番外編 双子のお姫様 ≪前編≫

 聖歴二十二年 某日ぼうじつ、昼下がり——。


 ルーカスは長期の任務を終えて王国へ帰還し、久しぶりの休暇を王都内の邸宅で過ごしていた。


 この日は丁度、王立学院アカデミーの休息日だったため、邸宅に居合わせた双子の妹達と昼食を共にし、今は庭園でお茶を飲み交わしながら、空白の時間を埋めるように談笑だんしょうを楽しんでいた。


 ——シャノンがとんでもない発言をしたのはそんな時だった。



「ね、お兄様。男の人って何をされたら嬉しいの?」

「ぐっ!?」



 ルーカスは手に持ったカップを落としそうになり、口にふくんだ紅茶でむせた。



 何とは何か。



 色欲しきよくにおわせる言葉に「妹に限ってまさか」と言う思いが胸をめる。


 カップを持つ手が震えて、ソーサーへ置こうとしたら動揺を表すように陶磁器とうじきこすれる音がうるさく鳴った。


 左手に座ったシェリルから、盛大なため息をき出す音が聞こえて視線を向ければ、くりっとした大きなくれないの瞳をまぶたで伏せて、眉間みけんに手を当てている。



「お姉様、その言い方はちょっと語弊ごへいが……」

「え?」



 右手のシャノンへ視線を移すと、きょとんと小首こくびかしげている。

 何のことかわからないといった表情だ。


 その様子に煩悩ぼんのうを働かせてしまったおのれを恥じた。



(うん、シャノンは純粋無垢じゅんすいむくなだけだ)


「驚かせて申し訳ありません、お兄様。

 えっと、つまりお姉様が言いたいのはですね……」

「ああ、いや、大丈夫。何となく察した。

 ……女性のどんな行動にかれるかって事だろ?」



 深読みせず、言葉の通り受け止めればおのずと答えは見えた。


 シャノンが茶器やお茶請ちゃうけのスイーツが用意されたケーキスタンドの置かれたテーブルの上へ身を乗り出し、ふわふわのウェーブが可愛かわいらしい桃色の髪を大きく揺らしてうなずく。



「そう! 私が言いたかったのはそれよ。『男の人の気持ちは、男の人に聞くのが一番』って言ったのはシェリルでしょ?」

「それはそうなのだけれど。お姉様の場合、たずね方に問題があるんです」

「どうして? 普通に聞いただけじゃない」

「……いえ。それでこそお姉様ですね」



 問題点を理解しておらず疑問符を浮かべるシャノンに対し、シェリルはため込んだ息を再度き出し、小刻こきざみに首を横に振っていた。



(妹達からこんな話題が出るようになるなんて、時の流れは早いな……)



