第2話 灰かぶり離宮は極楽です
苺苺の住まう〝水星宮〟は、皇太子宮を九つに割った北側の辺鄙な場所にある。
水辺が近いため朝晩は冷えてよく霧が立ち込めるし、晴れていても少しじめじめとしていて、なにより蔵のように狭い。
燐華建国時代から続く由緒正しき九家のひとつに数えられる白家の娘が、なぜこんな簡素な宮に追いやられているかというと、白髪と紅珊瑚の瞳という特異な容姿もあるが……最たる原因は、その出自のせいだろう。
古代から語り継がれるかの有名な『白家白蛇伝』を、この城で知らぬ者はいまい。
それは闇夜に燐火が浮かび、あやかしが跋扈していた時代の話だ。
後宮に召し上げられた白家の娘は、原因不明の病に苦しんでいた。娘は大層な美姫であったが病が進行し、ついには後宮を辞すことになる。
清明節を機に白州に帰郷した娘の病を治したのは、燐火を纏って現れた赤い瞳を持つ白い大蛇だった。
大蛇は人の形を取ると、返礼に娘との婚姻を迫った。そしてふたりの間に生まれたのが、白髪と紅珊瑚の瞳を持つ異能持ちの娘。
他家から『呪われ白家』と呼ばれ始めた、最初の姫だった。
異類婚姻によって生まれた白蛇の娘は、白家の領地である白州では神子として愛されているが、白州を一歩出るといつの世でも迫害されている。
特異な出自を恐れてか直接的に手を下されることは少ないが、こうして後宮の離れには白家の娘を幽閉する場所が作られているほどだ。
それぞれの妃の住まいは選妃姫で得た地位によって決まるはずだが、白蛇の娘にとって選妃姫とは無いに等しい制度だった。
それは現皇太子、紫淵殿下の世でも変わっていない。
後宮に八家から八姫が招集された日、皇太子不在の中で行われた選妃姫で試験官たちは苺苺を存在しないかのように無視した。明らかに不平等な試験の末、苺苺は八妃姫の中で最下位を表す〝白蛇〟の冠を与えられて、他の妃たちの住まいとは遠く離れた水星宮に押し込められたのだ。
最下級妃の名が白蛇なのだから、まあつまりは、はなから判じるつもりなどないというわけである。
だが苺苺は、皇太子宮での虐めに屈しなかった。
たとえ水星宮付きの女官が皆、初日で逃げ出そうともだ。
「わたくしだけ離れだなんて、なんと高待遇なのでしょうか! ここなら誰の視線も気にせずに、全力で推し活ができますわ!」
食事に携わる尚食の女官は来てくれるので、生命維持には問題ない。水星宮の掃除や風呂の管理、洗濯や身支度なんかは自分ですれば良いのだ。
あらかじめ白家の邸で侍女の後ろをひっついて予習と練習をしてきていたので、いざ水星宮にぽつねんと一人きりというの状況に直面しても、なんとかこなすことができた。
今では床の雑巾がけも良い運動である。
「はーっ。ここならついうっかり他のお妃様と鉢合わせして、めくるめく後宮の愛憎劇に巻き込まれる心配もありません。極楽ごくらく」
というわけで苺苺はむしろ、これ幸いと後宮での自由を謳歌していた。
「ふんふんふ〜ん。ふんふ〜ん。ふふっふー」
今日も今日とて悠々自適にのんびりと過ごしながら、少し調子の外れた能天気な歌を口ずさむ。
苺苺は手元の布に通していた特殊な縫い針を引っ張り、糸をきゅっと玉止めすると、丁寧に糸を鋏で切った。
「じゃじゃーん、できましたわ! 苺苺特製、木蘭様ぬいぐるみ!」
苺苺はぴかぴかの笑顔で、出来上がったばかりの
「お茶会のお呼ばれもありませんし、最近は雨ばかりでしたので木蘭様をお見かけする機会がなかなかありませんでしたが、意外にも推し活は捗りました。ぬいぐるみ製作、憧れだったのです……」
後宮へ向かう途中に、王都の露天で売られていた演劇の旅一座の応援商品を初めて見た時は、馬車から身を乗り出す勢いで衝撃を受けた。
『わぁ! こんな意匠のぬいぐるみがあるだなんて! わたくしも製作してみたいです……!』
全体的に丸みを帯びた形は幼な子向けにも見えるのに、買っていくのは神に陶酔したような顔をしている、情熱的な若い娘や大人ばかり。その異様で幸福そうな光景に、これが王都の『推し活』かと目を輝かせたものだ。
あれからふた月。
合間を縫って製作し、とうとう完成したというわけである。
