こもれび

maria159357

第1話 水沫泡焔

こもれび

水沫泡焔





     登場人物




     夏目 瞬太 なつめしゅんた


     渼芳 大亮 みよしだいすけ


     伊兎馬 晟二 いとばせいじ




     烏夜 うや


     烏兎 うと


































 第一章【水沫泡焔】






































 何事も、成し遂げるまではいつも不可能に見える


         ネルソン・マンデラ


























 「お先に失礼しまーす」


 「夏目くん、お疲れさまー。あ、そうだ!これ良かったら弟君たちに持って行ってあげて」


 「え、いいんすか!?」


 「商品入れ替えがあるからさ。いつまでも置いておいてもね?ちなみに、ちゃんと俺が自費で購入してるから」


 「ありがとうございます!」


 朝日が欠伸をしながら顔を出してしばらくした頃、男、夏目瞬太は深夜のバイトを終えて帰るところだった。


 バイト先の店長に声をかけられ、お菓子の詰め合わせを貰うと、家で待ってる弟たちに土産が出来たと自然に笑みがこぼれる。


 「弁当ちゃんと持って行ったかな」


 深夜バイトに出る前に作っておいた弁当を、弟たちがちゃんと持っていたかを心配していた夏目は、スマホを取りだして時間を確認する。


 通常深夜バイトは朝8、9時ごろまでが固定のシフト時間としてあるのだが、夏目は家庭の事情を店長に説明をしたところ、夜早めに出勤し朝も早めにあがらせてもらえることとなった。


 少しかけ足で家に帰っていた時、夏目の前を物凄い勢いの何かが通る。


 「うおっ!!」


 それが人間だと気付くと、夏目は謝ろうとそちらを見るのだが、相手は夏目のことなど見えていないようで、慌てた様子で、狂った様子で?とにかく、夏目からしてみれば、嵐が去って行った感じだ。


 「・・・なんだ?」


 そんなことより早く家に帰ろうと思って踵を返したとき、そこに誰かが立っていた。


 白い髪にグレーの瞳、黒のタンクトップで上着を羽織っているのだが、両肩を曝け出した状態だ。


 萌え袖よりも長くなっているその袖部分を口元に持って行ったかと思うと、夏目を見てなんとも言えない笑みを見せる。


 というよりも、目元が歪んだ。


 嫌な予感がした夏目は、早くそこから立ち去ろうと、知りもしないその男に軽く会釈をして横を通り過ぎようとしたのだが、その時男が声を発した。


 「人生をやり直したいと思わないかい?」


 「・・・は?」


 思わず足を止めてしまった夏目は、自然とその男と目を合わせる。


 その途端、身体から力というか、意思が抜けたように動かなくなり、そのうち意識までもが何処かへ飛んで行きそうになる。




 「(早く・・・家に・・・あいつらに)」








 「!!!!!」


 ハッ、と意識が戻ってきた。


 感覚的に言うのであれば、寝落ちしそうになって急に脳が起きた、という感じだろうか。


 なんと表現したら良いのかは分からないが、簡単にいうとそんなところだろうが、実際はもっと複雑な何かなのだろうということは直感的に分かった。


 一体何があったのかと思っていると、先程の男とは別に、もう1人の男が、夏目を庇う様にして立っていることに気付く。


 「あれ?烏兎くんじゃないか。また邪魔しに来たのかい?」


 「相変わらず雑食だな。こいつの何を喰うつもりだったんだ?」


 「なんでもだよ。美味しいとこがあれば全部ね。若いのは良いことだ」


 もう1人の男は、黒のように見せかけた濃い、すごく濃い青の短髪で、紫と白を基調とする着物の下に青いズボンを穿き、ふくらはぎあたりには包帯が巻いてある。


 そして草履を履き、不思議な感じの和傘を持っている。


 さっさと家に帰りたい夏目だが、思う様に身体が動かない。


 呼吸も正常のはず、思考も正常のはず、何が正常ではないのかと聞かれると分からないが、脳への指示といったところだろうか。


 それでも指先は先程より若干ではあるが動き始めている。


 「どいてくれないかな。さっき、1人途中まで食べて逃げられちゃったんだよね。ま、あの状態なら何処かで倒れてるとは思うんだけど、追いかけるの面倒だし。烏兎くんが邪魔さえしなければ僕は幸せになれるんだよ」


