第3部
第1話 嵐の夜に
今日は騒がしい夜だった。
それもそのはず。
何故なら今宵は嵐だからだ。
彼が寝床にしているこの島も猛威に覆われている。
洞窟の外では雨風が吹き荒れていた。
しかし、彼は気にしない。
騒がしく少々寝苦しい程度だ。朝には納まっているだろう。
仮に暴風でこの洞窟が崩れようが、何の痛痒もない。
寝床を変えればいいだけの話だ。
『―――くああ』
彼は大きく欠伸をした。
と、その時、気付く。
騒がしいのは雨風だけではない。
精霊たちも騒めいていた。
『…………』
双眸を細めて少し興味を抱く。
世界を織りなす現象には精霊たちが必ず関わっている。
そもそも『精霊』という名称自体、古の神々が去った千年ほど前から呼ばれ始めたモノだ。
かつての呼び名の通り、すべての事象の根源たる存在なのである。
従って、今宵の嵐もそうだ。
しかし、騒めいているのは風と水の精霊だけではない。
あらゆる精霊が共鳴するように騒めいていた。
漠然とした意志しか持たない精霊にしては珍しいことだ。
『…………』
彼は顔を上げた。
ズシンズシンッと巨躯を動かして洞窟の外へと出る。
雨風が彼の巨躯を打つが気にも掛けない。
ただ鎌首を上げて遠くを見やる。
ここより遥か遠方だ。
彼の双眸には、そこに集っていく精霊たちの姿が視えた。
『……ふん』
不意に彼は鼻を鳴らした。
『……面白い』
人語でそう呟き、青い両翼を広げた。
飛翔する。
風も置き去りにして天へと昇る。
嵐を突き抜けて、月と星だけが輝く雲上へと到達する。
そのまま彼はさらに加速する。
余波で雲海が揺れた。
目指す地は、精霊たちが集う場所だ。
船でならば数日かかる遠方も、彼ならば瞬きを数回繰り返す程度の距離だった。
文字通り、瞬く間に彼は目的の場所に到着した。
その場にて
この下に莫大な精霊たちが集まっていた。
だが、余計な雑魚ども集まっているようだ。
精霊の力も感じ取れない魔獣どもだ。
『……邪魔だな』
そう呟き、彼はアギトからブレスを吐き出した。
あらゆる動きを止める氷結のブレスだ。
それは雲海を貫き、大海原へと突き刺さった。
海は瞬時に凍り付き、雑魚たちは意識することもなく氷像となって絶命した。
同時に嵐も吹き飛とんで、これで少しは静かになった。
(さて)
彼は雲海の下へと降りていく。
そして、
『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッッ!』
自負を込めて咆哮を上げた。
自身が海を凍らせて作った氷の大地を見やる。
そこには一人の人間がいた。
――いや、正確には二人だ。
人間の雄が人間の雌を抱いて宙に浮いている。
だが、彼の瞳には人間の雄の方しか映っていない。
その人間の周囲には莫大な数の精霊たちが集まっていた。
(ほう……)
彼は双眸を細めた。
そして、ゆっくりと氷の大地に降り立つ。
すると同時に一筋の雷が大地に落ちた。
そこから一頭の獣が現れる。
雷を全身に纏う、四足の白い獣だ。
(
彼は即座に判断する。
白い獣は牙を剥き出しにして彼を牽制している。
その間に、人間の雄が氷の大地に降りた。
腕に抱いていた雌も地に降ろす。
人間の雌は雄に何かを叫んでいた。
恐らく逃げるべきだとでも言っているのだろう。
人間の雄はかぶりを振って否定している。
まあ、当然だ。
その気になれば、音さえも置き去りにして飛翔できる彼から逃げられるはずもない。
人間たちが生き延びる道は彼と戦い、勝つことだけだ。
人間の雄は雌の肩を叩く。
そして雌をその場に置いて、こちらに向かってくる。
二人で戦わないのは雌の方が無手だからか。
だが、雌の参戦の有無は彼にとってはどうでもよい。
雷精の化身を従えて、剣を抜く雄の圧の前では些事たることだ。
しかも、
(……ふむ)
剣から立ち昇る邪氣に少し驚く。
恐らくは神殺しの魔剣。
それもこれほどの邪氣となると相手は相当なる厄災――名のある
『面白いな』
彼は言う。
魔剣を携えた雄は少し驚いた顔をした。
人間の雌の方も唖然とした顔をしていた。
彼が人語を喋るとは思っていなかったのかも知れない。
「……何が面白いんだ?」
人間の雄が問う。
『いやなに』
彼は告げる。
『数多の精霊を従えた
「……? 何を言っているのかよく分からないが……」
人間の雄は眉根を寄せた。
「言葉が通じるのなら有り難い。オレとしては無用な戦いはしたくないのだが」
『そうもいかぬ』
彼は答える。
『仮に万象の王――いや、人の時代に合わせるのなら「精霊王」と呼ぶべきか。ヌシが精霊王であれば
「……本当に言っている意味がよく分からない」
ますますもって眉根を寄せる人間の雄に、
『これは竜種の宿業……まあ、習性だとでも思え。何より
そう告げて、彼は咆哮を上げた。
そして、
『我が名はグルードゥ。
名乗りを上げた。
もはや戦いは避けられないと悟ったか、人間の雄も、
「ライド=ブルックスだ。D級冒険者だ」
そう名乗り返した。
「この状況だ。立ち向かうしかないのは分かる。だが」
ライドと名乗った雄は、後方にいる人間の雌に目をやった。
「彼女は見逃してくれないか? 武器さえ持ち併せていないんだ」
『……良かろう』
グルードゥは答える。
『ヌシが精霊王ならばあの娘は寵姫か。いずれにせよ、自分の雌を守りたいと願うのは雄の本能であり矜持よ。それぐらいは配慮しよう』
「……そういった関係ではないんだが、受け入れてくれるのなら有り難い」
ライドと名乗った雄はそう返す。
まあ、多少の認識違いなどグルードゥにとってはどうでもよい些事だ。
いずれにせよ、これで互いの意志は確定した。
『では
牙を剥きだして、グルードゥは竜尾を氷の大地に叩きつける。
大きく広げた両翼は烈風を巻き起こした。
そうして、
『このグルードゥの試練。見事打ち砕いてみせよ!』
青き古竜は雄々しく吠えるのであった――。
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