意匠には最近流行している布偶のものを取り入れ三頭身に簡略化し、さらに苺苺なりの創意工夫を加えて、お茶菓子のような色彩と可愛らしさを意識。お顔の表情は、二週間前にあった清明節の宴席で目撃した『おねむな木蘭様』にした。
衣裳にも抜かりはない。朱家の象徴である赤を使った大袖の上衣に、きっちり胸元まで覆う桃色の
仕上げに羽衣のような
「柔らかな布地を使ったので触り心地も抜群です。今日からよろしくお願いいたしますね、ぬいぐるみの木蘭様! ……そうだ、ぬいぐるみの木蘭様ですから〝ぬい様〟とお呼びしますね。ふふっ、今にも寝息が聞こえてきそうです」
木蘭様の特徴をよく捉えたぬい様は、どこか抜けている様子があって、見ているだけでも癒される。
白州は絹織物と養蚕業で発展した。三大刺繍の中でも最も格式高いとされる白州刺繍が生まれた場所でもある。そんな白州白家の姫ゆえに、『裁縫の名手』と呼んでいいほどの腕前を持つ苺苺の手で作られたぬい様は、王都で布偶製作を生業としている職人以上の出来栄えだった。
「木蘭様の髪の毛を一本いただけたら、ぬい様も全力を出せるのでしょうが……。髪の毛は流石に『ください』と言ってもらえるものではないので、しょうがないですわね」
このままの状態でどれほどの効力を発揮してくれるのかわからないところが心配ですけれど、と毛氈生地で作った小さな頭を撫でる。
ぬい様は、ただのぬいぐるみではない。
苺苺の異能である悪意を祓う力を込めた、形代だ。
形代は紙でも作ることができるが、精巧に作られた人形になると紙以上に身代わりとして優秀になる。
さらに人形の中に守護対象者の毛髪を入れると、悪意が形を持った状態である呪靄だけでなく、その呪靄が変化し意思を持った〝
「あっ! 〝白蛇ちゃん〟が……っ! 今日も見事にズタボロです!!」
異様な気配を感じハッと視線を上げた先で、寝台に置いていた白蛇のぬいぐるみがブッチィィィッと音を立てて引き裂かれる。
困り顔にしていた首はもげ、お腹からはふわふわの綿が飛び出した。
まるで蛇殺しの現場だ。
「うぅぅ。白蛇ちゃん、どうか安らかに……」
苺苺はぬい様を円卓に置いて、ズタボロにされた白蛇ちゃんに頬ずりする。
きっと、今日も後宮内の誰かが、すさまじい悪意を苺苺に向けていたのだろう。形代に集められ封じられた悪意の総量が許容範囲を超えると、先ほどのようにズタボロに壊れてしまうのである。
向けられた悪意が自分を害するほどの呪詛へと変化する前に、苺苺はこうして自動的に悪意が祓われるようにしている。
そうでもしなければ、後宮の嫌われ白蛇妃なんて、命がいくつあっても足りないのだ。
――とまあ、このように髪の毛入りのぬいぐるみは身代わりとして、それはすさまじい効果を発揮してくれるのだが、最下級妃の自分が最上級妃の木蘭に『髪の毛を一本ください』なんて言い出せるわけがない。誰の目から見ても立派な呪詛案件だ。
「それに……
苺苺はがっくりと肩を落とす。
白州にある実家にひとりの従者と共に美幼女がやってきたのは、昨年の暮れ。
九家のみしか使えぬ特別な木簡を使って『お忍びで』との前触れがあったため、白家側は『異能絡みだろう』と考え、裏口から彼女たちを通した。
『妾は木蘭。朱皇后陛下の縁者である』
まろい頬を緊張で強張らせて背筋をぴんと伸ばし、木蘭は舌ったらずな口調で堅苦しい挨拶を
(な、な、な、なんてお可愛らしいお姫様なのでしょう!)
『お上手ですわ、木蘭様っ』
木蘭は頬を真っ赤に染めて照れながら、挨拶などできて当然、というようなお澄まし顔をする。
『せ、世辞はよい。白家の姫君には代々異能が受け継がれると聞いた。妾にかけられた呪詛を至急解いてほしいのだが、できるだろうか』
珠のように可愛らしい見目と、幼な子には不釣り合いな言葉遣い。
恥ずかしがりながらも精一杯頑張っている、一生懸命過ぎる仕草。
堪らない愛らしさに、思わず庇護欲を掻き立てられずにはいられない。
(はあぁぁっ。かわゆいです、かわゆいですっ。なぜでしょう……なんだか動悸がして、胸が熱いですっ! ああ、この胸の高鳴り……これが、きっと『尊い』という気持ちですわね!!)
苺苺はずきゅんと胸を矢で射抜かれた気持ちがした。
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