 「烏夜、お前がここから大人しく立ち去って、なおかつ今後一切人間に近づかねえってんなら俺は幸せだ」


 「利害が一致しないね。一歩引いてくれないかな?」


 「引く心算はねぇなぁ。お前が引かねえなら俺も引かねえぞ。どうする?」


 「うーん。困ったなぁ・・・」


 そう言うと、烏夜と呼ばれた男は袖部分を側頭部に持っていき、何か考えているような素振りを見せる。


 小首を左右に何度か動かしたあと、烏兎の方を見てにんまりと笑う。


 いや、笑うというにはあまりにも不気味で、“笑み”という表現をしてしまってはその表現に対して失礼というものだろう。


 そして、ほんの一瞬の出来事だった。








 烏夜が烏兎に飛びかかり、烏夜が蹴った地面はまるで地震が起こったかのように割れていた。


 今度は烏兎の顔の横に蹴りが入りそうになると、烏兎は腕でその蹴りを受け止めた。


 地面を割るほどの蹴りを受け止めて、骨が折れているのではないかと思った夏目だったが、どうやら腕の部分には手甲が仕込まれていたらしい。


 しかし、その手甲さえ罅が入っていた。


 烏兎は、もう片方の腕に持っていた和傘を広げると、それをクルクルと回し出した。


 一体なんだろうと思っていると、和傘の内側がまるで万華鏡のように綺麗にキラキラと踊り始める。


 烏夜は少しだけ表情を歪めると、和傘から逃れるように身体を移動させようとするが、烏兎がそれを逃がすまいと烏夜の後ろ髪を引っ張る。


 見ようによっては酷い男だと思うかもしれないが、違うから安心してほしい。


 烏夜の髪はもともとゆるーく縛ってあったため、さらっとゆるっと紐が解けたかと思うと、その白く輝く髪が、皮肉にも神々しく見えてしまった。


 そして烏夜は軽く微笑むと、何処かへと消えて行く。


 「・・・・・・」


 去って行った烏夜を追いかけようとした烏兎は、和傘を一旦閉じて走り出すが、すぐさま何かによって転びそうになる。


 なんとか前足を出して踏みとどまり、転びそうになった原因の方へと顔を向ける。


 「なんだお前。烏夜の仲間だったのか?」


 「・・・いや、違うけど」


 「なら邪魔をするな。俺はあいつを葬りさらねえといけねぇ」


 「色々聞きたいんだけど。さっきの奴なに?何者?お前何?なんか俺、意識がブッ飛びそうになったんだけど何で?」


 「悪ィがそれに答えてる暇はねェ。さっさとあいつ追いかけて・・・」


 自分の脚を掴んでいる夏目の腕を振り払おうとした烏兎だったが、どうにもこうにも振り払うことが出来ない。


 グググ、と思い切り力を込めてみるも、そう簡単には解放してもらえないようだ。


 「おいおい、すげぇ腕力だな」


 「あ、やべ。もうこんな時間か」


 腕時計を見た夏目がそう言ったところで少しだけ力が緩んだため、その隙に烏兎は夏目から離れて、烏夜同様にさっさと姿を消してしまった。








 「兄ちゃん、おかえり!」


 「今学校行くとこだった」


 「悪い悪い。遅くなったな。広太、優太、気をつけてな!帰ってきたらお土産にもらったお菓子食っていいからな」


 「「やった!!いってきまーす!!」」


 「よし。翔太、小学校行くぞ。靴下履いたか?」


 「まだ。かっこいいの穿いてく」


 「かっこいいのってなんだ。靴下なんて誰も見ねぇって。てか規則じゃ白だろ」


 「今どき誰も守ってないよ」


 「え、そうなの。俺んときはみんなちゃんと守ってたんだけどな」


 「あった!」


 ようやく見つけた黒にブルーのラインが入ったクールな感じの靴下を見つけると、四男の翔太はそれを必死に足にはめていく。


 その間に、夏目は翔太の鞄の中をチェックして、何か大事な書類などがないか、提出物が無いかの確認をする。


 翔太が靴下を穿いたか確認すると、よくよく見たら俺のじゃね?と思ったが、何も言わずに「似合う」とだけ伝える。


小学校まで翔太を送って行くと、先生に挨拶をして準備する物や何か粗相をしていないかを確認する。


