第五話 前兆≪presage≫

 セイランが見守る中、朝はカレンと甘やかな時間を過ごして——。


 ルーカスはカレンと共に物資の補給と輸送任務の為、近隣の村へ赴いた。


 派遣されたのは、全部で四つの班から成る一個小隊三十さんじゅう名。

 そこにセイランを始めとしたカレンの護衛騎士を加わえた、少数での任務だった。


 行きはこれといって大きな問題もなく、昼前には村に辿り着いて物資の受け取りを済ませた。


 そこから、昼食を兼ねた休憩を挟んでからの帰路。


 同じ班に配属された騎士達が、こんな会話を繰り広げる。



「何だか、拍子抜けだなぁ。もっと怒涛の勢いで、アディシェス帝国が攻めて来ると思ったのに」


「わかるわかる。この様子だと、戦端が開かれる事はないんじゃ? って思っちゃうよな」


「公子様と王女様も、とんだとばっちりだよな。今日と言う良き日のために、長年準備して来られたのに」


「あーあ、見たかったなぁ、二人の晴れ舞台」


「っと言っても、オレらみたいな一般民は、式に参列できないけどな?」


「雰囲気だけでも味わいたかったって話だよ」



 彼らは荷馬車を引きながら、何の気もなしに笑っていた。



「任務中に私語とは、たるんでいるぞ! 気を引き締めろ!!」



 と、班長は彼らをとがめたが、誰もが少なからず思っていたはずだ。


 このまま何も起こらないのではないか——と。



(……みな、油断していた。経験の浅い者は、特に。

 俺も……その内の一人)



 しかし、例え油断がなかったとしても。

 この後の出来事はきっと、誰にも防ぎようがなかった。






 ただ、思い返せば異変の始まりには〝前兆〟があった。


 それを感じたのは、駐屯地まであと一息の距離に差し掛かった頃。

 馬の休息に、足を止めた時だ。



「……あれ? なんか揺れてる?」



 真っ先に気付いたのは彼女。


 野外での任務では淡々と、軍紀に沿った行動を取っていたカレンだ。


 彼女が奔放に振舞うのは、あくまで時と場所をわきまえての事——立場を笠に来て押し通す我儘とは違う——ので、真面目な様子にも別段驚きはしない。



「揺れてるか?」


「うん。ルーカスは、感じない?」



 疑問符を浮かべる彼女を前に、ルーカスは水筒をあおる手を止め、感覚を研ぎ澄ませた。


 ——と、微弱ながら。

 本当に微弱ながら、大地の揺れを感じられた。



「確かに……揺れてるな」



 静止して知覚しようと思わなければ、気付く事ができないほど僅かな揺れだ。


 続いて、セイランと護衛の騎士、班のメンバーと言った具合に行動が伝播してゆき——。

 

 最終的には小隊長まで伝わった。


 すると彼は険しい表情を浮かべて、班長の一人を呼んだ。



「……本陣から何か連絡は?」


「いえ、今のところは何も。先ほどの定期連絡でも『動きなし』との報告でした」


「そうか。ならば、ただの自然現象か……?」


「念のため確認をとってみましょう」



 遠巻きに隊長達の懸念けねんうかがえた。



「休憩は終わりだ! 一刻も早く、本隊へ戻るぞ!」



 隊長の一声で、緊張の糸が張り巡らされる。


 現状を踏まえれば、何を疑っているのかは想像にかたくない。






 ——大地の揺れは、軍隊のような大人数が移動した際にも生ずる。


 万が一を思い浮かべるのは、当然の流れだ。



(……ここでも、俺は…………間違えた)



 遂にその時が来たのかもしれないと疑って、何もしなかった訳ではない。



「カレン、離脱しよう」



 と、ルーカスは提案した。


 有事には彼女の安全を最優先にし、独断専行を許されていた為、軍規違反には当たらない。


 これは周知の事実である。

 故に咎める者はなく、むしろそうすべきだと薦める声が上がった。



(だが、カレンは……)



「何言ってるのよ。まだ何も不確かなこの状況で、一人だけ逃げ出すわけにはいかないわ。

 本陣からも一報はないのでしょう? 

 仮にそうするとしても、今じゃないわ」



 笑って一蹴した。



「何かあっても、私も戦える。セイランや護衛のみんなもいる。

 何より、強くて過保護な婚約者が守ってくれるもの。怖いものなんてないわ」



 二言目には威風堂々と言われて。

 寄せられた信頼に、ルーカスのちっぽけな自尊心が満たされた。


 だから、彼女の意思を尊重しよう、と考えが傾いてしまったのだろう。



「……わかったよ。なら、」


「『俺の傍を離れるな』でしょ? 流石にわかっているわよ。このやりとり、二回目ね」



 くすくす、とカレンは笑って、颯爽さっそうと馬の背へ飛び乗る。



(待ち受ける運命など知らず、無邪気に……。カレンは笑っていた)






 小隊は隊列を整えて進んだ。

 行きよりも速度を上げて、迅速に。


 そうして、帰り着いた本隊は——。

 懸念とは無縁に平和だった。


 予定よりも幾分早く戻った小隊の様子に「何かあったのか?」と逆に心配されたくらいだ。


 大地の揺れはただの自然現象で、帝国軍とは無関係。

 小隊長を筆頭に「杞憂きゆうであった」と、皆が安堵した。






 ——かくして、これが嵐の前の静けさとなる。


 小さな〝前兆〟はいくつもあった。

 例えば、もう一つ。


 これはごく一部の人間、主に通信課に所属する者しか気付いていなかった事だが、リンクベルによる通信が繋がりにくい状況にあったらしい。


 似たような症状はこれまでにもあり、完全に通信が絶たれたわけでもなかったので、さほど重要視されなかったのだ。


 このように些細な出来事を「問題ない」と気に留めず、悠長に構えていた。


 誰もそれが重大なサインであるとは気付けないままに。






 悲劇の幕が上がったのは、とある異国で〝逢魔ヶ時おうまがどき〟と呼ばれる、魔の時間帯。



(夜のとばりが落ちる闇に乗じて、奴らはやって来たんだ)

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