第五話 お茶会、伝えるべき言葉を胸に

 激しい攻防の末ドレスアップを終えたイリアは、シャノンとシェリルに連れられてお茶会のため庭園に設けられた場へと場所を移した。


 天気は快晴。

 手入れが行き渡り整えられた庭園は、陽光に照らされて見事な美を演出している。


 お茶会の会場には、桃色のテーブルクロスの上に純白のレースのあしらわれたクロスが敷かれた、ガーデンテーブルが置かれ、アンティーク調ながらも上品なデザインの白いチェアが人数分用意されていた。


 侍女の案内で席へ。

 座る際にはチェアを引かれ、各自腰を落ち着かせた。



「ふふ。二人ともとても似合っています」

「ドレス選びに苦労した甲斐かいがあったわね」



 シェリル、シャノンは二人——イリアとリシアのよそおいを満足げに見つめている。


 そんな彼女たちに、イリアとリシアは気恥ずかしさに頬を染めながら、声を揃えて「ありがとうございます」と口にした。


 驚くべきは、リシアも双子の手によってドレスアップされていた事。


 リシアは治癒術師ヒーラーの祭服が連想させる、清楚せいそで優しいイメージから一変してシックで大人な装いに変身していた。


 ふんわりとしたボブ調の髪型の毛先にはゆるやかなウェーブが作られ、側頭部に金の髪飾り、耳元に青いサファイアの輝くイヤリングが飾られている。


 ドレスはシースルー生地と光沢のある生地で仕立てられた黒いスレンダーラインのデザイン。

 足元のすそからのぞくヒールは黒、花柄のメッシュが上品だ。

 

 そしてドレスに合わせて化粧も華やかに、唇には赤いグロスがつやめいていた。


 イリアはまさか自分を助けてくれた彼女が同じ末路を辿たどっているとは思っておらず、あの恐ろしい体験をしたのかと思うと、同情せずにはいられなかった。


 けれど——。



「着飾ったリシアさん、とても綺麗です」

「そう……ですか? ありがとうございます。イリアさんも、すごく素敵です!」

「ありがとうございます。でも、なんだか落ち着かないです。汚してしまったらどうしよう……」

「私もです。あまりこういった装いをする事がないのでむずむずします」



 イリアはリシアと顔を見合わせて、困ったように笑い合った。

 褒められて照れくさい気持ちと、緊張感でそわそわと体を動かしてしまう。



所作しょさ作法さほうは気にしなくて大丈夫ですので、気を楽にしてくださいね」

「そそ。楽しまないとね!」



 そうは言っても条件反射で緊張してしまうのでどうしようもない。


 会話を広げている間に、茶器とお茶菓子が給仕の侍女により運ばれて来る。


 それぞれの目の前に、紅茶の注がれたティーカップが置かれて行き「どうぞ、お召し上がりください」と言うシェリルの言葉を合図に四人のお茶会は始まりを告げた。


 イリアはティーカップを持ち上げて、カップを唇へ。


 砂糖やミルクは入れず、ストレートの 紅茶を口に含んだ。

 茶葉の芳香ほうこうが鼻をくすぐり、程よい苦みと甘みが口に広がっていく。



(……美味しい。この紅茶、今まで飲んだ中で一番好きかも)



 イリアは自然と顔がゆるんでしまう。


 目覚めてからこれまでに何度かお茶を頂く機会があった。

 どれも丁寧にれられており、出されるたびに「美味しい」と感じていたが——不思議な事に、今飲んだお茶は一段と美味しく感じられたのだ。



「お口に会いましたか?」



 シェリルが手にしたカップを優雅ゆうがな所作でソーサーへと戻しながら、問い掛けて来た。



「はい。とても美味しいです」

「気に入って頂けて良かったです。実はこのお茶はお兄様おすすめの銘柄めいがらなんですよ」

「……そうなんですね」



 お兄様——彼女が言うお兄様とは一人。

 思い浮かぶのはあの人だ。


 イリアに手紙を残して長期の任務へ出てしまった、彼。

 次に会ったら落ち着いて話をしようと思っていたのに、すぐに会う事は叶わなかった。


 代わりに貰った一通の手紙は、急いで書いたと言う割には綺麗な文字で、謝罪の言葉とこちらを思いる言葉がつづられていて。


 彼の本来の優しさが伝わるかのようだった。



(けど、私の記憶について、核心に触れる事は書かれていなかった)