 「何も問題ありませんよ。みんなとも仲良くしていますし。この前なんて、喧嘩の仲裁に入っていました」


 「そうですか。ありがとうございます」


 「それより、心配してましたよ」


 「え?」


 どうやら、ほとんど寝ずに昼夜問わず働いている夏目のことを、翔太だけでなく弟たちは心配しているという。


 それを聞いて、夏目は申し訳ない気持ちになる。


 「校長先生も事情は把握しておりますので、何か出来ることがありましたら気兼ねなく言ってくださいね」


 「ありがとうございます」


 教室から笑顔でブンブンと手を振っている翔太に手を振り返すと、今度は両手で大きく振ってきた。


 それに応えるようにして夏目も両手で振り返すと、翔太は満足そうに笑っていた。


 それから一旦家に帰った夏目は、部屋の片づけや掃除、洗濯、弟たちのご飯の用意を始める。


 時計をちらっと見ると、あとどのくらいで次のバイト場所へ行く為に家を出なければいけないのか計算をしながら、冷蔵庫の中を見て献立も考える。


 ふと、今朝自分の身に起こった出来事を思い出す。


 あれは一体なんだったのか。


 数秒して我に返った夏目は、そんなことよりまずは買い物だと、エコバッグを持ってスーパーへと出かけるのだった。








 「ふう・・・」


 ここに、1人の男がいる。


 その男は濃い紫のウェーブのかかった髪をしており、少し寒いのか、首元にマフラーを巻いている。


 右側の額には何かで傷をつけたのだろう、痕が残っていた。


 男、伊兎馬晟二には妹がいた。双子だ。


 伊兎馬はフリーターとして美容院で働いており、その出勤の準備をしていた。


 そこへ双子の“まい”と“あい”がやってきて、伊兎馬が仕事へ行く準備をしているのだと分かると、酷く悲しそうな顔をする。


 「お兄、お仕事?」


 「ああ。でも今日はすぐ帰ってくるよ。それに、家政婦さんが来てくれる日だから。何かあったらすぐに連絡するんだよ」


 「どうしてもお仕事行くの?」


 「・・・ん。ごめんね。まい、あい、一緒にいてあげられなくて」


 双子の妹は伊兎馬から離れるのが嫌なようで、家政婦が来るまでの間、ずっと伊兎馬の傍にいた。


 家政婦が来ると2人をお願いし、伊兎馬は仕事に遅れそうなため駆け足で向かう。


 もちろん、2人に手を振ってから。


 なんとも後ろ髪を引かれる表情をされてしまったが、それでも仕事に行かねばならない。


 いつか、この家を出て、まいとあいと3人で暮らして行くためにも。


 「おはようございます。すみません、遅れました」


 「伊兎馬くんおはよう。大丈夫。ギリセーフだよ」


 「外拭いてきます」


 「よろしく」


 職場についてすぐに外の窓ふきを始めると、伊兎馬は何かの気配を感じて後ろを振り返る。


 しかし、そこには誰もいなかった。


 なんだろうと思っていたが、開店準備のため再び仕事に戻り、朝一で予約が入っていたため、そのアシスタントとして対応をする。








 「お疲れー」


 「すみません、今日はもうあがります」


 「大丈夫、店長から聞いてるよ。早く帰ってあげて」


 「ありがとうございます」


 伊兎馬は急いで家に帰る用意をする。


 そしてまたしても少し駆け足で帰っている途中、妹たちが好きなケーキのお店が目にとまり、財布の中身を確認してからケーキを買って帰る。


 家政婦が帰る前になんとか家につくと、家政婦に御礼を言って見送る。


 妹たちにケーキを持って行こうと2階へあがり部屋を開けようとすると、勢いよくドアが開き、そこから父親が出て来た。


 「なんだ!邪魔だぞ!」


 「・・・すみません」


 父親がぶつかってしまったため、手に持っていたケーキの箱は床に落ちた。


 多分中のケーキもぐしゃりとつぶれてしまっていることだろうと思っていたが、それよりも妹たちのことが心配で、箱の中身を確認しないまま部屋に入ると、妹たちは泣きじゃくっていた。


