第二十七話 決戦前夜

 「僕達を止めたいなら、明日そこへおいで」——と、言い残して消えた、ノエル達との決戦をひかえた前夜。


 ルーカス達は教団本部の宮殿で、一夜を過ごしていた。


 すぐにノエル達の後を追いかけるつもりだったが、ノエルが「賓客ひんきゃくとして丁重ていちょうにもてなすように」と指示を出していたらしく、教皇派の枢機卿すうききょうと教徒達に引き留められてしまい、断る間もなく歓待かんたいを受ける事になったのだ。


 晩餐ばんさんを終えて、皆と明日の事について話した後は、各自割り当てられた部屋で休息を取る流れに。


 そうして、明日に備えて早めに休もうと、ルーカスはベッドへ入ったのだが——。






「……駄目だな」



 どうしても寝付けなかった。

 横たえた体を起こして、溜息を吐き出す。


 まぶたを閉じると、これまでとこれからの事に思考をめぐらせてしまい、眠るどころではない。


 ルーカスはベッドから抜け出し、すぐそばの壁に立て掛けた刀を腰にたずさえた。


 ——こんな時は、無心に刀を振るうのが良い。


 体を動かせば自然と眠気も訪れるだろう、と考えて、過去にフェイヴァと鍛錬たんれんを重ねた、修練場へ向かおうと思った。


 何気なく窓の外へ緯線を向ける。


 窓からは噴水ふんすい併設へいせつされた優雅ゆうがな庭園が展望てんぼう出来る。


 これらも断罪された枢機卿達により体現された〝欲〟だとすれば、虚無感きょむかんを感じてしまうが、美しさに罪はない。


 ルーカスが噴水付近に視線を落とすと——。


 そこに銀糸をなびかせて噴水の石垣いしがきに座る、〝彼女〟の姿が見えた。



「イリア?」



 周囲に誰かを連れている様子はない。

 一人だろうか。


 見つけた彼女の姿に、ルーカスの体が自然と動く。

 机の上へたたんで置いた、軍服の上着を肩に羽織はおって、部屋を後にした。






 初夏へ向かう時期だというのに、聖都の夜は肌寒かった。


 中庭に近付くと風に乗って、んだ心地よい歌声が聞こえて来る——。






いとし子よ お眠りなさい


 マナのゆりかごにいだかれて



 闇をはらえ 神秘しんぴの風よ


 きらめきがあなたを照らすでしょう


 いとしい子らよ 涙をすくって



 この体ち果てようとも


 とおの輝きが世界を包むでしょう



 いとし子よ お眠りなさい


 私の愛が 満ちる世界で』





 イリアは空を見上げ、歌をつむいでいた。


 彼女は厚手のカーディガンを着ているものの、その下は透け感のあるナイトウェアである事がうかがえ、肌寒そうに見える。


 ルーカスは歌をつむぐイリアのそばへ歩み寄ると、羽織はおって来た軍服の上着を彼女へとかけた。


 歌声が止まり、月明かりに照らされて輝く、勿忘草わすれなぐさ色の瞳がルーカスへと向けられる。


 

「悪い、邪魔するつもりはなかったんだが……」

「ううん。こんな時間にどうしたの?」

「寝付けなくてな。少し体を動かそうと思ってさ。イリアこそ、どうしたんだ?」

「……私も、眠れなくて」



 髪色と同じ銀色の眉尻まゆじりを落として、イリアは困ったように笑った。


 教団内部は意外にも落ち着いた様子だが、久しぶりに帰った彼女の故郷と呼べるこの場所で、あのような事があっては気が休まらないのだろう。



「そうか……そうだよな」



 ルーカスはイリアの隣へ腰を下ろすと、空を見上げた。


 大樹の葉が途切れた先に、満天の星空と、新月へと向かうあおあか、双子の半月が輝いている。


 イリアがまた歌を紡ぎ始め——何をする訳でもなく、時間が流れた。







 『いとし子よ お眠りなさい


 私の愛が 満ちる世界で



 この手を合わせて こいねが


 どうかいとしい子らが 幸福しあわせでありますように


 つばさをはためかせ 想いをつなごう



 耀かがやいて 神秘アルカナ


 強き心に 祝福を


 願いを叶える 奇跡となれ



 揺蕩たゆたえゆりかご 私の愛をいだいて


 まもりましょう 永久とこしえ楽園アルカディア


 いつか眠りから覚める その日まで』






 イリアの歌声は、いつ聞いても心地が良い。

 心をしずめて、包み込んでくれる優しさがある。


 ——本当は彼女と話したい事が、沢山あった。


 神聖核コアの事もその一つ。


 ノエルが選んだ手段以外に、どのような道があるのか。

 何故か聞こうとするたびに横やりが入ってしまい、いまだに聞けていない。


 そして先日の、決意に満ちた表情の意味も。



有耶無耶うやむやにせず、聞かないとな……)