 まずはゆっくり休んで欲しい、と。

 彼の気遣いなのだろうが、手掛かりはそこにあるのに届かないもどかしさを感じる。


 自分でも過去について思い出そうとしたが——ダメだった。


 思い出そうと記憶について考えると、決まって頭が痛くなる。


 きりはばまれて、次第に考えが真っ白になって行き——まるで何も考えるなと言われてるみたいに、思考出来なくなった。



(だけど、何かやるべき事があったはず。

 それがとても大切な事だっていうのはハッキリ覚えてる)



 「思い出せ! 思い出せ!」と叫ぶ声が、思考の奥底からしきりに聞こえてくる。



(……思い出さないと、いけないのに)



 考えると頭が痛くなって、胸が締め付けられるように苦しくて。

 苦しさの後にはじりじりと胸を焦がす思いが残り——そんな事の繰り返しだった。

 


(私を知ると言う彼は、唯一の手掛かり。早く、話がしたい)



「いつ戻ってくるのかな……」



 ぽつり、と唇から言葉がこぼれた。


 声に出すつもりはなかったのに、思わず漏れ出てしまった言葉にイリアは自分で驚く。


 シャノンとシェリルが、にやりと擬音の付きそうな含み笑いを浮かべた。



「お兄様が気になるの?」

「えっと、ちゃんとお話をしたい、と思っていたので。急な任務と手紙には書かれていましたが、何かあったんですか?」

「まあよくある事よ。お兄様が駆り出される案件って言ったら、最近は魔獣絡みの事件で——」

「シャノンお姉様!」



 とがめる様なシェリルの声が響く。

 シャノンが「しまった」という顔をして焦っていた。



「魔獣って、あの時の……? 大丈夫なんですか!?」



 魔獣と聞いて思い出すのは、リシアと出会った時の記憶だ。


 ——禍々まがまがしい黒いオーラを放つ熊に似た生物、魔熊まゆう


 普通の熊の何倍も大きく鋭利えいりに発達した牙と爪には鮮血がしたたり、血走った眼球と赤い瞳が獲物を探してギロリと動いていた。


 剛腕による薙ぎ払いは、騎士の躯体くたいをいとも簡単に投げ飛ばし、空から赤い血潮ちしおき散って——あの恐怖は今でも鮮明に思い起こす事ができる。


 イリアは不安から逃れるように拳をぎゅっと握りしめた。


 シェリルは大きな瞳を吊り上げてシャノンをにらんでおり、慌てた様子のシャノンが取りつくろう様に言葉を発する。



「だ、大丈夫よ! だってお兄様は物凄く強いもの。大軍って言ってもすぐに片付けて帰ってくるはずよ!」



 言い終えた後に彼女が「——あ」と口元を覆うのが見えた。


 だが、つむがれた言葉はしっかり届いており——イリアは驚愕きょうがくとする。



「たい、ぐん……?」


(一体でも脅威きょういだったのに、あんな魔獣が沢山……?)



 想像しただけでゾッとした。


 「お兄様は物凄く強い」と彼女は言うが、実際目にした訳でもない。

 彼が無事でいられる保証などないのだ。



(——怖い)



 彼が危ないと思うと、何故か胸がざわついた。


 顔を合わせたのはほんの一瞬。

 過去の自分は面識があったと言うが、実感はない。


 だと言うのに、記憶を思い出せなくて感じた時と似た苦しさと、胸を焦がす様な痛みを感じた。



(苦しくて、痛い……!)


 

 イリアはうつむいて、痛みを誤魔化そうと胸に手を添えた。

 心臓がドクドクと早鐘はやがねを打っているのがわかる。



(どうして、こんな気持ちになるの?)



