第5部

第1話 少年と騎士

 血のように赤い液体に波紋が浮かぶ。

 それは年代物のワインだった。

 香りを嗅ぐ。

 予想通りの芳醇な香り。口に含むと極上の味だ。

 しかし、どうにも心に響かない。

 気持ちが晴れるようなこともない。


(意外だったな)


 ワイングラスを片手にその男は苦笑を零した。


(まさかこの私が気に病むとは)


 自分のことは合理的な男だと思っていた。

 だが、思いのほか、情というモノがあったらしい。

 それがずっと心の奥で疼いていた。


(とは言え、すでに矢は放たれた)


 くいっと。

 ワインを一気に飲み干した。

 椅子に座っていた男は立ち上がった。

 男が今いる場所は彼の私室だった。

 バルコニーのある広い部屋。しかし、内装は天蓋付きのベッドこそ目立つが、それ以外は最低限のテーブルと椅子ぐらいしかない簡素な部屋でもある。

 男は室内を進み、バルコニーへと向かう。

 そのままバルコニーに出た。


 時刻は夕刻。

 強い風が頬を打つ。


(じきに夜が来るな)


 男は双眸を細めた。

 それからバルコニーから眼下を見やる。

 そこには素晴らしい街並みが広がっていた。

 城壁に覆われた広大な街。

 日が暮れ始めていることもあり、街灯や建屋からは明かりが灯り始めている。

 夕日の中で輝く淡い光が実に美しかった。

 まるで宝石箱のようである。


「…………」


 声を発することもなく、男は微かに眉根を寄せた。


(このすべてを)


 静かに拳を固める。


(今さら奪われる訳にはいかんのだ。私はそのために生きて来たのだから)


 自分は凡庸だ。

 才能がないのは誰よりも自分自身が分かっていた。

 だが、それでも努力だけで必死に足掻いてきたのだ。

 その成果は誰もが認めてくれていた。

 だというのに――。


(……今さらだ。本当に今さらだ)


 父は見誤った。

 あの輝くような才能を前にして周囲の闇の深さが見えなくなったのだ。

 父があのようなことを言い出さなければ、自分がこんな決断をすることはなかった。

 父のように自分もあの才能をただ愛でればよいだけだったというのに。


(もう、何もかもが遅い)


 男は空を見上げた。

 空からは日の光が消え始めていた。


「朝までには決着がつく」


 男は呟く。

 そして、


「許せ。我が愛しき弟よ」


 微かな憐憫と共にそう零した。



       ◆



 夜。

 街道から外れた森の中を二人の人物が走っていた。


 一人は少年だ。

 年の頃は十歳ほどか。黒髪に黒い瞳。利発そうな顔つきの少年だ。

 紺色の短いズボンに半袖の白いシャツ。その上に紺の胴衣ベストを着けている。ごく普通の少年の装いではあるが、その衣服の質は明らかに上質なモノだった。


 もう一人は女性だ。

 年齢は二十代半ば。深緑色の短い髪に凛々しい顔立ち。今は険しい表情を浮かべているが、まごう事なき美女である。長身である彼女は黒い騎士服を纏い、片手には長大なメイスを握りしめていた。まるで突撃槍を彷彿させる鉄塊だ。それを軽々と持っている。彼女の細腕からは想像もできない膂力だった。


 女性は少年の手を引いて走っていた。

 しかし、十歳の少年では成人である女性の足にはついていけない。

 ましてや彼女は鍛え抜いた騎士なのだから尚さらだ。


「――殿下!」


 女性騎士が少年の方に振り向いて叫ぶ!


「失礼いたします!」


「え? うわっ!」


 女性騎士は空いた腕で少年を抱きかかえた。

 正面から抱きしめるような形だ。


(うわっ! うわっ!)


 少年は目を丸くする。

 長身の彼女はプロポーションも抜群だった。


 むにゅんっと。

 柔らかすぎる双丘をいきなり押し当てられて少年は動揺が隠せなかった。

 しかし、彼女の方は全く気にしない。

 今はそれどころではないからだ。


「殿下! しっかりと私に掴まっていてください!」


「わ、分かった!」


 緊急事態であることは少年も理解している。

 ドギマギする心は抑えつけて彼女の肩と背に手を回した。

 それを確認して女性騎士は一気に加速した。

 数多い騎士の中でも、彼女は最高の神聖魔法の使い手だった。

 騎士団内において彼女の代名詞と言われる特注の長大メイス――通称『アンブレラ』も神聖魔法による身体強化のおかげで使いこなしている。

 そんな彼女が全力で走ればまるで風のようだった。


(うわわっ!)


