第29話 日焼け止め塗って?

 海水浴場にて。


「え? それで八階から十二階までずっと乗ってたの?」


 事情を聞いた比奈はぽかんとしていた。


「まぁ、念のため。他のお客さんが途中で乗りこんだら困惑するだろ。幸いだれも来なかったから十二階までいって七階に戻ったけど」


「あはは、律儀な橙輔らしいね」


 笑いながらサングラスを外す。真結と同じく目の色素が薄いため海沿いの直射日光は眩しくて辛いらしい。


「それで部屋には入れたの?」


 ビーチチェアに座り、踝から太ももまで丁寧に日焼け止めを伸ばしていく。


「まぁ……うん」


 杢グレーのパーカーから伸びるほっそりした腕がやけに白く見えるのは真夏の太陽のせいだろうか。それとも、ちらちらと見える水着のせいか。ぐぅ、直視できん。おれもサングラス用意しておけば良かった。


「心配していたけどインターフォン押したらすんなり入れてくれた。でも……」


 ――条件がある。と指先を突きつけてきた。

 室内でのスマホ撮影禁止、半径1メートル以内に近づかない、入浴はホテル内の温泉、トイレは廊下の共有を使うこと。洗面所の使用は許可を得てから。あとスッピン見たら●す、寝顔見たら●す……etc。


「なんだか軍隊みたいだね」


 今度は熱心に脇の下を塗っている。おれの話を聞いているのかいないのか。


「寝顔もなにも、ベッドの間にハンガーラックとかでパーテーション作って、ここから入るなって言うんだ。せっかくのオーシャンビューなのに窓際に近づけない。ひどくないか?」


 家族旅行は散々なスタート。桃果はなんで急に不機嫌になったんだろう。分からん。


「かわいそうな橙輔」


 項垂れているおれを比奈の両手が包み込んだ。光を取り込んだ青い瞳がいつもにも増して輝いている。


「良かったらこっちの部屋くる? 前の建物がちょっと邪魔だけど海も一応見えるよ」


「やめとく。桃果、真結のところ行くってキャリー引きずっていったから寝るとき以外は戻ってこないと思う。鉢合わせしたら気まずい」


「でも羨ましいなぁ、すぐ手が届く距離で寝るんでしょう? 橙輔の寝顔みながらイタズラしてみたいな。こんなふうに」


 と言いながら日焼け止めをべっとりと塗りたくられる。


「やめろ変態」


「ふへへ、冗談だよ」


 満更でもなさそうに笑いながら丁寧な指使いで顔や首筋に日焼け止めを塗ってくれた。


「こんなこと言うと怒られるかもしれないけど佐倉さんずいぶん変わったよ。中学の頃は荒れてたっていうか、あんまりいいウワサ聞かなかったから」


「まじで?……ああでも学校サボってカラオケ行ったり髪の毛染めたり耳にピアスしていたって聞いたことがある」


「うん。たしか小学生のころお母さんが亡くなって……ああそうだ、佐倉さんの誕生日当日だって聞いたことある。誕生日ケーキを買いに行ったお店で倒れてそのまま意識が戻らなかったって」


 そうか、桃果の誕生日は母親の命日でもあるのだ。

 誕生日だからって祝われたくない、あの言葉にはそんな思いがあったのか。


(だから母さんや義父さんも桃果の気持ちを察して大げさに祝わなかったのか。おれは、そんなことも知らずに)


「父子家庭だったけどお父さんはお医者さんだから忙しかったでしょう? たぶん淋しさの裏返しで反抗的な態度とっていたんだと思う。まぁテストの成績は良かったし大きな問題起こしたわけじゃないから先生たちも見て見ぬふりしていたけどなんとなく近づきにくかったんだ。お姉ちゃんはまったく気にせずグイグイいってたけど」


 はじめて桃果に会ったときのことはギリギリ覚えている。ひどい悪態をつかれて思い出しても腹が立つくらいだ。


「お父さんの再婚だけじゃなく、相手には同い年の息子がいる……佐倉さん戸惑っただろうね。こんなカッコイイ男の人がいきなり家族になるんだもん、緊張しちゃうよ」


 つん、と頬をつつかれる。


「桃果はそんな可愛い奴じゃないぞ? おれなんてただの居候扱い」


「本心を隠しているだけだよ」


 再び、つん、と頬を押される。


 つん、つん、つん。


「なんだよさっきからツンツンして」


「だって目線そらしてばっかりなんだもん。日焼け止め塗って欲しいのに」


 バレてた。砂で遊んでいる振りをして水着から目をそらしていたことに。


「……わかったよ」


 覚悟を決めて向き直ると「そうこなくっちゃ」と背中を向けた。


「はいこれ日焼け止め。ムラなく丁寧に塗ってね。お願いします!」


 羽織っていたパーカーの下から華奢な背中が現れる。ビキニだ。しかもホックじゃなくてヒモで結ぶ簡易的なもの。いつ「事故」があってもおかしくないキケンな代物。


「……」


 試されている気がする。深呼吸。深呼吸だぞ、橙輔。理性を保て。


「じっとしていろよ。あと変な声出すのも禁止」


「具体的にどんな声?」


「……私語禁止」


「きびしい!」


 手のひらに液体をとり、背骨が浮き出た背中にすりつける。手のひらを通して伝わってくる比奈の体温。あったかくて気持ちいい。


 だめだ意識しすぎ。しっかりしろ、おれ。

 ムラなく、丁寧に。ムラなく、丁寧に。


「くしゅぐったい」


「こら、声」


「はぁい」


 ぺろりと舌を出して寝そべる。


 無防備な姿。今ならあんなことやこんなことができてしまう。……くぅ、集中しろおれ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る