第八話 嗜虐≪sadisme≫
カレンを連れたルーカスは、森の中へ身を隠しながら駆けた。
しかし、それほど時間が過ぎぬ間に。
「何処へ逃げるつもりだぁ?
セイランに足止めされているはずの帝国の皇子と帝国兵が、先回りしてルーカスの行く手に立ち塞がった。
(くそ、もう追いついて来たのか!? セイランは……!?)
ルーカスは得物を構え「姫様をお守りするんだ!」と己を鼓舞する騎士と共に前へ出る。
すると男が〝何か〟をゴミのようにルーカス達の前へ放り投げた。
びしゃり、と赤い液体が舞い、ブーツを濡らす。
視線を落とすとそこには、全身を切り刻まれ
輝きを失い、瞳孔の開ききった
(————っ!!)
様変わりした彼女の姿に、ルーカスは息を飲む。
あまりにも、惨い状態だった。
「……あ、ああ……! セイ……ラン……!」
カレンがルーカスの肩越しに物言わぬ親友の姿を見て、
ルーカスの胸にも悲しみが溢れた。
(カレンの悲しみは、俺の比じゃなかったはずだ。濁流のような感情に苛まれていただろうな……)
「くっくくく! いいねぇ、その絶望。これだから人殺しは止められんのよ。もっとも、そいつに投降の意思がありゃ、兵どもの
男が下卑た高笑いを上げると、帝国の兵も等しく嘲笑を浮かべた。
聞くに堪え難い、これは侮辱だ。
勇敢に戦った相手に対して、彼らは敬意を払うどころか、笑って
ルーカスの中で、悲しみが沸々と湧き上がる怒りへ変わって行き。
気付けば地を蹴って距離を詰め、男に刀を振り下ろしていた。
「キィン」と刃の合わさる金属音。
男は難なくルーカスの刀を受け止めて見せた。
「セイランは……死を覚悟していた! それでも、誇りをもって——! それを、それを、おまえは笑うのか!!」
「誇りだぁ~!? この世は力こそ全て! 強さに勝る正義はねえんだ、よッ!!」
ルーカスの腹へ、男の蹴りが入る。
その衝撃にルーカスは飛ばされた。
「——ぅぐっ!」
どうにか受け身を取るが、腹に内臓を潰される感触と鈍痛があり、胃の内容部を吐出してしまいそうになる。
ルーカスはうずくまってしまった。
「ルーカス!」
カレンの声と、駆け寄る足音が聞こえた。
間を置かず「キリキリ」と
顔を上げると、矢を放った直後と思われるカレンの後姿。
放たれた矢は男へ一直線に向かうが、造作もなく斬り落とされてしまった。
だが——。
「姫様! 公子様! ここはオレ達に任せて下さい!」
「セイラン殿の意思を、無駄にするものか!」
「オレ達が、姫様を守るんだ!」
「うおぉ! 騎士の誇りを笑う帝国に、目にもの見せてやる!」
王国騎士が一斉に動き出し、帝国兵へ立ち向かっていった。
「……はん! 王国の兵は弱い癖に威勢だけはイイときた。このアレイシスも安くみられたものよなぁ?」
アレイシス——と、名乗った男の名を聞いてルーカスの鼓動が跳ね、冷汗が伝った。
それは帝国の第二皇子の名。
「な……ま、まさか……」
王国兵に動揺が走り、動きが鈍る。
理由は、アレイシスが持つ
男は世間でこう呼ばれていた。
「し、
——と。アレイシスは人を
対象は老若男女を問わず。
帝国の皇族の中でも際立って悪名高く、悪行は聞くに堪えないものばかりだ。
「くははっ! オレ様が誰か知って、怖くなったかぁ? いいぞ、恐れろ、
皇族の証、
その瞳に射貫かれた途端、フッと体から力が抜けた。
「……うっ、なん、だ……?」
「体が、重い……! ……ルーカスっ!」
カレンも同様の症状に襲われたようで、地面に膝をついている。
そして、それは二人に限った話ではなく。
「何だ、一体何が……!」
「……う、動けない!」
「魔、術……? だが、そんな反応は……」
まるで蛇に睨まれた蛙のようだった。
この場に居る王国騎士全員が同じ症状に見舞われ、動けなくなっていた。
「何をされたかわからないって面だなぁ? が、知る必要もない。どうせ全員ここで死ぬんだからなぁ! 一人ずつ、じっくり、たっぷり、可愛がってやるよ」
血濡れの刃を掲げたアレイシスが悪魔の如き形相で、恐怖に震える騎士へ手を伸ばす——。
そこから行われたのは、戦争を口実にした、ただの虐殺だ。
(——あれこそ、この世の地獄だ。ヤツは人が苦しむ様を笑って、愉しそうに痛めつけて……っ! ……あんな、あれが本当に、同じ人間の為せる事なのか? ……疑ってしまう。ヤツは本当に悪魔だったのではないか、と)
アレイシスは終始、嬉々として騎士を手に掛けた。
中には命乞いをする者もいたが、聞く耳などない。
そうして、殺して、殺して、また殺して、殺し尽くして。
血の海と屍の山が築かれて行った。
(……残ったのは、俺とカレンの、二人)
体は幾分、力を取り戻していたが、その代わり帝国兵に拘束され自由を奪われている。
アレイシスは返り血を拭いもせず滴らせて、歩み寄って来た。
(カレンは……恐怖よりも、怒りに震えていた。人を虫けらのように扱い殺めるアレイシスに。何も出来ずない自分自身に。激しい怒りを募らせて……)
「待たせたな、王女様と——王子、ではなさそうだな? エターク王家に王子は二人、皇太子ともう一人はまだ幼児って話だからな。……とすると、
わざわざ身の内を明かす必要などないので、ルーカスは無言を貫いたが、アレイシスはそれを肯定と受け取ったらしい。
口角の端を上げて「なるほど、なるほど」と呟いた。
残虐で、それでいて聡い男だ。
ゼノンやカレンのような王族の気高さは微塵もないが、相応の教養を持ち合わせていると感じた。
「さて、どう料理するか……」
ねっとりとした視線が、舐め回すかの如く纏わりつく。
男の言動一つ一つがルーカスには不快で、吐き気を催した。
同時に、忍び寄る死を予感する。
(……それでも。カレンだけは、カレンだけは守りたかった……!)
だが、どう足掻いたところで打開の手はなく、ルーカスの願いが叶う事はなかった。
(それどころか……、逆に、俺が……俺が、生かされてしまった)
人は極限状態に陥った時、普段では想像もできない力を発揮する事があると言う。
あの時の彼女も、そうだったのだろう。
「——あああぁッ!!」
カレンは腹の底から絞り出した叫びと共に、その身を拘束する兵を振り払ってみせた。
そして疾風となり、素早く敵から距離を取って『雷鳴よ!』と省文で
味方の騎士が遺した剣を、地から拾い上げた。
彼女の淀みなき
凛と背を伸ばし、剣を向けて、カレンは告げる。
「アレイシス・ドゥエズ・アディシェス! お前は人の道を外れた、ただの人殺しよ! 私は、カレン・ティス・グランルージュ・エタークはこの名において宣言する。お前を——外道悪鬼を征伐すると!」
「……ほう?」
カレンの宣言を聞いたアレイシスは——。
至極楽しそうに、悪辣な笑みを浮かべていた。
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