 伊兎馬はケーキの箱をテーブルの上に置くと、妹たちを抱きしめる。


 「ごめんね。遅くなったね」


 妹たちの背中をポンポンと優しく撫でるように叩くと、伊兎馬は眉間にシワを寄せる。


 「(こんな時間に帰ってきてるなんて思わなかった。また母さんのことをチェックしに来たのか)」


 「お兄ぃいいい・・・!」


 「うん。もう大丈夫だよ。今日はお兄も一緒に部屋で寝るからね」


 その頃、父親が下りていった1階、リビングでは父親と母親の言い争うような声が響いていた。


 2人の妹には聞こえないよう、伊兎馬は耳を覆うようにして2人を抱きしめる。


 しばらくして父親が仕事に戻ったのか、バンッ!とドアが強く閉められた音が聞こえて来たあと、父親の皮靴の音が遠ざかって行った。


 すっかり泣きつかれてしまった妹たちだったが、なにやら甘い匂いがすることに気付き、伊兎馬に尋ねる。


 「お兄、美味しそうな匂いがする」


 「ああ、そうだ。ケーキを買って来たんだった。でもさっき父さんにぶつかって床に落ちたから、多分崩れちゃってるよ」


 「それでもいい!」


 箱さえ少し潰れているそれをそっと開けてみると、やはりケーキは疲れ果てているサラリーマンのようにくたっとしていた。


 それでも、妹たちは指でクリームをすくって食べていた。


 「美味しい!」


 「うん!美味しい!」


 「今フォーク持ってくるから」


 そう言って部屋を出ると、1階へ下りてキッチンへ向かう。


 慣れたように目的のものが置いてある場所へ足を進めると、そこにはテーブルに顔を伏して、泣いているのか怒っているのか、とにかく震えている母親の姿があった。


 しかし、伊兎馬はそんな母親に特に言葉をかけることもなく、小さなフォークを2本だけ持つと2階へと戻って行く。


 妹たちがいる部屋を開けると、すでに指でケーキを掴んで食べている2人の姿があり、伊兎馬は思わず笑ってしまった。


 一応フォークを渡すと、汚れた指でフォークを持ち、原型などとうにないそのケーキを美味しそうに頬張っていく。


 家政婦に頼んである、遠足用の大きい水筒を取りだすと、少しパサついた喉を潤すべく、水分を流しこむ。


 「お兄!ありがとう!」


 「また食べたい!」


 「わかった。今度はまいとあいの誕生日に、ホールケーキ買ってくるから」


 「「やったー!!!」」


 大喜びする2人を前に、伊兎馬はその2人の顔に残っている、父親に叩かれたのだろうか、少し腫れている頬を見つめる。


 「・・・ほっぺ冷やそうか。そしたらお風呂に入って、今日は寝よう」


 「「・・・・・・」」


 「?どうした?」


 「お兄・・・」


 「ん?」


 2人は伊兎馬の方を見て、また泣きそうな顔をする。


 「なんで、パパはまいたちのこと嫌いなの?」


 「あいたち、何か悪いことしたの?」


 「・・・・・・」


 何と言ったら良いのか考えていた伊兎馬だったが、2人を安心させるために一度笑顔になると、2人の頭をわしゃわしゃと撫でる。


 「きゃー!!!お兄何するの!」


 「お兄と同じ髪になるー!!!」


 「はははは!夜更かしするとオバケが来るぞ。ほら、パジャマの準備して」


 「「はーい」」


 「お兄、今日は何読んでくれるの?」


 「何がいいんだ?」


 「シンデレラ!」


 「私おむすびころりん!」


 「系統すら違うな・・・」


 結局2人分の依頼をこなすこととなった伊兎馬だったが、2冊目に入ってすぐくらいで2人とも眠ってしまったため、伊兎馬はそっと部屋を出ていく。


 キッチンへ行って水を飲むと、額に手を当てて息を吐く。


 「!」


 こつこつと、誰かが外を歩いている足音が聞こえてきて、それが伊兎馬の父親であることはなんとなくわかった。


 伊兎馬はすぐにコップを片づけると、2階へと向かってまいたちの部屋を閉める。


 まいとあいは部屋に用意されているベッドですやすやと寝ているのだが、伊兎馬は自分の部屋は別にあるため、今日は床に布団を敷いて一緒に寝る用意をした。


 がちゃがちゃと、寝ている人を起こす勢いで大きな音を出しながら玄関のドアが開き、また大きな音で冷蔵庫を開け閉めし、コップを強くテーブルに叩きつける。


 数秒後、コップを床に叩きつけるような音が聞こえてきて、伊兎馬は覚悟を決めて部屋を出る。


 1階へ向かうと、そこには割れたコップを放置したままの父親がおり、伊兎馬はその背中に声をかける。


 「まいたちが起きる。そんな大きな音出さないで」


 「・・・・・・なんだと?」


 「まいたちは何も悪くないだろ。文句があるなら母さんとちゃんと話し合ってよ」


 「!!!!」








 「伊兎馬くん!?どうしたの!?」


 「いえ、ちょっと転んで」


 「転んだって感じじゃねぇぞ。大丈夫か?」


 「大丈夫です。仕事に支障はないんで」


 翌日、出勤した伊兎馬の顔は複数の痣があり、口元は切ったようで絆創膏が貼ってあった。


 当然、職場の人は心配して声をかけるのだが、伊兎馬は「転んだ」の1点張りだったため、それ以上は何も聞かなかった。


 お昼休憩に入ってスマホを確認すると、何通か着信があった。


 しかも、妹たちからだった。


 嫌な予感がして、伊兎馬は早退させてもらうことにした。


