第17話悪役令嬢は婚約破棄されるものである

「婚約破棄ですって!?」


 王都にあるグリーングリーン公爵家の邸宅で、ピーチ・グリーングリーンはその屈辱に震えていた。

 その邸宅はもちろん緑あふれる色調の邸宅であったが、ピーチの目の前はまるで灰色に塗られるようだ。

 邸宅のリビングにあたる部屋には弟が上座で、ピーチは下座に座らされた。

 弟は、すでにグリーングリーン公爵家の当主になったつもりでいるのだろう。


「あぁ、この前ピーチが盗賊団に襲われただろう。フェノール公爵はそこでの不貞を疑っているそうだ」


「そんな……、わたくしが不貞だなんて……。わたくしはまだ……」


 公式な婚約破棄の手紙と共にそう言ってくるのは弟であるレイモンド・グリーングリーンだ。


 父が殺され、姉が悲惨な目になっているにも関わらず、弟レイモンドはニヤニヤとした笑みを保っていた。


 なぜか。


 父が死ねば後継者争いが始まる。

 弟レイモンドはその後継者争いでは2番手だ。

 順当に逝けば一番手は、実績的にも当主と共にすでに経営に係っている姉のピーチが当主になるのであろう。


 しかし、後継者争いの一番手であるピーチは、いかんせん女性である。

 なにかあればその地位は簡単に揺らぐ。


 そこで、弟レイモンドが手を打ってきた。

 盗賊団で当主と姉を亡き者にする計画で、姉が生きていた場合に打てる手段、それが、今回のフェノール公爵とピーチとの婚約破棄だ。


 策がハマって弟としてはさぞや愉快であるのだろう。

 その弟のにやつく顔で、ピーチにはすでにレイモンドとフェノール公爵が結託していることまで想像できてしまう。


(まさか、弟がこんなことまでして当主になりたかっただなんて――)


 そんなときだ、急にピーチの頭に痛みが走る。

 婚約破棄を宣言された瞬間、唐突に前世の記憶が蘇ったのだ。


「ん? どうした……」


「えぇ、どうにも体調がすぐれなくて……」


「そうか、いろいろあったからな……」


 後継者の体調がすぐれない、それも後継者争いの中では不利に働くだろう。

 弟レイモンドにとっては喜ばしいことだ。


 一歩、一歩と当主への道を進んでいるとレイモンドは考えているに違いない。

 ピーチはとても悔しい気持ちにならざるを得ない。


 屈辱だった。

 いままで勉強してきたことはなんだったのか、と。


 ――しかし、この後、後継者争いで戦ってグリーングリーン公爵家を継いでどうするというの?


 領主経営に関することをあまりせず王女たちのグループで遊び惚けている弟と比べた場合、今でも巻き返して家内を掌握することはたやすいだろう。


 だが、ピーチが得た前世の知識では、この世界は通称『西鳩セイ・ハート』と呼ばれる大人気乙女ゲームの世界であり、ピーチは恐るべきことにバリバリの悪役令嬢だったのだ。


 グリーングリーン家は公爵家だが、決して清廉潔白なだけで今の家の財貨を築いたわけではないことをピーチは知っている。清濁併せ呑まなければ公爵家は運営できない。



 もしも、その状態で乙女ゲームの通りにシナリオが進んだら?



 ピーチのその先は処刑台ENDか、はたまた修道院ENDか。

 少なくともグリーングリーン公爵家の断絶は間違いない。


 ピーチは決意した。ここはさっさっと乙女ゲームの舞台から降りるに限る。


 そして、新しい人生を掴むのだ。


 異世界の知識を手に入れたピーチの行動は速い。


 達観したというべきだろうか。


 ピーチは居住まいを正した。


「さて……、父が死んで葬儀もしないといけない訳だけれど……、レイモンド、貴方が喪主を務めてその他すべて取り仕切ってくれないかしら。その、一切合切を――」


「なっ――」


 突然言われてたじろぐレイモンドに対して、ピーチは言葉をさえぎって話をつづけた。

 放置すればお前がやれ等どなってくるだろうから。


「貴族家にとって親の葬儀は『当主』が行うものよ。それを内外にアピールする必要がある。貴方は『当主』になりたくないの? 少しでもわたくしが手伝えばそれだけ『当主』の座からは遠のくと知りなさい」


 ピーチはあえて当主の部分を強調して言う。

 言われ、レイモンドは息をのんだ。


「それは……。ピーチが後継者争いを降りるということか?」


「盗賊団に襲われ、婚約破棄もされ、もう御免だわ。こりごりだわ。体調もあまり良くないし――」


「そ、そうか……」


 レイモンドは悲しそうな表情を試みているようだが、内心では嬉しそうなのは声で丸わかりだ。


 この後、悪役令嬢を倒して自分が当主になったことを、ファビョリーヌ王女に報告にしに行くのだろう、満面の笑みで――、などということを、ピーチは前世の知識から容易に予想することができた。


