第33話 やわらかいもの

 スマホを見ると『雨だいじょうぶ』と桃果からメッセージが入っていた。『雨宿りしてから帰る』と返しておく。いま帰ったらずぶ濡れの服でホテルに迷惑をかけてしまう。


 今度は真結のポケットから音がした。


「――あ、比奈ですか? ええ大丈夫ですよ。雨宿りしています」


 相手は比奈のようだ。真結は小さい子どもに言い聞かせるように優しく語りかける。さすがお姉ちゃんって感じだ。


「雨がやんだら帰りますので温かいお湯とお風呂の準備をお願いします。ええ、はい、ではまた後で……」


「比奈、心配してた?」


「ええ。私の雷嫌いを知っているので取り乱していました。でももう雷雲は行ってしまったようですし、橙輔さんが隣にいるので平気です」


 だいぶ雨脚が弱まってきた。

 でも真結はしがみついたままだ。


「――あの日も雨でしたね」


「あの日?」


「ええ、橙輔さんにはじめて会った日」


 真結の大きな瞳に吸い込まれそうだ。


「覚えていないですよね?――私たちは偶然お会いしたんですよ。放課後買い物に行った途中で雷雨にあって身動きとれなくなっていたら声をかけてくれたんです」


「おれから? なんて?」


「オイしっかりしろ、って。ふふ」


「口が悪くてごめん」


「いいんですよ。耳をふさいでうずくまっていた私を心配してくれたんだと思います。ありがとうございました」


「なんか恥ずかしいな」



(でもそうか。顔見知りだったから真結と一緒にみつぼしに行ったんだな)



 これで謎が解けた。聞いてみればなんてことはない。

 心が晴れ渡るのと同時に雨音が聞こえなくなった。手を伸ばしても雨粒は当たらない。本当にあっという間のスコールだった。雲が抜けた夜空には星がちらつく。


「雨がやんだみたいだ。ホテルに戻ろうぜ、きっと比奈も心配してる」


 真結を促して歩き出す……つもりが、ぐっと腕を引かれた。

 マネキン人形みたいに動かない。そのくせ指先はやけに熱く、やわらかい。


「いつだったか、私は魔女だと、言いましたよね」


 うつむいている。


「時々自分のことが本当に怖くなるんです。いまだって。怖いです。この状況をこの上ない幸運だと思っているのですから」


 顔を上げた。

 またあの目だ。暗い海の色。


「真結――?」


 ゆっくりと腕が伸びてくる。

 肩を掴まれて前のめりになったところへ、やわらかな感触があたり――――キス、されていた。


「…………っっっ!!??」


 すぐさま体を引いた。

 なにが起きたのか理解できなくて、頭の中が混乱している。


「い、いまの、」


 しどろもどろ。

 唇そのものじゃなくて少し横にずれたところに真結の温もりが残っている。


「お礼です。内緒ですよ」


 いたずらっぽく指を立てる。


「それから。忘れていると思いますが、いまのキス、じつは初めてじゃないんです」




   ※   ※   ※




「うー……頭が重い」


 最悪な寝覚めだった。

 時刻は八時半。隣のベッドは空だ。


 スマホを見ると両親と桃果からメッセージが入っていた。両親は遠出しての朝釣り、桃果は真結と開店前から並ぶと書いてある。


 ぐぅ、と腹の虫が鳴くのでのっそり起き上がった。


 カーテンを開けるとどこまでも広がる海が見える。なんてきれいなんだろう。それに比べてガラスに映った自分の顔、ひでぇ。


 昨夜の感触がよみがえってきた。


(アレは一体なんだったんだ……)


 魔女とか、キスとか、初めてじゃない、とか。訳が分からない。


 洗面所で自分の顔を見た途端、盛大なため息がでた。


 ひでぇ顔。

 一体どんなつらして真結に会えばいいんだ?


 それよりも比奈だ。

 比奈になんて言えば――……。


 部屋のカーテンを開けると水平線の向こうに大きな太陽が見えた。

 眩しくて涙が出そうになる。


「……ん、あれは」


 砂浜にだれかいる。麦わら帽子をかぶった白いワンピースの女の子。膝をついて熱心に足元を掘り返しているようだが子どもが砂で遊んでいるという感じではない。

 もっと深刻な……。


「あの子、もしかして――」


 気がつくと部屋を飛び出していた。





「見つからない……どうしよ、ほんとに見つからないよ……どうしよう……」


「――比奈!」


 うずくまっていた少女がパッと顔を上げた。


「橙輔? どうしてここに?」


 背中まで伸びた長い髪、膝丈の真っ白なワンピース。唇はほんのり赤く、青い瞳が宝石みたいに輝いている。


「部屋から見えたんだ。普通じゃない感じだったから気になって。……どうした、なにか探しているのか?」


「あっ……落とし物しちゃって」


 沈んだ声で麦わら帽子を外し、さみしそうに前髪を撫でる。いつもそこに留まっているヘアピンがない。


「ひとりで散歩していたら突風で麦わら帽子が飛んじゃって。慌てて追いかけて帽子は拾ったんだけど、ヘアピンがなくなっていたことに気づいたの。ぜんぜん見つからなくて」


 手や頬に張りついた砂が比奈の必死さを表している。一体どれくらいの時間ここで探していたんだろう。


「おれも手伝うよ」


「でも、どこに落ちたのか見当もつかないんだよ」


「人手は多い方がいいだろ。それに『彼女』が困っているのに放っておけねぇよ」


 クローバーの飾りがついたヘアピン、いつも大切に使っていた。よっぽど思い出深いものなんだろう。絶対に見つけてやる。



 こうして手分けしてヘアピンを探すことにしたが、広大な砂浜で見つけるのは想像以上に大変だった。


 一時間経過、二時間経過、徐々に潮が満ちてくる。

 飲み物を買いに行ってくれた比奈が申し訳なさそうに呟いた。


「探してくれてありがとう。でももういいよ。安物だし、ヘアピンは他にもあるから」


「だめだ!」


 反射的に叫んでた。

 びっくりしたような比奈に向き合い、潮風で乱れた前髪を撫でる。


「そんな泣きそうな目して、ぜんぜん説得力ねぇよ」


「泣いてなんか……」


 二の腕から手の甲にかけて赤くなっている。

 おれが声を掛けるまで夢中になって探していた証拠だ。


「あのヘアピンは比奈にとって大切なものなんだろ。替わりはなんでもいいんだったら、こんなふうに日焼けするまで探さずにとっくに部屋に引き上げてるだろ」


「あっ……」


 はっとしたように腕をさする。

 おれは、潮でべたつく髪をそっと撫でた。


「諦めないで、もうちょっと探してみようぜ」


「うん……ありがと。ありがとう」

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