第四話 幸福≪bonheur≫

 聖歴十九じゅうく年 パール月十四日じゅうよっか


 カレンが二十歳を迎えた生誕の日。


 どこからともなく現れた脅威——魔獣まじゅう

 それの襲来が、悪夢の始まりだった。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「……カレン、カレンッ!!」



 ルーカスはもがき、手を伸ばした。


 全身を覆う黒塗りの鎧と得物の剣を鮮やかな赤に染め、生臭い鉄の香りを漂わせた男と睨み合うカレンへ向かって。


 男はアディシェス帝国第二王子。

 アレイシス・ドゥエズ・アディシェス。


 ヤツは〝嗜虐しぎゃくの狂王子〟と呼ばれる、悪名高い男だ。


 カレンはそんな男と戦った。


 距離によって弓と剣、二つの武器を切り替えながら、魔術による雷鳴を纏い走らせて美しく。


 敵わないと知っていても、おくせず果敢に挑んだ。


 そして——。






 ——カレンは、敗れた。



「……っぁ、うぐ!」



 血に塗れた男がカレンのあごを鷲掴みにして、高々と持ち上げている。



「その……汚い手で! 彼女に、触るなあぁあ!!」


「くはははっ! 女一人守れず、みじめだなぁ。黒子持ちの紅眼ルージュ



 男がわらった。

 愉悦に顔を歪ませている。


 体は、動かない。

 動かそうにも敵兵によって地へ縫い止められてしまっていた。


 味方の兵はとうにられている。

 カレンを守ろうとして、真っ先に犠牲となった。



「さて、気高き王女様。オレを飽きさせてくれるなよ? 飽きたら……殺しちまうからなァ! くはははは!!」


「やめ、ろ……っ、やめろ! やめてくれ!! カレン——ッ!!」



 この場で彼女を救えるのは、自分以外にいないというのに。

 ルーカスは一切の行動を許されず。



(俺は……見せつけるように行われるおぞましい行為を、ただ叫んで見ている事しか出来なかった)






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






 戦場で迎えたカレンの生誕日。


 早朝に目覚めたルーカスは日課である鍛練を済ませると、国境にそびえるオンブル砦の一室を寝床とする彼女の元を訪ねた。


 軍に籍を置いているが、彼女は王女。

 一般の騎士と同じように、野外に建てた軍幕で過ごさせる訳にはいかないので、自然な計らいだ。



「カレン、起きてるか?」



 扉をノックする。

 と、すぐに開かれた。


 咄嗟とっさに、左手に持ったを背へ隠す。


 出迎えたのは黒を混ぜた暗い青髪の女性、護衛の騎士セイランだった。

 カレンはというと——。



「おはよう、ルーカス。入って来て」



 鏡台で身支度を整えているところだった。

 こちらに目もくれず、後ろ髪の上半分を結い上げている。


 さらさらと流れる黄金色の髪が綺麗だな。

 でも、まとめ辛そうだな。


 なんて事を思いながら、ルーカスは部屋へ足を踏み入れて、カレンの隣に立った。



「これで終わるから、あと少しだけ待ってね」



 カレンは依然と鏡を見つめている。


 その言葉通り、もう間もなく編み込み作業が終わりそうだったが——。


 ルーカスは待ちきれず、彼女の眼前にある物を差し出した。


 今日は彼女が生を受けた大切な日。

 一秒でも早く伝えたかった。



「カレン、誕生日おめでとう」



 ぱちくりと、大粒の紅瞳ルージュが鏡越しにまばたく。


 ルーカスが差し出したある物——小さな花束を視認して、まぶたが見開かれた。



「え、嘘……どうして?」


「どうして……って。まさか、自分の生まれた日を忘れた訳じゃないよな?」


「勿論、忘れるわけないわ。そうじゃなくて、この花……」



 ルーカスが用意したのは、彼女の名前が入った黄色の鑑賞花を束ねたもの。


 花言葉は〝変わらぬ愛〟。



「君への想いを伝えたくて、準備したんだ」



 この近辺では時期を過ぎているため、秘密裏に王都から取り寄せた。


 我ながら、遠回しで気取っているとは思う。

 が、たまにはこういう演出も悪くないだろう。


 ルーカスは驚きに固まるカレンヘ花束を手渡して、それから、軍服のポケットに忍ばせたもう一つの贈り物を取り出した。


 手のひらに収まるサイズの長方形の箱。

 中には魔輝石マナストーンをあしらった、一対のピアスが納めてある。


 それをカレンと自分、それぞれの片耳へかざった。



「これって……」



 お互いの瞳、柘榴石ガーネットに似た輝きを放つ魔輝石マナストーンにカレンが触れる。



「ピアス型のリンクベルだよ。どうせなら、プレゼントは実用性のあるものを、と思ってさ」


「リンクベル!? しかも、こんな小型の。ものすごーく高かったんじゃない?」


「まあ、それなりに。でも、これがあればいつでも連絡を取れるだろ?」



 軍で常用しているので利便性は熟知している。


 一般への普及はまだ始まったばかりな上、小型化された物は高価だが、可愛い婚約者の特別な日に贈る品だ。


 これくらいの贅沢は許されるだろう。



(……それに、帝国の事がなければ今頃、結婚式を挙げていたはずだしな)



 彼女が十代から二十代へ芽吹く節目の日。

 本当なら今日は、一生の思い出に残る華やかな記念日となるはずだった。



(だから、これでも足りないくらいだ)



 ルーカスは片膝を付き、ピアスに触れるカレンの手を引き寄せて、



「ニ十歳おめでとう、カレン。まだ、いつになるかわからないけど……王都へ帰ったら改めてお祝いしよう。延期した式の日取りも、決めないとな」



 と、手の甲に唇を落として微笑んだ。


 瞬間、カレンの頬があかね色に染まり——。


 ルーカスの視界は、伏せたまぶたと黄金色の長いまつげを捉えた。


 唇に柔らかな感触。

 手も、彼女の手に絡め取られている。


 甘い熱が、伝わって来る。


 ルーカスは静かに瞼を閉じて、カレンの行動を受け入れた。






 ——しばらくして、触れ合った唇が離れると。



「ルーカス、ありがとう。大好きよ!」



 と、カレンは言った。

 贈った花の様に満開の微笑みを浮かべて。


 カレンの笑顔は魅力的だ。

 いつも素直に愛情を表現してくれるのも、ルーカスは嬉しかった。


 奔放ほんぽうで目が離せなくて、振り回される事も多いけれど。

 言い換えれば快活であるというだけのこと。


 一見、我儘わがままに思える行動も、自分に甘えているからだとルーカスは知っていた。



「ああ、俺も——」



 「大好きだ」と、ルーカスは彼女の耳元でささやいた。


 そうしたのは、ある事を思い出して恥ずかしくなったから。






 うっかり二人の世界に浸って、忘れていたのだ。


 部屋の入口にセイランが控えている事を。

 一部始終を見たセイランが赤面していたのは、言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る