 ルーカスは瓜二うりふたつな姉妹の、対称たいしょう的な様子を見つめながら、過去を思い出していた。






 双子の姉妹が生まれたのは、ルーカスが九歳の生誕日を向かえた年の、冬が明けて春へ向かう頃——。


 グランベル領地・ラツィエル。

 通称〝虹翼こうよくの街〟と呼ばれ、立ち並んだ大風車が象徴的な、虹色の風が吹く街で二人は産声うぶごえを上げた。


 まだまだ空気が冷え込む夜明けに、猫の様な泣き声が聞こえて、その日は目を覚ましたんだ。


 ベッドを抜け出して自室を出ると、暖炉だんろの火がある部屋と違って廊下は身震みぶるいするほど寒くて、両手で二の腕をさすった。


 そうしていると、この時はまだご存命ぞんめいであった、母ユリエルの生母、ルーカス達兄妹の祖母である老年の女性が、慌ただしく侍女と共に部屋の前を通りがかり——。



「おや、ルーカス。起きたのかい?」



 扉の前に立ったこちらへ気付いて足を止め、寒がる仕草を見せる自分に、祖母が羽織はおっていたストールを掛けてくれた。


 祖母のぬくもりをたくわえたストールは暖かく、すぐに肌寒さは感じなくなったのを覚えている。



「おばあ様、さっきの泣き声は?」

「ふふ。丁度良いタイミングだったねえ。一緒にご挨拶に行きましょうねえ」



 祖母は母と同じ桃色の髪を片方の肩で三つ編みにまとめており、しわきざまれた優しいお顔をほころばせた。

 橙色オレンジの瞳のように暖か味のある、お日様の笑顔だ。


 「挨拶って誰に?」と、考えていると、せて少し骨張った手がこちらの手を包み込んで、事情が飲み込めないまま祖母の歩幅ほはばに合わせて廊下を進んだ。


 手をつなぎ、並んで歩いて——連れて来られたのは父上と母上の寝室だ。


 部屋の扉は開け放たれており、入口を守るように騎士が立ち並んでいた。


 祖母に手を引かれて部屋の中へ入ると、公爵家に仕える侍女が駆け回る姿と、侍医のファルネーゼきょう、それからもう一人、女性の医師がベッドの横に控える姿が見えた。


 ベッドには横たわる母と、寄り添う父の姿があって、心なしか疲れた様子の母上に、最初は具合が悪いのかと思った。


 けれどよく見ると、とても嬉しそうな微笑みを浮かべて腕の中へかかえこんだ何かを見ており、それは父上も同じで、母上の腕にあるそれに手を添えながら、これまで見た中で一番やわらかないつくしみにあふれる表情を見せていた。

 

 あの瞬間は、「一体、何をそんなに嬉しそうに見てるのかな?」と、不思議に思ったものだ。



「お父様、お母様」



 祖母の手を握ったままベッドの側へ歩み寄ると、二人が満面の笑みを浮かべた。



「ルーカス、起きて来たのか。こちらへおいで」



 父が腕を広げて迎え入れる姿勢を取ったので、祖母の手を放し迷わずその胸へ飛び込み筋肉質のたくましい腕にいだかれた。


 しばらくの間、父の温かな体温を楽しんで体を離すと、父と母の顔を交互に見て問い掛けた。



「お二人とも何を見ていたのですか?」



 父は笑みを崩さず、ベッドに横たわる母の腕の中にあるそれを大きな手で示して見せた。



「産まれたんだよ、ルーカス」



 ——その言葉の意味はすぐに理解した。


 母のお腹には新しい命が宿っていて「もうすぐ弟か妹が産まれるのよ」と聞かされていた。


 学問や教養を学ぶ過程で知識は得ていたし、日々大きくなっていくお腹をながめて「いつ会えるのかな?」と、その日を心待ちにしていたのだから。


 慌てて父が示した先をのぞき込んだ。


 するとそこには、白い布に包まれたとても小さな、小さな赤い存在〝赤子〟がいた。


 それも一人ではなく二人。


 知識はあっても、実際に〝赤子〟——赤ちゃんを目にするのは初めてで、初めて邂逅かいこうした存在に、自分でもどう表現したらいいかわからない熱い感情がき上がった。



「二人とも女の子よ。妹が出来たわね」

「僕の……妹」

いてみるか?」



 母の言葉を飲み込みながら、父の問い掛けに素早く大きくうなずいた。


 まさか二人も妹が出来るとは思っていなかったので驚きはあったが、家族が増えた喜びに胸をおどらせた。


 そうして待っていると、父が白い布にくるまれた状態の赤ちゃんをゆっくりと運んで来て、腕を広げて受け止め、落としてしまわないよう慎重に抱きしめた。


 重さはそれほど感じられなかったけれど、腕にじんわりとした温かさがあって、確かな命の鼓動を感じた。


 まじまじと見つめて造形ぞうけいを確認すれば、ぽわぽわとした桃色の毛がちょこんと頭に生えており、赤みのある肌が印象的だった。


 まぶたは伏せられ糸のように線をえがいており、鼻はぺったんこで唇も薄く、布の合間から出た手は祖母の様にしわくちゃなのに小っちゃくて「力を籠めたらすぐに壊れちゃいそう」と、思ったものだ。


 初めていた赤ちゃんと言う存在は、頼りなくて、あったかくて、壊れてしまいそうなあやうさがあった。

 

 だからその時、思った。


 産まれたばかりで弱々しい赤ちゃん。

 兄として、妹達を、双子のお姫様を守らなきゃ——と。


 それに——。



「可愛いでしょう?」



 密かな決意を胸に、妹を見つめていると母が言った。


 そう、とても可愛かったんだ。


 今だからわかるが、二人を目にしてき上がった熱い感情は〝愛しさ〟、家族に向ける〝愛〟だった。

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