いまのキス、初めてじゃないから。

せりざわ

第1話 『午後五時、待ち合わせ♪』

「……困ったな」



 退院したおれの目に飛び込んできたのは壁掛けカレンダーだった。


 なんとか工務店と書かれた一ヶ月カレンダーにはスケジュールを書き込むスペースが用意されている。ほぼまっさらの空欄が並ぶ中で、ある日だけ周りにはみ出すほど大きな書き込みがあった。



『午後五時、待ち合わせ♪』



 極太のマジックペン。♪付き。我ながら汚い字だ。


「七月九日――……今日、だよな。待ち合わせぇ?」


 傾けていた頭をさらに傾ける。

 待ち合わせの目的や行き先はもちろん、相手も不明。


 他の枠は白紙なのでこの予定だけやけに目立つ。気まぐれ……って感じじゃない、それだけ大事(わすれちゃいけない)な予定だったんだろう。


 だれにとって?――うん、おれだな。何回見てもおれの字だもんな。右肩上がりの浮かれた字だ。


「うーん……」


 まったく記憶にない。


 見る角度を変えて上下左右、遠近、なんなら股下から覗き込んでみたがマジックペンがちょっと薄くなってることくらいしか分からなかった。傾けすぎた首がそろそろ限界だ。


「あー、首いてぇ。入院中ずっと固定されてたからな」


 だるくなって、そのままごろんと寝そべった。


 なんとはなしに室内を見回す。シリーズものの漫画、ゲームソフト、やけにリアルな熊の置物、五百円玉貯金箱、賞状、トロフィー……泡のように浮かび上がってくる思い出の中に今日のことが混じっていないかと探したが全然引っかからない。


「頭いてぇ。寒気してきた」


 部屋が寒すぎるせいだと思い、エアコンを止めて窓を開けると生ぬるい風が吹きこんでカレンダーの端をばたばたと揺らした。


 さて、――佐倉橙輔(さくらだいすけ)は『だれ』と『なに』を約束していたんだ?


 こんな小躍りするような文字で、なにを考えていた?


 カレンダーに書いてしまうほど嬉しくて、忘れたくないことだったのか?



「……だめだ、思い出せねぇ」



 セミの鳴き声がうるさくてぴしゃりと窓を閉める。



「医者から言われた時は大したことないと思ったけど案外不便だな……記憶喪失って」



 待ち合わせ相手はもしかして彼女♪……だったりして。そんなわけないか。

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