 予約もそんなに入ってないし怪我もしてるから大丈夫と言われ、伊兎馬は感謝を述べながら走っていく。


 その間、何度もかかってきた番号にかけ直してみるも、一向に繋がらない。


 心臓がバクバクしていた。


 走っているからなのか、それとも別の理由からなのか、その両方なのかなど、今の伊兎馬にはわからない。


 ただ、一刻も早く家に帰らないとという気持ちだけだった。


 「まい!あい!」


 呼吸が苦しい。酸素が欲しい。水を飲みたい。それよりも、2人のもとへ行かないと。


 玄関を勢いよく開けて2階へあがろうとすると、風呂場から何やら泣き叫ぶような声が聞こえてくる。


 「まい!あい!!」


 「五月蠅いぞ!!!五月蠅い!!」


 父親が、2人にシャワーを浴びせていた。


 湯気が立っていることからも、熱い事が分かる。


 熱い熱いと叫ぶ2人に対して、父親は五月蠅いと怒り、これは躾なのだと叫んでいた。


 伊兎馬は父親の肩をぐいっと掴むと、そのまま父親の顔を殴った。


 シャワーが踊りだし伊兎馬にもかかる。


 「!!!」


 少しかかっただけでもわかる、熱すぎるそれは、熱湯のようだ。


 伊兎馬はシャワーを止めて2人を見ると、すでに肌が赤くなっており、すぐに病院に連れて行かないとと判断する。


 しかし、父親がそれを邪魔する。


 「どいつもこいつも俺に刃向かいやがって・・・!!!!」


 「父さん、話があるなら後で聞く。殴りたいなら後で殴られる。だから、今はまいとあいを病院に連れていきたい」


 「ダメだ!!!どうせそいつらだって、母親みたいに男を漁るに決まってる!!!だから今から躾してやってるんだ!!!!」


 「父さん」


 「こいつらのせいで、俺の会社は倒産しそうなんだよ!!!」


 「それは2人のせいじゃ・・・」


 「お前まで俺に刃向かうのか!俺の子供だろ!」


 そう言いながら、父親は伊兎馬に襲いかかり、馬乗りになると何度も何度も伊兎馬を殴りつけた。


 泣きじゃくる妹たちの声を聞きながら、伊兎馬は父親の気が済むのも待つしかなかった。








 しばらくして、ようやく父親は着替えてから会社へと戻ったようだ。


 伊兎馬は軋む身体に鞭を打ちながら、なんとか無事だったスマホを取りだし、救急車を呼ぶ。


 「妹が、熱湯を浴びて・・・。はい。お願いします」


 救急車が来て妹たちが運ばれるとき、伊兎馬も病院へ一緒について行った。


 伊兎馬も治療をするよう言われたのだが、そんなことより妹たちを何とかしてくれと、治療には応じなかった。


 応急処置を終え、ひとまず安心だと分かると、伊兎馬は家に帰って母親を探す。


 「・・・・・・」


 母親は、ベッドに蹲り、枕で後頭部ごと耳を塞ぐような体勢を取っていた。


 それを見て、伊兎馬は徐々に怒りが沸き上がり、未だに動こうとしない母親の枕を強引に奪い取る。


 「あんた、何してんだよ」


 「・・・・・・」


 「まいとあいが泣き叫んで助けを求めてたのに!!!あんた何してたんだよ!!!」


 「・・・・・・」


 「母親じゃないのか!!!なんで助けてやらなかったんだよ!!!」


 「・・・・・・」


 何も答えない母親に対し、伊兎馬は怒りを通り越して呆れてきてしまい、勢いよく家を飛びだした。


 そして行くあてもなく、公園のブランコに乗っていた。


 「・・・・・・」


 ぼーっと空を見上げていれば、伊兎馬の気持ちを知ってか知らずか、月はとても美しく輝いていた。


 あまりに明るくて、雲まで見える。


 そういえば、明日も家政婦が来る予定だけど、まいとあいが入院してるから断らないとだなとか。


 考えているはずなのに、頭が働かない。


 髪の毛をくしゃ、と乱していると、柔らかい声が降ってきた。


 「人生をやり直したくないかい?」


 「え?」


 バッ、と顔をあげれば、そこには白い髪をした男が立っていた。


 寒いだろうに、羽織っているはずの上着は肩からずりおちていて、そこから見える身体はなんとも筋肉質だ。


 今しがた、この男は何と言ったんだろうかと記憶を呼び戻したところで、伊兎馬はようやく思考を掴んだ。


 「何を仰ってるんですか?」


 「そうだよね。びっくりするよね。でも、もう一度あの時に戻れたらなーって、思ってるよね?違う?」


 「・・・・・・」


 「そうかそうか。なんとも難しい問題だ。憎みたくても血の繋がった親とは縁が切れないもんね」


 「さっきから何を・・・」


 「でも、妹ちゃんたちにはちゃんと言った方がいいんじゃないかな?」


 「え?」






 「“2人は母親とその不倫相手の間に出来た子供なんだよ”って」






 「・・・ッなんでそのこと」


 クスクスと笑いながら、男は口元を袖で隠す仕草をする。


 「なんでもわかるよ、君の家のこと」


 そう言うと、男は平然と話し続ける。


 「幾ら父親が会社を経営していて立派な家で育っても、幾ら裕福でも、家庭が幸せとは限らないもんだよね。うんうん。ましてや、自分の子供じゃないのに育てなくちゃいけないなんて、父親は嫌だろうね」


 「・・・・・・」


 「だからといってね、僕は君の父親の行動を正当化してるわけじゃない。だって、妹ちゃんたちが悪いだけじゃない。悪いのは君の母親だ。抵抗出来ない弱い子供に手を出すなんてダメだよね、うんうん」


