番外編 お兄様の大事な人

 一週間前、お兄様が魔獣討伐任務に行った時。

 お兄様は突然、屋敷に見知らぬ女性ひとを連れ帰った。


 怪我を負って倒れていたところを騎士団の人が発見したらしいのだけど、どうもお兄様の知り合いみたいで、公爵家で保護する事にしたんだって。


 そして今日、その女性ひとは目覚めた。


 でも彼女は記憶喪失で、事件性のある状況から護衛が必要だと判断されて。



(私達が彼女の護衛……)



 辞令が下り、護衛に任命されたシャノンは公爵邸へ戻る馬車の中にいた。

 勿論、シェリルも一緒だ。



『シャノン、シェリル。イリアを頼む』



 ——彼女の事を自分達に託し、そう言ったお兄様の姿が脳裏から離れない。


 いつくしみをびた表情。

 お兄様は知り合いだと言っていたけれど、彼女を見つめる眼差しは、他の女性ひとに向けるものとは違っていた。


 まるで、お父様がお母様を見つめる時のような——熱の籠った視線だ。


 目覚めない彼女を心配して、毎日お見舞いを欠かさなかったし、もしかしたら恋人かもしれないと、ずっとうたがっていた。



(大好きなお兄様の、恋人……。お兄様はいつの間にそんな女性ひとを見つけたの?)



 昔は婚約者がいた。

 シャノンも良く知る相手、従姉妹いとこのカレンお姉様だ。


 でも、戦争でカレンお姉様が亡くなって、それ以来お兄様はそう言った話とは無縁だった。



(いつか素敵な女性ひとが現れればいいな、と思っていたけれど……)



 あまりにも急な話で、大好きなお兄様が奪われてしまう寂しさの方が大きかった。


 今日は朝から気分が良かったのに、一変して複雑な思いだ。

 涙が込み上げて来る。



「うう……お兄様……」



 涙腺がゆるんで、ついでに鼻も湿っぽくなって、流れ出そうになる液体をすすった。


 馬車のキャビン内で、対面に座ったシェリルがため息をこぼしている。



「お姉様、まだそうと決まった訳ではないのだから、そんなに落ち込まなくても」

「シェリルだってわかってるくせに。お兄様のあんな表情、他で見た事ある? ないでしょ?」

「それは、そうだけれど。お兄様から直接聞いた訳でもないでしょう?」



 憶測おくそくで語るのは良くないとシェリルは言うけど、そんなの耳に届いてなかった。



(——こうなったら、お兄様を射止めたのがどんな女性ひとなのか徹底的に見極めてやる!

 記憶喪失きおくそうしつ? 関係ないわ。

 人の本質は無意識下にこそあらわれるものよ。

 徹底的にあばいてやるわ!)



 護衛任務の事など、すっかり頭から抜け落ちていた。


 屋敷に着くなり馬車を飛び降りて、彼女に与えられた部屋を一直線に目指した。


 侍女やシェリルの制止する声が聞こえたが、止まる理由などない。


 廊下を駆け、部屋に辿り着くと、ノックする間も惜しくて勢い良く扉を開け放った。

 「バンッ!」と大きな開閉音が響いたが、いちいち気にしていたら負けだ。



「私はシャノン! シャノン・フォン・グランベル! 貴女を見極めに来たわ!」

「きゃ!?」



 名乗りは大事!


 だからそこはきちんとしたのだけど——予想外の悲鳴が聞こえて、シャノンは部屋の中を見渡した。


 するとそこには、侍女の手を借り身支度を整えてる最中の彼女がいた。

 驚いた様子で淡い青色、勿忘草わすれなぐさ色の瞳を丸くしている。


 ——そして、一目見て。

 シャノンは彼女の容姿に目を奪われた。



(……な……そんな……!)



 多分、湯浴みを終えた後なのだろう。


 長い銀糸のような髪から雫がしたたり、血色の良い肌はほんのり紅く色付いて、清楚せいそな白のルームウェアに身を包んだ彼女は、妙につやっぽい色香をただよわせていた。


 眠っている姿は見た事があり、その時も綺麗な顔立ちをしていると思ったけれど、実際に瞳を開けて息づく彼女は想像以上に可憐かれんで——そんでもってお風呂上がりのオプション付き。


 その威力は計り知れない。

 あまりの破壊力に熱がのぼり、頬が紅潮こうちょうしていくのがわかった。



「シャノンお姉様! 何をやってるんですか!」



 見惚みとれてほうけていると、後からやって来シェリルに頭を叩かれた。

 小気味よい音と痛みが走る。



「痛ったぁ! 何するのよ!」

「こちらの台詞セリフです! 制止を聞かずノックもなしにお邪魔するなんて、失礼にも程があります!」



 シェリルの手が頭を捕まえて押さえ、無理やり下げさせられた。

 拘束から抜け出そうと足掻あがくが、動かない。



(力……強ッ!)


「申し訳ありません。お姉様が無遠慮に失礼致しました」

「ちょ、シェリル痛いわよ!」



 あまりにも力任せに押さえつけてくるから、痛いと訴えると、シェリルのするどあかい眼光がこちらを射抜いた。


 にこりと口角を上げ笑顔を作っているが、目が笑っていない。

 本気で怒っている時の表情だ。



(痛いし、冷たいし、怖い!)


