第26話 お邪魔します…

「ごめんね、あんまり片付いてないけど遠慮なく上がって」


 先に入った比奈は靴箱から客用のスリッパを出してくれた。


「おじゃまします……」


 彼女の家。萌黄色のスリッパ。一歩入ったときから甘い匂いが漂ってくる。

 なんだか妙に緊張してしまい、比奈の言葉も耳に入ってこない。


「ここがキッチン。奥がリビング。隣の寝室はすごく散らかっているから入らないでね」


 間取りは2K。築三十年近いアパートだがリフォーム済みなので内装はきれいだ。両親がいないのでバイト先の店長が保証人になってくれているらしい。


「いまお茶いれるね。リビングで待ってて」


「病人はゆっくりしてろ、お茶なら自分で入れるから」


「もう下がったよ。良かったらなにか食べる? いっぱい運動して疲れたでしょ? 大家さんが作ってくれた卵雑炊が残っているから」


「うわ、うまそう!」


 コンロに乗っていた卵たっぷりの雑炊を見た瞬間にぐぅと腹が鳴った。

 比奈はにんまりと笑い、ピンク色のエプロンを身につける。


「すぐに用意するね。と言っても温めるだけだけど」


「じゃあ手伝うよ。なにすればいい?」


「流し台のカゴにある食器を棚に戻してもらっていい? てきとうでいいから」


「おっけー」


 言われたとおり食器を拭いて棚に戻していく。キッチンはさほど広くないので視界には常にエプロン姿の比奈がいる。いつの間にか髪の毛をまとめあげ、慣れた手つきで青ネギを切っている。トントン、と小気味よく響く音。ピーと煙を吐くヤカン。なんだか夫婦みたいだ。


「ふふ、こうしていると新婚さんみたいだね」


「バカ、なに言ってだ」


 おれもそう思ってた、とは、とても言えない。

 つん、と袖を引っ張られる。


「……ね、新婚さんごっこ、してみる?」


 おねだりでもするように上目遣いでおれを見上げてきた。

 新婚さんごっこ……!? なにその斬新な遊び!! めっちゃ気になる。


「ば、バカ言うなよ。まだ熱あるんじゃないのか?」


 気恥ずかしさを隠すように、ぺた、と額に触れるとと「もう平気だもん!」と拗ねてしまった。


(ああやばい、心臓がヤバい。ぶっ倒れそう)