 「・・・・・・あんた、一体」


 「君は、人生をやり直したくないかい?やり直して、今よりもっと良い人生を送りたくない?」


 「・・・そんなこと、出来っこない」


 「それがね、僕は出来るんだよ。不思議でしょ?別に詐欺とかじゃないよ?お金貰わないし」


 「原理が分からない。過去には戻れない」


 「過去に戻るわけじゃないよ。それは僕の領分じゃないし。そっちの話になると、ちょっと違うから」


 「???」


 「ああ、こっちの話。ごめんね」


 男はさらに伊兎馬に近づいてくると、腰をまげてぐいっと顔を近づけて来た。


 「どう?やり直したくないかい?」


 「・・・・・・」


 「決めるなら今だよ。僕も暇じゃ無いから」


 「どういうことか詳細を知りたい。それからじゃないとなんとも」


 「先に決めてよ」


 「え?」






 「“やり直す”のかどうか」






 にっこりと微笑みながら、男は伊兎馬から離れながら両手を広げる。


 「やり直す覚悟を決めた人にしか話さないことにしてるんだ。だって、詳しいこと言ってから止めたー、はちょっとね?アンフェアじゃない?」


 「・・・・・・」


 この男のことを信用していいのか、伊兎馬は迷っていた。


 だが、冗談でもそんなことを言う意味はあるのかと聞かれると、こんな無意味なことする必要はない。


 あるとすれば、伊兎馬をからかっているだけということになる。


 「からかってます?」


 「全然」


 怪しい、怪しすぎるこの男の言葉ではあったが、伊兎馬はスマホを取りだし、そこに残されている妹たちからの複数の着信をもう一度見る。


 もっと早く気付いてあげていれば。


 もっと早く帰っていれば。


 後悔したらキリがないほどの記憶を思い出していると、男はそんな伊兎馬の思考を読んだかのように言う。


 「後悔は人生の醍醐味なんて言うけど、本当にそうかな?僕は嫌だな。人生一度きりなら、それこそ後悔なんてしたくないよね」


 伊兎馬に甘い悪魔の囁きを。


 「人生をやり直せるなら、君は誰のためにやり直すのかな?」


 「・・・・・・」


 少しの沈黙があったあと、伊兎馬は座っていたブランコから立ち上がる。


 ぐ、と唇と拳に力を込めると、男に強い視線を向ける。


 目が合うと、男はそれだけで口角をあげて笑い、答えを求めるようにして腕を差し出す。


 伊兎馬は差し出された腕に触れようと、自分の腕を伸ばしながら、その言葉を口にする。


 「俺は、妹たちのために人生をやり直す」


 「交渉成立だね」


 男と伊兎馬の手が重なろうとしたそのとき、男は「お」と言って伊兎馬から離れるようにして後ろへ下がる。


 それと同時に、物凄い轟音が伊兎馬の前に鳴り響き、視界を全て塞ぐような広大な砂埃が覆う。


 何事かと思っていると、伊兎馬の前に、先程の男とは別の男が背中を向けて立っていた。


 今度は誰だと思っていると、その着物のような服装の男は、先程まで話していた白い髪の男に向かっていく。


 和傘を持った男は、空中に飛んで攻撃を避けた白い髪の男を地面に叩きつけると、男の横に和傘を突き立てる。


 「やれやれ。また烏兎君か。どうしてこうも僕の邪魔をするのかな」


 「お互い様だな、烏夜」


 「折角の御馳走だ。渡さないよ」


 そう言うと、白い髪の男、烏夜は後から来た男、烏兎の腹を蹴り飛ばし、烏兎が怯んだ隙に伊兎馬の方へ向かってくる。


 だが、烏兎が和傘で烏夜の側頭部を殴りつけ、烏夜はよろけながら烏兎を見て笑いながら睨みつける。


 「まったく。あの時始末しておけばよかったな」








 目の前で起こっていることに追いつけないでいる伊兎馬は、またブランコに腰掛けるようにして座る。


 呆然としながら2人を見ていると、2人は伊兎馬のことなど気にしていないように話す。


 「僕は何か悪いことしてるかな?君の領分を侵してるのかな?」


 「領分はどうでもいい。人間に手を出すな」


 「いつから人間の味方になったのさ。ああそうか。君はもともと人間だもんね。僕と違って出来そこないだからか」


 「お前こそ、どういう了見だ」


 「やだなぁ。怖いなぁ」


 「怖いって言う奴に限って怖がってねぇんだよ」


 「君みたいなのが嫌いなんだよなぁ」


 「奇遇だなぁ。俺も嫌いなんだよ。お前みたいな奴」


 「あれ。意外と気が合うのかな?」


 「冗談だろ」


 「烏兎君と話しているのは楽しいけど、ああ、これはもちろん社交辞令だよ?本当は全然楽しくないけどね。俺はそろそろその人間が欲しいわけ。どいてくれる?ていうかどけ」


 「裏表ある奴は嫌われるぞ。どかしてェならやってみな」


 「面白いね」


 ニヤッと笑うと、烏夜は人間とは思えないような、人間には決して出せないであろう速さで烏兎に近づいて行く。


 烏兎はなんとか反応し、和傘を開いて何かしようとするのだが、一瞬、ほんの一瞬だけ烏夜の目が見開いたかと思うと、それと同時に烏兎の身体が公園の端の方にある水飲み場へと吹っ飛んだ。