「お姉様も謝って下さい」

「う……! ご、ごめんなさい」



 何が何だかわからないと言った表情で、おろおろとしている彼女の姿が見えた。


 見かねた侍女——支度の手伝いをしていたビオラが受け答えをする。



「お嬢様方、支度が整いましたらお声掛け致します。ひとまず退室してお待ちください」

「わかりました。また後程、改めてご挨拶致しますね」



 シェリルに連れられ、強制的に退出する羽目となった。


 退出した扉の前で、シェリルがこめかみを押さえため息をついていたが、そんなことよりも、彼女の姿の方が印象的だった。



「ねえ、シェリル……見た?」

「何をですか?」

「イリアさんよ! 綺麗な人なのは寝ててもわかったけど、何あれ? お人形? 可愛すぎる……!」



 可愛い物は大好きだ。

 見ているだけで、満たされた気持ちになるし、でる楽しみがある。



「透き通るように白い肌、柔らかな青色の大きな瞳、光に反射してきらめく銀の髪、形の良い小鼻につやのある唇……お兄様が好きになるのもわかる——」



 彼女の容姿は、好みど真ん中。

 落ち込んでいたのが馬鹿みたいに思えて来て、でもほだされる寸前のところで理性が働く。



「はっ! 危ない。……あやうく容姿にだまされるところだったわ。見た目がどうあれ、問題は中身よ!」


 

 「危ない危ない……」と取りつくろった。

 シェリルが呆れた表情で見つめて来る。

 視線が痛い。



(仕方ないじゃない、可愛いものには弱いのよ!)



 しばらくして身支度が済んだことを知らされて、シェリルと一緒に再び入室すると、くつろぎの場として備え付けられたテーブルとソファへと案内された。


 対面にはきちんと身なりが整えられ、ハーフアップに髪をまとめた彼女が座った。



(やっぱり可憐かれん女性ひと……。でもだめ、ちゃんと中身を知るまではわからなんだから!)



 ついつい食い入る様に見つめてしまう。



「改めまして、わたくしはシェリル・フォン・グランベルと申します。先ほどはお姉様が大変失礼致しました」



 隣のシェリルが腕をつついてきて、挨拶をするよううながすが——思わずプイッと顔をそらしてしまう。


 何となく、気恥ずかしかったのだ。



「挨拶ならさっきしたわ」

「そういう事ではなくて……」



 シェリルが何度目かわからないため息をついていた。



「シャノンさんにシェリルさん、初めまして。ご丁寧にありがとうございます。私は——私の名前は……えっと……」


 彼女は至極礼儀正しく、お辞儀を返してきた。

 所作も綺麗だ。

 記憶がないと聞かされていたけど、それを感じさせない振る舞いだと思った。


 言いよどんだ彼女の様子には疑問をいだいたが——ふと、兄から渡された手紙の存在を思い出す。



(確かポケットにしまって……あった!)



 軍服の内側のポケットをまさぐってそれを取りだすと、テーブルの上へ置いた。



「これ、お兄様から預かった貴女への手紙よ」

「……ありがとうございます」



 彼女は手紙を受け取ると、その場で中身を取り出して目を通している。


 何が書かれているのかは知らない。

 シェリルも同様だろう。


 しばらくすると、読み終えた彼女がわずかに微笑んだ。



(……悔しいけど、可愛い)



 その笑顔でお兄様を篭絡ろうらくしたのかな、と下世話な事を考えてしまう。

 ああ見えてお兄様も、可愛いものに弱いのだ。



「実は名前がわからなくて困ってたんです。でも、ここに書いてありました」

「え? お兄様と会ったんでしょう? その時に聞かなかったの?」

「ええっと、色々あって。ちゃんとお話し出来なかったので」



 彼女は気まずそうな表情を浮かべている。



(目覚めて会いに行ったって聞いてたけど、どういうこと?

 記憶喪失きおくそうしつだって聞いて動揺した?

 ——それにしても、肝心の名前を伝え忘れるなんて)



 普段の冷静沈着で、何事も完璧にこなすお兄様からは考えられない行動に、まぶたまばたかせた。



「お兄様らしくない失態しったいですね……」



 シェリルの耳打ちにシャノンはうなずいた。



とがめられても文句は言えないわね」



 ただでさえ記憶がなくて困っているだろうに「どうして教えてくれなかったの?」と非難されても仕方のない状況だった。


 彼女はまぶたを閉じて息を吐いていた。

 それがどんな心境かわからなくて身構える。



(怒るの? 泣くの?

 それとも——?)



 そんな事を思っていると、勿忘草わすれなぐさ色の瞳が開かれ、つやのある唇が動く。

 恐る恐る、つむがれる言葉を待った。



「お手紙ありがとうございます。私の名前はイリア……イリアです。シャノンさん、シェリルさん、ご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします」



 怒るどころか、咲いた花のように微笑んで彼女は言った。


 笑顔から目が離せない。

 怒りも悲しみもない。

 純粋なる好意がそこにはあった。



(何よ……中身まで綺麗だなんて、非の付け所がないじゃない)



 悔しさはあったが、お兄様が見初みそめた人なだけはあると認めざるを得なかった。

 シェリルは何やら難しい顔をして考え込んでるけど——関係ない。



(ひとまずは可愛い物を着せて、思いっきり堪能たんのうするしかないわね!)


 

 ——その邂逅かいこうをきっかけに、シャノンはすっかり彼女を気に入ってしまった。


 そして彼女をで、時に姉の様にしたうようになるのだけど——それはまだ少し先の話だ。

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