 記憶のないイリアは、それすらもわからなかった。



「そっか、イリアさんは団長さんが何処に行ったか、知らされてなかったんですね」

「余計な心配をかけたくなかったのだと思います。なのにシャノンお姉様は……」

「ごめんってば……」



 彼女たちの話す内容は、耳に入ってこなかった。


 痛む胸を押さえてうずくまり、そうしているとカツカツとヒールの音がこちらへと向かって来るのが聞こえて——。


 音が聞こえなくなると、握った拳に誰かの温かな手が重なった。



「大丈夫ですよ」



 優しげな声が頭上から降り、イリアは伏せた顔を上げる。


 瞳に映ったのは、慈愛に満ちた面差おもざしリシアだ。

 彼女がひざを折って寄り添っていた。


 リシアは空いたもう一方の手で、手振りをしながら語る。



「イリアさんは覚えていないみたいですけど、あの日私達を助けてくれたのは団長さんなんですよ。すっごく強くて格好良かったんですから!」

「……ルーカスさんが?」

 


 彼があの魔獣を仕留めた事は、今初めて知る事実。


 あの時は、浮かんだ旋律せんりつを歌へとつむぐのに必死で、周りを気にする余裕なんてなかった。


 誰かが「もう大丈夫」と言った言葉に気が抜けて——次に気が付いたらベッドの上にいた。



「はい! 私達ではどう足掻いてもかなわなかったのに、一瞬でしたよ。だからあまり心配せず、信じて待ちましょう」



 「ね?」と、リシアは花が咲いたような笑顔を浮かべる。


 その笑顔は、あの日何も思い出せず焦燥しょうそう感にさいなまれていたイリアを束の間、安心へと導いたものだ。


 不思議と心が落ち着いて行く。

 イリアはまぶたを閉じて深呼吸をした。



(大丈夫、彼は、大丈夫。

 私とリシアさんがここに居るのは、あの日彼が守ってくれたから。

 彼は強い。だから……大丈夫)



 不安に駆られた気持ちをしずめて、平静を取り戻すためにゆっくりと息をしながら、自分に言い聞かせた。






 何度か深呼吸を繰り返すと、早鐘はやがねを打っていた心臓も落ち着き、その頃には、胸の痛みも消えていた。


 まぶたを開いて、リシアを見る。

 彼女は変わらず笑顔をたたえていた。



「うん。ありがとう、リシアさん」

「大したことはしていません。さ、せっかくのお茶会ですから、楽しみましょう! お茶菓子も美味しそうですよ」



 落ち着きを取り戻したイリアは、頬をゆるめて笑顔を浮かべる。


 そうすればリシアは一層花開いた笑顔を見せて、色とりどりのお茶菓子を楽しそうに見つめながら、自分の席へと戻って行った。


 シャノンとシェリルが顔を見合わせてほっと溜息をついている。

 

 リシアが着席すると一時中断したお茶会が再開され、その後は終始なごやかな雰囲気で、時に笑いの飛び交うにぎやかな時間が過ぎて行った。






 楽しい時間の中、イリアは願う。


 戦場へおもむいた彼の無事を。

 そして何事もなく再会できる日が来ることを。



(私は、知らないところで彼に助けられてばかり。

 それなのに私……彼に何も伝えていない)



 彼は過去の自分へと繋がる、唯一ゆいいつの手掛かり。

 失った記憶を取り戻したいと言う気持ちは当然ある。


 けれど、それ以上に——。



(どうか無事に戻って来て……)



 記憶の事など関係なく、彼の無事を強く願う自分がいた。


 記憶の中にある、柘榴石ガーネットのようにあざやかで深みをびた、あかい瞳が思い出される。


 もしかしたら彼は、記憶を失う前の自分にとって、大切な存在だったのかもしれない。

 そんな事を考えながら、思う。



(貴方の目を見て伝えよう。

 この胸の内にき上がる言葉——。

 ありがとう、を)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る