 しばらく動かないだろうと思っていたが、烏兎は和傘だけを烏夜に向かって投げつけてきて、烏夜が避けたためそれは銃弾のように激しく地面へと突き刺さる。


 烏兎がこちらに来る前に、烏夜は目の前にある和傘を拾おうと手を伸ばす。


 しかし、触れようとしたとき、和傘は意思があるかのように動き出し、気付けばすぐ近くまで来ていた烏兎の手へと戻っていく。


 烏夜に飛びかかる体勢だった烏兎は、そのまま和傘をがっちり掴みながら烏夜に襲いかかるが、烏夜はトン、と軽く後ろへと移動する。


 目の前で起こっていることは現実なのかと、伊兎馬は自分の目を疑っていた。


 だが、目が放せないでいると、今度は烏兎が烏夜に殴りかかる。


 「甘いなぁ」


 「!」


 烏夜は自分に向かってきた拳を軽々と避けると、烏兎の腕を掴んでそのまま地面へ身体ごと投げつける。


 そのまま烏兎に馬乗りになると、烏兎の顔目掛けて手を突っ込ませていく。


 この表現が果たして正解なのかは伊兎馬にはわからない。


 なぜなら、その手は、顔を避けた烏兎の顔横の地面にくっきりとめり込み、先程の烏兎の和傘のような状態になっているからだ。


 「首柔らかいんだね」


 「まあな」


 「でも次は外さないよ。ど真ん中行くから」


 そう言うと、烏夜は宣言通り烏兎の顔面に穴を開けるべく、その腕を躊躇なくもう一度烏兎の顔目掛けて振り下ろす。


 その時だ。








 コツンッ・・・




 「・・・・・・」


 烏夜の顔に当たりそうになったその石ころに、烏夜は顔を庇う様にして手をそこに翳したため、烏夜の顔に傷がつくことはなかった。


 しかし、この隙に烏兎は脱出することが出来たようで、烏夜は止めをさし損ねた烏兎を一瞥した後、石が飛んできた方を見る。


 ゆっくりとした動作だったと思うのだが、見ようによってはとても恐ろしい動きだった。


 「あれ?この前の」


 烏夜の視線の先には、男が1人、立っていた。


 「よお」


 「どうしたのかな?人生をやり直したくて僕のところに来たのかな?それとも、僕の邪魔をしに来たのかな?もし後者なら、どうなっても知らないよ?」


 濃い茶色の髪をしたその男は、手にコンビニの袋を持っていた。


 烏夜と烏兎のことを見てもそこまで驚いていなかったが、知り合いというわけでもなさそうだ。


 「お前らまた喧嘩してんのか。喧嘩はダメだぞ」


 「喧嘩じゃねえよ。殺し合いだ」


 「もっとダメなやつだ」


 「どうでもいいけど、僕の邪魔をしたならそれなりの償いってものをしてもらわないと気が済まないんだけどな」


 「償いとか怖いからやだな。てか、そいつはもう帰してやれ。お前らの喧嘩に巻きこむな」


 「そもそもそいつのせいで俺はこいつと向き合ってんだよ」


 烏兎がそう言うと、男はじっとそこにいる伊兎馬の方を見る。


 男は伊兎馬に近づいて行くと、その手に持っていた袋からプリンを取りだし、ぽん、と手渡してきた。


 伊兎馬は自分と同じくらいのその男から渡されたプリンを手にしたまま、男の意図が読めずにいると、男はもう1つあるブランコに腰を下ろす。


 「弟が食いてぇって言うから買ったんだけどよ、お前にやるよ。食え。っていっても、スプーンねぇな。もらってくりゃ良かったな」


 小さく笑いながらそういう男は、夏目瞬太と名乗った。


 伊兎馬も自分の名前を名乗ると、夏目はじーっと伊兎馬の顔をしばらく眺めてから「あ」と少し大きな声を出した。


 「俺がたまーに行く美容院のとこで働いてる人だ」


 「え」


 「どうりで。見たことあるな―って思ってたんだよ。だからか。なんだ?どうした?俺もこの前、あの肩が寒い感じの男に『人生をやり直さないか』聞かれたんだけどよ、何?晟二はやり直したいのか?なんで?」