 レイモンドはそこまで賢くない。彼だけでここまで用意周到に事を運べるとは思えない。その黒幕は――と考えると、乙女ゲーのヒロインが裏で手を引いているとしか思えなかった。


 ファビョリーヌ王女は豚やろう将軍との婚約破棄を宣言してから急に活発に社交界で活動を始めており、その動きは注目されている。


 レイモンドとファビョリーヌ王女が時々会っているという噂はよく聞いていた。


 確か西鳩セイ・ハートオフラインでは、メインを張るフェノール公爵とレイモンドの他、教師のシアン・ソーダ、しょた後輩君のベタナフトール、隠しキャラとして吟遊詩人のオーリン、そして勇者などがいたはず。


 もしも彼女にも前世の知識があるのなら、確実に逆ハーレムルートをまい進していると思われた。


 フェノール公爵とレイモンドは攻略対象なのだ。

 ファビョリーヌ王女は好感度を上げてすでに彼らを落としているのだろう。


 そして、ファビョリーヌ王女が逆ハールートを目指しているのであれば、彼女を通じて今回の事件を起こすことは容易だろう。


 軍事にも通じるフェノール公爵であれば、盗賊団に扮装しての活動も厭わない荒くれもので、金で動く傭兵団への繋ぎができるし、


 グリーングリーン公爵家の一門であるレイモンドであれば、当主の正確な動向といった情報を筒抜けにすることができるし、


 王家の人間である王女であれば、容易にお金を出すことができる。



 ヒト、カネ、情報のトライアングルがここに完成する。



 そんな乙女ゲームのストーリーに流されていては、ピーチは断罪され、最後には処刑台か修道院、良くて服毒かの選択を迫られてしまうことになるだろう。



 だから。

 だからピーチは動かなくてはならない。



 ピーチは「転生したら乙女ゲーの世界? いえ、そういうのは結構です」と言える女子なのだ。


「――ですから、わたくしはグリーングリーン公爵家の名を捨てて、別の殿方に嫁ごうと思いますの」


「は?」


 突然のピーチの申し出にレイモンドが固まる。

 レイモンドとしては斜め上の提案だったのだろう。

 驚愕に目が見開いている。


「ほう、嫁ぐと……」


「その方がグリーングリーン公爵家的にも良いでしょう? 盗賊団に襲われて貞操を失ったなどとの醜聞が世間に広まるよりは、わたくしに好きな男が出来て婚約破棄されたの方が公爵家にとってまだましではなくて? フェノール公爵は苦笑いはするかもしれないけれど、婚約者の保護の足りなさを外部から指摘されるよりは、その方が都合がよろしいのでは? 婚約破棄する理由付けとしては。説得はレイモンド、貴方に任せるわね」


「――な、なんで俺が?」


「その方がレイモンド。貴方のためよ?」


「なぜ?」


「少しは考えなさいなレイモンド。貴方は、『当主』に、なりたくは、ないの? わたくしから後継者戦の舞台から降りるのだから、そのくらいは手伝いなさいな。それに――、貴方が『当主』にならなければ、貴方の大好きな王女様からも嫌われてしまうのではなくて?」


(王女が欲しいのは、おそらく貴方のイケメンフェースとグリーングリーン公爵家からの後ろ盾という役割だけだけどね、そして、そうすれば王女も悪役令嬢役としてのわたくしに対する関心は薄れるはず――)


 ようやく理解したのだろうか。

 しぶしぶといった様子で、レイモンドは頷いた。


「うぐ……。あぁ任せるがいい。――で、その相手とは誰だ?」


 レイモンドのその質問にピーチは答える訳にはいかなかった。


 なぜなら今後のピーチの計画がバレる恐れがあるからだ。


 もしもバレたなら、レイモンドが、そしてその背後にいるであろうファビョリーヌ王女が妨害してくるに違いないのだから。


 だからピーチはその問いには答えずに、別の質問をぶつけることにした。

 声のトーンを少しだけ高くする。


「あぁ! そうそう! そうだわ忘れていたわ!


 この前、盗賊団に襲われたとき、大量の盗賊の方たちを犯罪奴隷に落としたのだけれど、良い販路はないかしら? 結構な金になるわよ」


「炭鉱にでも送り込むか?」


「そんな勿体ない」


「勿体ない? 高く売れる要素でもあるのか?」


 金の話になり、レイモンドは乗ってきた。

 現金なものだ。姉の行く末など、彼にとってはどうでも良い話なのだろう。


「えぇ、盗賊団に所属していたのは、全員女の子なのよ。わたくしも見たけれど、相当な美人ぞろいだったわ。あれはどこからか連れてこられて、そして逃げて盗賊に身をやつしたパターンね……」