 頭ではわかっていても、いざ聞こうとすると言葉がのどに詰まって出て来ない。


 イリアの歌が終わると、沈黙が二人を包み、しばらく月を見上げるだけの時間が過ぎた。






 そうして幾分いくぶんかの時間が過ぎた頃。


 背後で冷たい水飛沫みずしぶきを上げる噴水の影響もあってか、ルーカスの口から思いがけず「くしゅん」とくしゃみが飛び出した。



「あ、ごめんね。私が上着借りてるから、寒いよね」



 イリアが上着を返そうと動いた。

 確かにラフなインナーだけでは、寒さを感じる。



「気にするな。これくらい平気だ」



 ルーカスはそれを制した。


 ——直後にくしゃみがもう一つ。



「やっぱり、寒そう。……部屋に戻る?」



 もう少し彼女と一緒に、出来れば話したい事もあったが——。


 一度強がった手前、二度目は格好がつかない。

 締まらない気恥ずかしさに、ルーカスは前髪を掻き上げた。


 

「……戻るか。明日に差しさわっても困るからな。部屋まで送るよ」

「うん」



 ルーカスは立ち上がり、手を差し出す。


 イリアの白く温かな手が重ねられ、二人は手を絡ませるように握ると、静まり返った廊下を歩いた。


 冷え切った手に、ぬくもりが染み渡る。

 近くに感じる彼女の体温に、鼓動が早まるのを感じた。






 ——結局、言葉を交わす事が出来ないまま、気付けばイリアの部屋に到着していた。



「着いたぞ」

「送ってくれてありがとう。これも返すね」



 イリアが羽織はおらせた軍服を脱いで、ルーカスへと手渡した。

 彼女の温度が、軍服に移ったようでほんのり温かみを感じる。

 


「どういたしまして。それじゃ、おやすみ」

「あ……うん。おやすみ、なさい」



 ルーカスは名残惜なごりおしく思いながらもイリアの頭をでると、受け取った軍服を羽織り、身をひるがえした。


 歯切れの悪い彼女の様子は気掛かりだが、廊下に引き留める訳にはいかないし、だからと言って、こんな時間に部屋へ上がり込むなんてもってのほかなので仕方がない。


 また明日。

 北の大神殿へ向かう道中にイリアと話そうと、ルーカスは思った。


 ——思ったのだが。


 不意に背中へ感じた軽い衝撃しょうげきと温度に、足を止める。

 ほんの少しまで隣に感じていた温かさだ。


 振り返ると、イリアが背に抱き着いていた。


 表情は伏せられていてうかがえない。



「……まだ、寝ないなら……もう少し、一緒に居たい。

 お茶でもどう、かな?

 ルーカスが嫌じゃなければ、だけど……」

「それは……」



 嫌なわけがない、むしろ大歓迎だ。


 けれど、好きな相手と深夜、密室で二人きりになるのは危ない。



(自制がかなくなりそうで、怖い)

 

 

 ともすれば彼女を困らせてしまう事になりそうで、ルーカスはこころよい返事が出来ずに押し黙った。



「やっぱりダメ……かな」



 伏せた顔を上げ、頬を赤らめた彼女が上目遣いに見つめて来て、鼓動が跳ねる。



(——これは、反則だ)



 理性との戦いになるとわかっていても、そんな顔で言われたら断れない。



「一杯だけ。飲んだら帰るからな」



 可愛らしさに負けて、ルーカスはうなずいた。


 イリアは顔をほころばせて喜び、何の戸惑いもなくルーカスの手を引いて部屋の扉を開いた。



「どうぞ、入って」



 警戒心のなさに、少しだけ複雑な気持ちになるが、信頼されているということだろう。


 彼女の信頼を裏切らない様にと、ルーカスは気持ちを引き締めて、部屋へ足を踏み入れた。

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