【2023年編】いつか見た夢。-前編-

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 2020年10月。

 私は、半ば諦めていた。

 再就職も家庭も。


 過去に培った杵柄きねづかとは良く言ったものだ。

 営業職が潰しの効く職業だとは聞いていたが、運良く、在職中に知り合っていた取引先の担当者から離職後も仕事の話で連絡を頂く事もあった。


 その頃には、フリーランスのような形で一定の収益を得るまでにはなっており、基本的に自宅でPC画面を睨む日々だった。


 相変わらず、ナオとはあまり言葉を交わさず、声を聞くのも「いただきます」「ごちそうさま」くらいのものになっていた。

 仕事も順風満帆とは言えず、また、初めての個人事業ということもあり私自身にも余裕が無かった。


 その日、外出先から19時頃に帰宅すると真っ暗な部屋で照明を点けずに頭を抱えているナオがいた。


「--何だよ、明かりも点けずに。」

 さも働いてきた、と言わんばかりの私に、ナオの冷たい視線が刺さる。


「---おかえり。あのさ-」

 モゴモゴと話すナオに、八つ当たりするつもりは無いが、ハッキリとしない物言いに、つい語彙を強めてしまう。


「いや、何言ってるのか分かんない。ハッキリ言ってくれ?」

「---ううん、もういい。」

 ナオはそれ以上何も言わず、寝室へと向かった。


「何なんだよ。」

 私はいつものことと気にせず、自分の夕食の準備を始める。


 どれだけ鈍感だったんだろう。


 会社が倒産し、しばらく経った頃から、ナオは気力を無くしたかのように、夕飯の準備だけでなく他の家事もしなくなっていた。


 私も基本在宅ワークだったため、やれる方がやればいいと考え、気にも止めずに過ごしていた。一家庭内に於いても、コロナ禍の渾沌は確実に蝕んでいたのだと思う。


 しばらくすると、寝室の方からすすり泣く声が聞こえてくる。


 これも、毎日のこと。

 あまり構いすぎると、私までおかしくなってしまう。

 その時は、そんな風に考えていた。


 次の日だった。

 ナオはスマホ、財布、その他の必需品を持たずに失踪していた。


 その日、私は大口取引の見込のある企業へと営業に出ていた。


 まずまずの手応えを感じた商談が終わり、新幹線で片道3時間。帰り着くのは20時くらいか---。それまでゆっくり仮眠していよう。


 --最寄駅で降りると、マナーモードにしていたスマホに、新着の着信履歴が画面を埋め尽くす程に入っていた。

 何事かと、折り返し電話をする。


 電話の主は近くに住む義母からだった。

 彼女は焦った様子で話すため、要点が掴めない。


「ナオが--お昼過ぎからいないの。」


 ぎりぎり聞き取れたのは、その言葉だけであった。

 義母を落ち着かせようと、思い当たる場所は帰りの道中に探す。お義母さんも、近所をお願いします、と話し電話を切った。


 この数週間のナオの異変には気付いていた。しかし、言い訳ではあるが、自分の事でいっぱいいっぱいと気にも止めないように、見ないようにしていた。


「--くそっ、ナオ。どこに行きやがった?!」


 思い当たる場所を車で回る。

 駅から自宅までの場所を探す。

 友人にも連絡をする。

 その間に家にも戻ってみる。


 暗い部屋には、ナオのスマホがぽつんと、主に見捨てられたまま、虚しく着信を知らせるライトを点滅させていた。


 義母が警察に届けを--と取り乱していたが、それを制し私はまた家を出た。


 駐車場にはナオが普段使っている車はある。そう遠くへは行っていない。財布も置いて出て行っている。徒歩で行ける範囲。


 徒歩範囲の思い当たる場所を全て回ったが、見つけ出すことは叶わなかった。


 ふと、諦めかけた時だった。

 空を見上げると、憎らしい程に星達が私を見下ろす。


 まさか---な。

 私は車に乗り、走り出す--あの海辺へと。


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 海に着くと、あのBBQハウスは廃業したのか---。建物は残っていたが、まるで廃墟のようだった。ここにもコロナの影響が出ていたのだろう。


 ふと、その建物の入口ポーチ辺りに、人影が見える。

 しゃがみこみ、空を見上げている様子だ。


 こんなところまで、歩いては来れないだろうと高を括っていたが、その人影は--ナオだった。


「---遅いよ。トキ。」

 昨日までと違い、柔らかな口調でナオは言った。


「--あぁ、まさかここまで来てるとは--思わなかった。」

 ナオが見上げる方角には、大きく光輝く一つの星がある。私も同じ星を見上げていた。


「---もう、終わりにしよう?私、もうトキの重荷になるの、疲れたよ。」

 鼻声になりながらナオは俯き、砂を弄りながら--しかし努めて明るい口調で言っていた。


「---そうか。重荷って、お前が?俺が?俺の方こそ--何も出来ていない。」

 色々と思い当たることはあった。


 彼女だけ、不妊治療を頑張っていた。私は治療費に幾ら金が掛かろうが、その為ならいくらでも働いて取り返す。そう誓っていた。

 いつからか、私達夫婦はが最大の幸福だと思ってしまっていた。

 二人で変わらずに過ごせることの有り難さを忘れてしまっていた。


「---悪かった。お前の気持ちも考えずに--。」

 何と声を掛けるべきか分からなかったが、素直な気持ちを言葉に出すことにした。

「俺は--子供より、お前といる。ずっと。そう思って結婚した。だから、もう終わりにしよう---。ってことを。」


 子供を諦めた、訳では無い。

 夫婦の幸せ=子供を産み育てることだ、と定義付けしたくなかった。

 二人なら二人だけの幸福を共有する。そんな日々を過ごしても、誰も怒りはしないだろう。


 私はナオの手を取り、星を見上げる。


「ねぇ、トキ。覚えてる?」

「何を?」

「あの日、流れ星を見てた日ね。」

「あぁ。お前の二十歳の誕生日だったか。」

「あの時、願い事をしてた。---トキと付き合って、ずっと幸せで、死ぬ時まで手を繋いで生きていたいって---。」


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