「であれば――」


 ――かかった。


 ピーチは笑みを浮かべ今後の女盗賊団の売り飛ばし先について弟と交渉をするのであった。





 ・ ・ ・ ・ ・





 グリーングリーン公爵家の家紋を付けた馬車が貴族街を進んでいく。


 それは普通のことであるが、進んだ先が下級貴族が多く住む地域となると注目度は半端ではないだろう。


 その馬車はあるところで停まった。


 そこは、サピエンス男爵家のこじんまりとした邸宅だ。


 男爵家ともなると、グリーングリーン公爵家のひろびろとした邸宅と比較してもはや平民の家と同じといっても過言ではない狭さである。


 せいぜいの違いは、入り口の扉に家紋があるところくらいだろうか。


 先ぶれはあったが詳しい話は聞いていない。サピエンス男爵家の面々は何事かと戦々恐々としていた。


 なお、その場所に主人公たるホモ・サピエンスの姿はない。

 彼はずっと魔界の森の中にいたからだ。


「今日はお越しいただきありがとうございます」


 グリーングリーン公爵家の次期当主と呼び声の高いピーチ・グリーグリーン公爵家令嬢の馬車から降り立つ。

 対応するのは、当主であるペキニーズ・サピエンスだ。


「いえ、これからの嫁ぎ先ですから。当然のことですわ」


「は?」


 当主であるペキニーズ・サピエンスは意味が分からず混乱するしかない。


「詳しくは中で――」


 ともかく、サピエンス家の中に通されたピーチは居間に通される。

 そんなピーチに対して今サピエンス家ができることは所持品の中で最も高い茶葉でお茶を出すことしかないのだが。


「それで……、嫁ぎ先とは? どういう意味で?」


「これは騎士道なのです」


「なるほど――」ペキニーズはやはり意味が分からない。「――それで騎士道とは?」


「あなた方の立派なご子息が聖女に婚約破棄されて捨てられたことはわたくしも知っているところです。聖女たるもの誰にでも慈悲深いハズの聖女がそのようなことではいけない。聖女の名誉は傷つけてはならないものです。そこでです。ご子息がわたくしと婚約となった場合、世間はどう思いますでしょうか?」


「――聖女を振って公爵家の権力に靡いたアホな男だと思いますな。少なくとも私であれば」


「そうです。そうなれば聖女は傷つかない。――ただ、貴家としてはご子息を既に勘当しているとのことですが、再び泥を塗ることになるでしょう。念のためにご報告をば――」


「それはそれは――、確かに聖女に婚約破棄された当方のバカ息子は、ピーチ様のおっしゃるとおり勘当しております。クチにするのも耐え難いほどの酷いクラスを神から授かったたゆえに。ですから、いかようにも扱って頂いて構いません。が――、ピーチ様には本音の所を語って欲しいところですな」


「本音ですか?」


「えぇ、左様」


 ピーチはゆっくりと紅茶を口にした後に続けた。


「我が父が亡くなったことはご存知ですか? 箝口令が敷かれているとは思いますが、人の噂には戸口は建てられないと申しますが――」


 そこで、ペキニーズは目を見開いた。


「なんと! それは一大事ではないですか!」


 下級貴族であるサピエンス家ではそのような情報はあずかり知らぬところであったのだ。

 公になるのはまだ先のことだろう。だが今後、貴族派派閥は荒れるに違いない。

 その事実にペキニーズは頭が痛くなった。


「領地を経由する街道にて父は私も含め賊に襲われまして――。私は生き延びたのですが、そのときの不貞を疑われてわたくしは婚約者から婚約破棄され、現在は弟から家の実権をも奪われているという状況でして――」


「なっ」


「そのために、先ほど話をさせていただいた聖女の汚名を挽回すると称し、王都の神殿で婚約から成人の儀までをしようと考えたという次第でして――」


「つまり――、ピーチ様は成人の儀式等を通じて貴族派から神殿勢力の紅巾党こきんとう派に鞍替えを図るためにバカ息子を使う、という訳ですか――」


「はい。詰まるところはそうです」


 ふむ。と、ペキニーズは考える。


(この新世界の主神カーキンを本尊とする宗教系の紅巾党こきんとう派は、後ろ盾であった豚やろう将軍が失脚してから、その勢力をかなり落としている。そして先の聖女の喪失によってさらなる弱体化は必須のはずだ。そんなところに取り入って、いったいピーチ様は何をするつもりなのか。いかに紅巾党こきんとう派の民衆の信者は多いとはいえ解せない――。だが、彼女は海千山千の侯爵家の令嬢だ。公爵家の実権を弟が取ったとはいえ、何か考えがあるはず――)


「どうかいたしまして?」


「いや……、少し考え事を――。そういえば息子は何と言っていたのですか? 貴方との婚約については――」


「えぇ、『その時は全力でおっぱいを揉まさせていただきます』と」


「あのバカ息子が――」


 ペキニーズは愚息の所業に怒り心頭になる。


「まぁ、助けて頂いた恩もありますからね――」


「そ、そうですか……」


 そう最後に語るピーチを見たとき、ペキニーズはなぜか本当の本音を聞いたような気がした。

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