37.狼の隠れ里 -10
「あとは任せろ」
ギリギリだった。あと少し遅ければ、もしダンジョンの階層境界を貫いていなければ。傷だらけのシズクの身体が、その未来に起こっていただろう悲劇を物語っている。
だが『王』は仕留めた。ダンジョン内の魔物は力を失い、生まれた時と反対にダンジョンへと吸収されていくはず。あとは地上に残った魔物だけだ。
「マージ、ダンジョンは……!?」
「攻略した」
「……ッ!」
周囲を走査し、状況を呑み込む。
狼の隠れ里は渓谷の中に隠れるように造られている。それを囲む山のひとつに『蒼のさいはて』への入口があり、今は新たな魔物は出てきていない。里でシズクが倒した魔物は一〇〇に届こうが、それでもなお大小の魔物が里を含む渓谷内を闊歩している。
その残数、五百九十二体。一体たりとも逃しはしない。
「シズク、里の住人は後ろにいる人たちで全員だな?」
シズクが背にしているのは火災を免れた家屋。その中に四十人ほどが息をひそめるように隠れている。見ればほとんどが怪我人だ。
「うん、父様が確認したから間違いない」
「分かった。下がっていてくれ」
「マージ?」
「分かりやすくて助かる」
巻き込む心配がなくなった。
「『
家屋を避けて上昇気流を巻き起こし、全ての魔物を空へ。
「……ギッ!?」
「ギギ!?」
大きいものも小さいものも。羽のあるものも無いものも。硬いものも柔らかいものも強いものも弱いものも、その一切に関係なく。
「【亜空断裂】、そして『
全てを断つ。
「――【断冰刃】」
無数の断層が空そのものを切り裂き、全ての魔物は凍てついた断片となって山へ降り注いだ。
◆◆◆
それから、間もなくして。
「まずはただただ御礼をしたい。マージ殿、コエ殿。私たちの娘を、そして里を救ってくださり有難うございます」
なるべく状態のよい家屋を選び、挨拶と話し合いの場が設けられていた。シズクの父親が頭を下げる姿を里の人々がじっと見守っている。
「元より、そのために来ましたから」
「私はマスターに従っただけですので」
シズクの父親は今の狼人族の中で指導者の立場にあるという。名はアサギ。母親はカスミだとシズクに紹介された。
「里長とは名ばかりで大したものは用意できませぬが、できうる限りのもてなしをさせていただきます」
「そんなことは……いえ。ありがたく頂戴します」
この里の暮らしが楽でないことは明白だ。思わず遠慮しかけたが……それは彼らに対する失礼だと気づいて、差し出された手を握った。
「側室を持たれるようでしたら、シズクもお連れくださって構いません」
「それは流石にちょっと」
「えっ……」
いくらなんでもと思い断ると、シズクがアサギの後ろでこの世の終わりみたいな顔をしている。相手が誰であれ拒否されていい気はしないだろうが、こればかりは流石に頂戴しますとは言えない。
「さ、左様ですか」
「本人の気持ちもそうですし、貴方の娘ということは狼人族の姫でしょう。そうやすやすとは」
「確かに私どもは王家の血筋ではありますが……。私は王の資格を持ちませぬゆえシズクを姫と呼ぶことはありませぬ」
確かに先ほど、アサギは王ではなく里長と名乗った。謙遜ではなく資格が足りないのだという。
「この里の復興にあたって無関係な事柄ではないでしょう。よければ詳しく聞かせていただいても?」
「喜んで。かつては狼人族も王を戴いておりました。しかし戦火により象徴を失い、以来空位が続いているのです。しかし……それも今日までかもしれませぬ」
「と、言いますと?」
「象徴が帰ってきたからです」
それこそが、とアサギは俺とコエさんの胸元にかかるペンダントを指差した。
「その宝玉……貴方がたは
この三つのペンダントが狼人族ゆかりのものだとはリノノ宝飾店の店主から聞いていた。アサギによると王位に連なる三者、すなわち。
王。
その配偶者。
そして、世継ぎ。
三名がそれぞれを持ち、代々受け継いでゆくものだったという。
「どこぞで沼にでも沈んではいまいかと。気が気ではありませんでした」
思わずコエさんと目を見合わせて「拾っておいてよかったぁ……」と無言で頷きあった。
「そして、王位につく者が帯びるのがこの刀剣。かつてこの地にて共に暮らしたドワーフ族の祖が鍛えたものです」
曲刀の一種、だろうか。鞘から抜き放つと濡れたような刃が陽光に鈍く煌めく。炎にも似た紋様から人間とは異なる技術、異なる文化、異なる美意識で生まれたものだとひと目で分かった。
「玉と刀。この二つが揃うことで初めて森の王たる資格を得られるのです」
「でしたら、これは貴方が持つべきだ」
「私のこれはカスミ様に」
自分の首からペンダントを外そうとした俺とコエさんを、アサギが手で制する。
「マージ殿、貴方は旅をしているとシズクに伺いました。その旅が行き先のないものであることも。もしも、もしも寄る辺をお探しなら」
逆に、手にした刀を俺に向かって差し出した。
「どうか、我らの王となってはくださいませぬか」
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