 刺激が強すぎる。顔から火が噴きそう。

 マジかわすぎるだろ、おれの彼女。




 ふたりで協力し、リビングのテーブルに雑炊とジュース、コンビニで買ってきたゼリーを並べた。


「うまっ! なんだこの雑炊。塩加減が抜群なんだけど!」


「でしょ? あたしの料理の師匠なんだ。お姉ちゃんも一緒に習ったんだけど包丁さばきヤバすぎて破門にされちゃった」


「なんか分かる気がする」


「ママもあまり得意じゃなくてパパがいつも作ってくれたんだよ。懐かしいなぁ。ほらあれ」


 ガラステーブルの上には仲睦まじい男女の写真が飾られている。


「あの写真、両親?」


「うん、そう。パパママみて、橙輔だよ。あたしの彼氏。カッコイイでしょ?」


 にこにこしながら写真立てを見せてくれた。女性はひとめで外国人だと分かる金髪碧眼。男性は優しそうな顔立ちの日本人だ。


「こんちは、佐倉橙輔です。いつもお世話になってます」


 写真立てを掲げてぺこりと頭を下げた。


「まじめだね~」


「いいだろ。……へぇ、二人とも髪や目の色はお母さんに近いけど、顔のパーツはお父さんに似てるんだな。真結はちょっと垂れ目で、比奈の鼻筋はそっくりだ」


「ほんと? 似てないってよく言われていたからパパいまごろ天国で泣いて喜んでるよ。良かったねパパ」


 比奈がどれだけ両親を思って泣いてきたのか、おれは知らない。真結だって明るく振る舞っているけど、寂しくて叫びたい夜もあっただろう。


「ねぇ橙輔。せっかくだから二人に見せつけてあげようよ、あたしたちのイチャラブ」


「は!? イチャラプ……舌噛んだ」


「慌てすぎ。別にいかがわしいことするわけじゃないもん。彼氏彼女なら熱々の雑炊をフーフーして食べさせてあげるくらい普通でしょ。あたし病人なんだし」


「熱下がったって言ってなかったか?」


「…………あうっ! なんか熱がぶり返してきたかも。彼氏が冷ましてくれた雑炊食べれば元気になるかも」


「ぐっ、白々しい演技しやがって」


「ね。おねがいします」


 小首を傾げ、おねだりのポーズをしてみせる。ぐう、かわいい。


「わかったよ、少しだけだからな」


「やった」


 ぴょんっと飛び跳ねる。病人設定どこいった。

 このまま言い争っても仕方ないのでさっさと終わらせることにした。レンゲに一口分の雑炊をとり、ふぅー、と息を吐きかける。


「夢だったんだよね、彼氏に看病してもらうの」


「だいぶ強引な叶え方だけどな。ほら、口開けろ」


「そんな歯医者さんみたいな言い方しないで。あーんって優しく」


「めんどくせ。……ほら、あーん」


「あーん」


 やや前傾姿勢になりながら美味しそうに頬張る。


「んんーっ、おいしい」


 目を細めてニコニコしている。

 比奈の思惑にまんまと乗せられている気がしないでもないが、くそカワイイ。


「もう一口、食べたいな」


 エサを待つ雛のように口を開けられ、結局ねだられるまま雑炊を食べさせ続けることになった。挙句おかわりまで要求してくる強欲ぶり。はぁ、なにやってんだおれは。


「ふぅ、お腹いっぱい」


「そりゃあれだけ食べればな」


「お腹空いてたんだもん。ねぇ汗かいたから着替えたいんだけど手伝ってくれない?」


 うっすら頬を上気させた比奈はシャツの襟元をかるく引っ張る。


「熱で関節が痛くてうまく動かせないの。ちょっと引っ張ってくれるだけでいいから。向こう見てるからそんなに緊張しなくていいよ」


 くるりと背を向けてシャツをたくし上げた。びっくりするほど白い肌が露わになり、ほっそりとした背中が浮かび上がる。



(ひぃ~)



 目の前がチカチカする。緊張しすぎて気を抜いたら倒れそうだ。


「さ、触るぞ」


 震える指先でちょいっと服の端を掴んだときだ、


「ひゃんっ」

「ぎゃっ!」


 変な声を上げるから尻餅をついた。


「なにそんなに驚いて。ちょっと反応しちゃっただけじゃん」


「この……やっぱ無理だ! まじでこれだけは無理!」


 両腕をバッテンにして必死に抗議の意思を示した。これ以上は心臓がもたない。


「え~」


 比奈は残念そうに唇を曲げていたが、


「残念。じゃあキスしてくれたら許してあげる」


 と肩をすくめた。



(キスだけでいいのか)



 それくらいだったら、と思って、すぐさま腰を浮かせた。もしかしたらおれも熱に浮かされていたのかもしれない。


「え? ちょっ、橙輔……」


 じりじりと迫り、慌てふためく比奈の額にキスをする。事務的に。感情を入れず。触れていたのはほんの数秒だったと思う。



「~~~~ちょっと待って!」



 どんっと強く胸を押されてのけ反った。


「なんだよ、そっちが言ったんだろ」


「いやムリ! ムリムリムリ!!」


 壊れたオモチャのごとく首を振っている。


「おれは言われたとおりにしただけで」


「ムリっ! 橙輔ぜったいに女心分からないタイプでしょっ!」


「仕方ないだろ男なんだから」


「あんなの冗談に決まっ……ほんのイタズラ心っ……はぅうう~~」


「おい比奈!?」


 白目を剥いてふらふらと崩れ落ちる。慌てて抱きかかえると全身が熱湯のようだ。熱がぶり返したんだ。


「比奈――おい比奈! しっかりしろ!」


 心配になって額の熱をはかろうとすると、


「むりぃ」


 両手で顔を覆ってしまった。またキスするとでも思ってんのか? あいにくそこまでキス魔じゃないぞ。


「もうっ、橙輔のばか……しゅきっ……」


 手のひらごしにくぐもった悲鳴が聞こえてきた。



「…………」



 つい真顔になってしまう。

 言われたとおりキスしただけなのに、解せない。




 第三章 おわり。

 残り2章です


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