 動揺する少年をよそに、女性騎士は跳ねるように疾走する。

 ややあって、木々だけの光景を抜けた。

 そこは少し開けた広場だった。

 女性騎士はそこで一旦立ち止まった。

 そして進むべき方向を探ろうとした時だった。


 ――ヒュンッ!

 風切り音が鳴る!

 女性騎士は少年の前に長大メイスアンブレラをかざして飛来した物体を弾き落とした。

 それはナイフだった。

 しかも刀身に何かしらの液体が塗られたナイフである。

 恐らく毒に違いない。


「――クッ!」


 女性騎士は周囲を警戒した。

 森の中から人の気配は感じない。ナイフが投擲されてきた方向にもだ。

 だが、必ずどこか潜んでいるはずだ。少なくとも数人は。


(暗殺のプロか……)


 女性騎士は舌打ちする。

 正規の騎士ではない。だが、相当な使い手ばかりだ。

 護衛だった同僚たちは音も無く次々と倒されてしまった。

 噂に聞く暗殺ギルド・『奈落の怨嗟クワイエットフォール』のメンバーだろうか。

 いずれにせよ、狙いは殿下の命だろう。


(キナ臭い状況とは思っていたが、ここまで強硬手段に出るとは……)


 ……フゥ、と。

 小さく呼気を整えて女性騎士は長大メイスアンブレラを握り直した。

 静かに重心も落とす。

 そうして、


「……殿下」


 腕の中の少年へと声を掛ける。


「どうか私めにお任せを。命に代えましてもこのセリアが必ず殿下をお守りします」


 決死の覚悟をもってそう宣誓する。

 しかし、少年は、


「それはダメだ。セリア」


 かぶりを振って拒絶する。


「僕に自殺願望はない。だからみすみす殺されるつもりもない。僕を守ってくれた騎士たちのためにも。けど、僕のためにセリアが死ぬことだけは許さない」


 そう返した。女性騎士は少し驚いた顔をした。

 が、ややあって、


「……ええ。そうですね」


 女性騎士は微笑んだ。

 生来の優しさが零れ落ちるような微笑だった。


「では、二人で生き延びましょう」


「うん。二人で生き延びよう」


 少年は頷き、女性騎士の背中を強く掴んだ。

 女性騎士は優しく双眸を細めてから、


「さあ、悪漢ども」


 改めて長大メイスアンブレラを構えた。


「一人残らず返り討ちにしてやる。掛かってくるがいい!」


 彼女は勇ましくそう告げるのだった。

 そうして――。


 

 翌朝。

 とある国に一報が奔る。

 幼き第九王子が襲撃されたという一報だ。

 視察の途中の馬車が何者かに襲われたというのが現場を見た者の見解だった。

 そこには争った形跡と数人の騎士の遺体もあった。

 しかし、第九王子と一人の騎士の姿だけがなかった。

 襲撃側の死傷者は回収されたらしく、手掛かりは一つもなかった。


 果たして襲撃者は何者だったのか。

 第九王子たちは一体どこに消えたのか。


 真相は誰にも分からない





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 読者の皆さま。

 いつもお世話になっております。雨宮ソウスケです。


 第5部の第1話を先行投稿いたしました。

 ですが、正直かなり早出しした投稿でもあります。

 

 いかんせん、現在、☆も♡もフォロワー数もPV数もほとんど停滞している感じです。

 今は書き溜めのために更新が止まっているので仕方がないといえば仕方がないのですが、特にフォロワー数が徐々に減っていくのはモチベ的に結構響いてつらいです。


 今回は宣伝のためにも第1話を投稿しました。

 切実なところ、長期休暇の書き溜めに向けてのモチベが欲しいのです。

 

 読者の皆さま。

 ☆でも♡でもフォローでも頂けると作者の大きなモチベとなります。

 応援のほど、何卒よろしくお願いいたします。



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