95.錬金術師の本望
猛烈な風が黄金の間へと吹き込んだ。ただの風ではない。
マナ、魔術やスキルの力の源だ。
サラマンドラを巻き込み、黄金を巻き込み、弾丸の雨のようにダンジョンの奥へと流れてゆく、さながらマナの濁流だった。
『な、なんだ!?』
「ッ! 【阿修羅の六腕】、起動!」
スキル【金剛結界】の重さですら身体が浮きかけた。「掴まれ」と言われて構えていたスキルを起動してコエさんを抱きかかえ、残りの腕で床を掴んで耐える。
「ただの風じゃないな」
『ああ、なんだこのべらぼうなマナの密度は! 入口を開いた瞬間に、こんな……!』
「……入口から?」
ならばこの風は外から吹き込んでいることになる。何か、とてつもない魔術かスキルを使う存在が外にいる。
だが外にはアンジェリーナやシズク、ドワーフたちが待っているはずだ。
「アンジェリーナが危ないかもしれない。入口の外で何が起きてるか分かるか?」
『分かるならもう見てる! ダンジョンの外は管轄外だ!』
ロード・エメスメスも戸惑いを隠せていない。
風に含まれるのはこのダンジョンに満ちる火の力だけじゃない。風、雷、氷……あらゆる力がないまぜになって流れ込んでくる。
原因が外にあることだけは分かっているのだ。とにかく入口まで戻って――。
『ふ、フラン! 目を覚ませ!』
「フラン……?」
ロード・エメスメスが叫んだのは女性の名。おそらく妻、アンジェリーナの母親だ。
ロード・エメスメスと同じく黄金の鎖となり、長い時間の中で意識をほとんど保てなくなったと言っていた。それでも鎖の姿をとり続けていられるのは、彼女がマナの扱いに秀でた術師であったことの証拠だろう。
だが。これだけのマナの嵐に晒されればどうか。
『ああ、フラン……!』
鎖が、切れた。
引きちぎられたのではない。鉄鎖が錆びて朽ちるように、黄金の鎖がボロリと二つに切れて落ちた。床の黄金とぶつかった甲高い音は嵐の中でも大きく鳴り渡る。
『ぐっ』
残る鎖はロード・エメスメスのみ。
一本では抑えきれないのだろう、縛られた竜が小さくその身体を震わす。やがてそれは大きな鼓動となり、そして。
――ギゥルル。
金属を擦り合わせるような唸り声がする。長い眠りの中にあった朱い竜の目が、ゆっくりと、ゆっくりと開いてゆく。
「外には未知の脅威、目の前には竜、か」
『…………。』
「ロード・エメスメス?」
この状況で急に黙りこくった鎖に問いかける。数拍おいて、鎖はまたチリリと鳴った。
『ふーむ、リザイン!』
チェス遊びで打つ手の無くなった時の言葉。
『なすすべなし。まもなく僕も切れる。その後は君次第だけど、とにかく僕はこれまでだ』
「ずいぶんと諦めがいいんだな。千年かけたんだろう?」
『ここで竜を縛りながら、あらゆる可能性を想定したからね。そしてこれは僕も死ぬケース。もう力も残ってないし、全てご破算だ』
「破産、か」
『まあ心配しなくてしていいよ。なにせ千年だからね、僕らが失敗してもまだいろんな準備がある。他の家系だって動き出すはずだ。どこかの誰かが攻略してくれるだろうから、君たちはさっさと逃げて全部忘れるといい』
「死ぬのが惜しくはないのか?」
『あんまり。「僕らが死ねばこそ働く準備」だってあるからね。アンジェリーナがきちんと大人になっているのなら何も問題ないさ』
翼を広げようとする竜に、ロード・エメスメスの鎖がきしみを上げる。まもなく切れるというのは間違いではなさそうだ。
「ロード・エメスメス、最後にひとつ聞きたい」
『人生最後の問答だね。いいよ、星のことでも世界のことでも教えてあげよう。秘術は部外秘だけどね』
「なぜ、あと数年待たなかった?」
『あー、そこ聞く?』
「いくらドワーフが掘り当てたといっても、もう数年、アンジェリーナが大人になるくらいは待てたんじゃないか。準備不足を承知で自分たちが乗り込んだのは何故だ」
ごくごく単純な疑問だ。二人より三人が強いに決まっている。
夫婦二人に今のアンジェリーナが加われば結果は違ったかもしれない。たった数年、ダンジョンにとっては誤差のような時間を待てばよかっただけなのに。
嵐の中、鎖が引き伸ばされる音だけが響く。思案する間もなくロード・エメスメスは答えた。
『そりゃあ娘にこんなことさせないで済むならね。それに越したことはないじゃないか』
「また非合理的だな」
『そうだね。実際に失敗した。でも、
「何をだ?」
それはもう、と鎖が鳴る。
『あの子、かわいいじゃないか!』
「……そうだな。親の死に目に会えないのが気の毒だ」
『アンジェリーナは気にしないから気遣いは無用だよ? 錬金術師ってそういうものさ。僕らが異常者なんだよ』
個人の望みより家の役目。家族の情より探究心。それが錬金術師だと、ロード・エメスメスはどこか自嘲的に言った。
確かにアンジェリーナにもそれに通じる部分はある。あるが、それでも彼女にはもっと違う面もあったように思う。
「……マスター。アンジェリーナさんは錬金術師ですが、やはり彼らの娘です」
「コエさん、何か聞いてるのか?」
「やっと聞いてくださいましたね。時間もありませんので、手短にはなりますが」
聞かれたら答えてもいい。それまでは話さないでいてくれ。
そう頼まれていたと説明しながら、コエさんはロード・エメスメスの鎖をそっと手にとった。
「『探して、会いたい』。アンジェリーナさんはご両親のことを忘れてはいません。全ては消えたお二人を探すため。そのために学び、旅をし、力を求めてマスターに縋ったのです」
「……そんな理由なら、なんで言ってくれなかったんだ」
「彼女は賢い人です。安易に情に訴えることは致しません。自分を研鑽し、役に立つことを示し、功績を積み重ねてから切り出すつもりだった。そう伺っています」
『なんてこった。参ったな、ちょっと命が惜しくなってきた。死に際になんてことを聞かせてくれるんだ、迷惑な!』
ロード・エメスメスは嘆きとも憤りとも分からないことを口走るが、どうやらもう刻限のようだ。
――ギゥルゥアアアアアアア!!
竜が吠える。大風の中を火と硫黄が舞う。
今にも引きちぎられそうな鎖に向かって、しかし俺は手をかざした。
「破産寸前のロード・エメスメス。――融資に興味はあるか?」
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