にバルネフェルト男爵ヨハネスの園芸趣味は貴族や富裕層の間でよく知られていた。


なぜか?


そう。

家門の財政が逼迫するほどの資金を注ぎ込んだから、だ。


元々老ヨハネスは熱中すると周りを顧みなくなるたちであるらしく、以前より趣味人として名を馳せていたのだが。


ある日、園芸に魅了されてしまってからは輪をかけてのめり込んでいった。

異国から珍しい草花を輸入するに留まらず自ら薔薇の品種改良にまで手がけ、大きな赤字を築いてしまったのだという。


(全ては成り上がり貴族との周りの評価を打ち消すための行為だった……と聞いているけど、やりすぎね)


趣味で行うにしては全てが大袈裟すぎる。


私は日傘の下から如何にも興味があるといった風情で薔薇を眺めた。

嫡孫バーレントが自慢するだけあり、薔薇に関して何の知識のない素人が見ても『一流なのだ』ということは理解できる。圧巻だ。

だけど。


(過ぎたるは猶及ばざるが如し、とは正しくこのことね)


家門を傾けるほどに注ぎ込むのはやり過ぎだと思うのだが、金持ちのすることは理解できない。



私は薔薇園をそぞろ歩くうちに名前もわからない数々の薔薇の中に一重咲きで小ぶりな花弁をつけた株に気づいた。

艶やかで大輪の薔薇の中にあっては異質だ。


「シャロン、その薔薇が気に入った?」

「一重咲きでしょ? 薔薇らしくないなって思って」

「これ薔薇の原種なんだ。この薔薇園の最初の一本でね。お祖父様が極東の国から取り寄せたらしい」

「極東から? わざわざ?」

「図鑑で見て一目惚れしたんだってさ。それから一気に園芸にのめりこんだんだ」


バーレントはハサミを鞄から取り出して薔薇を一輪手折り、「家業そっちのけでね」と私の髪にさす。


「この趣味のせいで家が傾きかけたから一時は恨んだけどね。だけどきみとこうしてここに居られるのはお祖父様のおかげだ。感謝しないといけないのかもしれない」


私は笑顔を作りバーレントの頬に触れた。


「本当に素敵な庭だから、お祖父様が居なくて寂しいわ。早く元気になっていただいて庭の散策を一緒にしなくちゃね」

「ああ。お祖父様の回復を祈ろう」


バーレントは頬に触れた私の手をそっと上から押さえ、


「シャロン。僕がここへきみを誘ったのはね、庭園を見せたかったのもあるけれど、別に目的があるからなんだ」

「別の目的?」


「薄々感じてくれていると思うけど」とバーレントは改まった表情をし、宝物でも扱うかのように丁寧に私の右手にキスをした。


「きみにプロポーズするためだよ」

「ちょっと待って。プロポーズって。急にどうしたの?」


そう私は応えながらも、期待に満ちた眼差しを送る。

こうなるように数ヶ月、血の滲むような努力をしてきたのだ。


シャロン・アンネリース・デ・ブールの集大成だ。


「急じゃない。最近、ずっと考えていたんだ。きみは優しいし思いやりもある。外見も内面も完璧なレディだよ」

「バーレント……」

「数ヶ月一緒にいて確信したんだ。僕はきみを愛している。もうきみのいない人生なんて考えられないよ。僕と結婚してほしい」

「……あなたにそう言ってもらえるなんて、嬉しいわ。でも心配もあるの」


私は胸に両手をあて俯いた。


「このことマリィ様にはお伝えしてあるの?」


私はレディズ・コンパニオンだ。

つまりは貴族や富裕層の未亡人や行き遅れの貴婦人たちの話し相手ーーーー雇われの友人なのだ。日々の孤独の慰めのための相手役なわけだ。

バーレントの姉マリィ様の使用人である私が雇用主の許可も得ずに結婚なんて歓迎されないだろう。


(しかも相手がマリィ様の実弟ってね……)


マリィ様とは信頼関係は築いているがこれは別問題だ。

裏切りも裏切りだ。


「いや。姉さんにはまだ言ってない」


ああ、やっぱり。

バーレントは歳の離れた姉には頭が上がらないのだ。


「マリィ様はきっと反対なさるわ。私の雇い主だし、それに」


私は苦しげに息を吐いた。


「私たち親戚よ……」

「あぁ、確かに従兄妹いとこ同士だ。けれど何の問題もない。我が国では従兄妹同士の結婚は認められているよ。きみは亡き叔母様の娘。由緒正しい血統だ。何の障害もない」

「……返事、少し待ってもらってもいい?」

「どうして?」

「バーレント、あなたはとても良い人よ。優しくて、親切だわ。だからこそ結婚は慎重に考えたいの」

「シャロン、もしかしてきみの父親について心配してるの?」


もう耐えられないとばかりに私はバーレントの胸に顔を埋めた。

戸惑いがちにバーレントの腕が背中に回る。


「お母様はこの家の娘だけど、私の父親は……どこの誰だかわからないでしょう? きっと周囲から反対されるわ。それであなたが傷つくことになったら、私は悔いても悔やみきれない」

「シャロン……」

「お願い、バーレント。何の障害もなく、あなたと幸せになりたいの」

「きみが望むなら、そうしよう。だけどね、婚約はしておきたいんだ。きみを誰にも取られたくないから」

「わかったわ。ただ、正式に発表するまで二人だけの秘密ではだめ?」

「もちろん、いいよ」

「わがままを受け入れてくれてありがとう。バーディ」

「……今、あだ名で呼んでくれたね。初めてだ」

「嫌だった?」

「ううん。違う。嬉しいんだ。きみとの距離が縮まった気がして。実は婚約指輪はもう用意してるんだ」


「きみの瞳の色と同じ宝石にしたんだ」とバーレントはズボンのポケットから親指の先ほどもある大きなサファイアのついた指輪を取り出した。


金の台に繊細で個性的な彫金が施されている。この模様は貴族御用達の有名宝飾店の品物であるという証だ。


(となれば、かなりの価格のはずよ)


しかも。

内側には「Sへ。Bより愛を込めて」と刻んである。


(ご丁寧なことね)


断られることなぞ想定もしていないらしい。

なんと純粋無垢なのだろう。


バーレントは頬を赤らめながら、サファイアの指輪を私の薬指にはめた。


「これできみは僕のものだね」


私は応えずに曖昧に微笑み返す。


「嬉しいわ。ありがとう」


ありがとう。バーディ。

本当に感謝している。


あぁなんと愚かなバーレント。

全て謀であるということも知らずに偽りの幸せに酔いしれるだなんて。

おかげで計画が上手くいきそうだ。

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