 「・・・人様に話す様なことじゃない」


 「ま、そうだな。けど、あいつ胡散臭くね?怪しくね?」


 「聞こえてるけど」


 夏目と伊兎馬の会話を黙って聞いている烏夜と烏兎。


 烏夜は自分が胡散臭いだの怪しいだのと言われるが、ゆっくりと2人に近づいて行くと、伊兎馬の額にある傷に触れながら話す。


 「君たちはこの世に生まれてきてから、何度泣いただろうね。そしてこれから何度泣いていくんだろう。考えたことはあるかい?」








 「無い」


 きっぱりと答えてしまった夏目を他所に、伊兎馬は何か思っているようだ。


 「なぜ泣くのか。色々理由はあるだろうね。後悔の涙など流したくはないだろう?ずっと笑って過ごせるならそれが一番幸せなことじゃないのかい?」


 「・・・なんかまともなこと言ってる気がする」


 「君さっきから五月蠅いな。僕は今この伊兎馬晟二と話をしているんだ。君はまた後で唆しに行くから黙っててくれるかな」


 「うわ。てか唆すって言った。はっきり言った。やっぱこいつ胡散臭い奴だったんだ」


 「お前さっきから五月蠅ェぞ」


 「うわ。こっちにもいた。時代設定いつか分からない奴」


 「俺のこと言いやがったのか。烏夜をブン殴った後でお前のこと蹴り飛ばしてやるから待ってろ」


 「じゃあさっさと帰ろうかな」


 夏目が冗談交じりにそんなことを言ったのと同時くらいに、いきなり烏兎が烏夜に飛びかかった。


 このままだとすぐに自分が蹴り飛ばされてしまうと思った夏目は、そそくさとそこから立ち去ろうと思ったのだが、出来なかった。


 正確には、夏目の意思で“しなかった”。


 伊兎馬の額に触れていた烏夜の腕を、烏兎がいきなり和傘でスパッと斬ったのだ。


 あまりに突然の出来事であまりに衝撃的だったため、目の前でそれを見ていた伊兎馬も、近くで見ていた夏目も、声が出なかった。


 まるで呼吸が止まっていたかのようで、すぐに肺が酸素を求めて呼吸を始める。


 過呼吸のようになってしまったが、徐々に落ち着かせようとしても、夢ではないその烏夜の切断された腕に、またしても呼吸を忘れそうになる。


 しかし、烏夜は肘あたりから無くなってしまった自分の腕を眺めながらケラケラ笑いだし、次の瞬間には腕が元通り戻っていた。


 「やっぱり怖いなぁ、烏兎くん。躊躇なくくるね」


 「お前に躊躇なんてしてたら、こっちがやられるからな」


 「どうして僕の邪魔をするのかな。そんなに英雄にでもなりたいのかな」


 「そんな柄じゃねぇや。お前こそ、雑食なのはいいが、人間なんて止めておけ。ろくなもんじゃねえぞ。不味くて腹壊すぞ」


 「大丈夫だよ。僕は肉体以外も食べられるから」


 先程からの烏夜と烏兎の会話はよくわからないところがあるが、夏目は隣にいる伊兎馬のことを少し見たあと、烏夜と烏兎のことなど気にせず伊兎馬に聞く。


 「なあ、お前、本当に人生をやり直したいって思うのか?」


 「え」


 「だってよ、人生なんてやり直せねえってわかってて、俺達生きてんじゃんか。幾らでもやり直せたらよ、じゃあ、俺の選択肢は間違ってたのかってことになっちまう。多分な、どの道を選んだって同じなんだよ。現実は今と変わらねえ。俺は、今の自分を否定したくねえ。今までの俺が選んだ道は間違ってなんかいねぇって、俺が、俺自身が証明していくしかねえ。そのためにも、毎日、笑って過ごせる方法を探してんだ。プリンもその1つってことだ」


 「・・・・・・」


 「何があったって、最後まで自分を信じられるのは自分だけだ」


 「・・・人間に邪魔されたくないなぁ」


 小さくそう言った烏夜は、治した腕を使って夏目の脳を潰そうとする。


 烏兎が烏夜の脳を目掛けて和傘の先端を突き出せば、烏夜は舌打ちをしながら和傘の先端を自分の掌で受ける。


 そこからは人間同様の血液が出るが、烏夜はそこまで痛そうな顔をしておらず、反対の手で夏目を狙う。


 烏兎は和傘をそのまま勢いよく振り払えば、烏夜の腕は夏目に届く前に、身体ごと公園に植えてある木に激突してしまった。


 烏兎が反撃に備えていると、烏夜は自分の身体についた土や汚れを手で軽く払い、もともと緩く縛ってあって、先程の衝撃で解けてしまったそれをまた緩く結い直した。


 「しょうがないな。今日は引きあげるよ。また来るからね」


 そう言うと風が強く吹き、花吹雪とともに烏夜は姿を消してしまった。








 烏夜が去って行ったあと、烏兎は気配を確認しているのか、少し辺りを見渡してから、夏目たちに背を向けて歩き出した。


 「なあ」


 「なんだ」


 去ろうとしていた烏兎に話しかけた夏目は、袋に入っていたプリンを烏兎に手渡そうとしながら話す。


 「あいつが言ってた『人生をやり直す』って、どういうことだ?お前ら何なんだ?」


 「・・・人生をやり直すっつっても、別に過去に戻れるわけじゃねえ」


 「え?じゃあどういうこと?」


 「やり直すって意味がお前らの解釈と違うんだ。あと、この黄色い物体はなんだ。いらねぇ」


 「え、これはプリン・・・」


 烏兎はプリンを受け取らずに颯爽と消えてしまった。


 残された夏目は、まだブランコにいる伊兎馬の傍に行く。


 「邪魔したならごめんな」


 「・・・いや、ありがとう」


 すると、伊兎馬のスマホが鳴った。


 ポケットからスマホを取りだすと、それは病院からだった。


 慌てて出てみると、妹たちが目を覚まして、伊兎馬の事を呼んでいるという。


 伊兎馬は慌てて病院へ向かおうとし、夏目もそれに付き添う。


 伊兎馬の妹たちの状況を見て、夏目は思わず目を細め、険しい表情になる。


 「お兄・・・」


 「ごめんな。痛いか?」


 「ううん。お兄、ありがとう」


 「今日はここにいるから。安心して」


 そんな会話を聞いていた夏目に、伊兎馬はもう大丈夫だから夏目も家に帰ってあげてくれと言われた。


 夏目は家に帰ると、弟たちからのタックルを喰らった。


 プリンの入った袋を、ジャンプしても届かにくらいの高さでプラプラ動かしてみれば、弟たちは両手を伸ばして必死に掴もうとする。


 ちゃんと明日の準備をしたか、ご飯を食べたか、風呂に入ったかなどを確認すると、プリンを渡して連絡帳の確認をする。


 「兄ちゃん!明日は何?」


 「明日はねぇぞー。食ったらちゃんと歯磨きするんだからな」


 「「「はーい」」」








 満月になるにはまだ早い、そんな夜。


 男は1人、楽しげに微笑んでいた。




 「さて。次こそは」
















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