第四話 銀髪の詠唱士≪コラール≫

 領域魔術の助けもあり、ルーカスの手によって魔熊まゆうは無事討伐された。



「さっすが団長。俺たちの活躍の場もなく片付いちゃいましたね」

「来たか」



 おどけた口調でそう言ったのはハーシェルだ。

 先行したルーカスに遅れて特務部隊の団員達が到着したのは、魔熊まゆうを倒した直後だった。


 到着してすぐさま、ロベルトが団員達に指示を飛ばす。



「ハーシェルは緊急時に備え待機! アイシャは七班を率いて索敵、周囲の安全を確保! アーネストは十班と救護に当たれ!」

「承知しました。七班、三組に分かれて索敵するわよ! 警戒ゆるめるな!」



 アイシャと七班の面々が、任務を遂行するためそれぞれ散って周囲の警戒に当たった。

 対してアーネスト率いる十班は、展開する領域魔術にはばまれ、足を止めている。



「副団長、救護するにもまずこれを解除してもらわないと」



 戸惑いをあらわに「通れない」とアーネストが苦笑いをこぼす。

 強固な守りは魔熊まゆうが倒された今も、外部からの侵入をこばみ健在であった。



「綺麗な歌声だよな。使い手はかなりの美人と見た。しっかし詠唱士コラールとは珍しい。しかも一人?」

「お前ときたら……任務中もその軽口は変わらないな」

「『慈愛の七つの円環アイアス・メディテイション』——これほどの術を一人で発動出来る人物は私の知る限り騎士団にはいなかったはずですが……団長、何かご存知ですか?」



 結界越しに遠目でわかり辛いが、詠唱士コラールの女性は銀糸をまとわせ歌っている。


 その歌声と姿はを想起させるが——そんな事はあり得ない、と一瞬頭をよぎった答えを振り切るように首を横に振った。



「いや……いまは場を収めるとしよう」



 ルーカスは大きく息を吸い込んだ。

 そうして、遠くまで届くように腹の底から音を絞り出す。



「私は特務部隊団長ルーカス・フォン・グランベル、救援が遅くなりすまない! 魔熊まゆうは討伐した! 安全は確保されている、術を解きそちらの状況を教えてくれ!」



 声を張ったルーカスの呼びかけに、防護壁の中で動く騎士の姿が見えた。



「は! 危ない所を助けて頂きありがとうございました! 私は今回の討伐隊を率いる隊長のハワード曹長そうちょうです!」



 ルーカスに負けずと声を張り名乗りを上げたハワードの声が聞こえ、その返事から待つこと数十秒——キラキラとマナの残滓ざんしが舞う中、領域魔術は解除されていった。


 真っ先に、先ほど名乗りを上げたハワードがルーカスへ駆け寄り、すれ違うようにしてアーネストが十班の団員と共に、救護の必要そうな騎士団員の元へと駆けて行った。



「救援感謝致します」

「無事で何よりだ。損害状況は?」

「ああ、はい。それが……」



 ハワードは歯切れ悪く言いよどみ、何か問題でもあったのか? と思っていると「お姉さん!」と叫び声がした。


 自然とそちらへ目線が動く。


 声の主は治癒術師ヒーラーの証である純白の祭服をまとった、亜麻色の髪の少女で、青を基調とした装いの銀髪の女性が崩れ落ちそうになるのを、受け止める姿が見えた。


 そして、意識を失ったらしい銀髪の女性を診て、血相を変えた。



「あの! すみません! 早くお姉さんを休ませてあげたいのでどなたか手を貸してくれませんか?!」



 その声はこちらまで良く通り、切迫した状況を伝えるかの様だった。



「お? 倒れてるのは……詠唱士コラールの彼女かな?」

「団長、私が行きます」



 目敏めざとく反応を示すハーシェルを横目にしたロベルトから進言があり、ルーカスはうなずいて承諾しょうだくの意を示した。



「副団長、あとでどんな子だったか教えて下さいね」

「馬鹿言ってないで自分の役割を全うするんだ」

「へーい」



 軽口を叩くハーシェルをたしなめ、救援を求める治癒術師ヒーラーの少女の元へとロベルトは駆けて行く。

 ルーカスはその後姿うしろすがたを見送って、疑問を口にした。



「……彼女は?」

治癒術師ヒーラーのリシアですね」

「いや、そうではなく。詠唱士コラールの……彼女だ」

「ああ! 彼女は今回の討伐任務で森へ入った際、リシアが見つけたのです。腹部に負傷しており、リシアが治癒術を施したのですが……恐らく魔熊まゆうに襲われたのでしょう」


(森で負傷して倒れていた……?

 このような林道付近の森に、女性が一人で?)



 なんとも不自然な状況に、新たな疑問がしょうじた。



「それにしても驚きました。詠唱士コラールとはあの様な力を持つのですね。魔獣の猛攻に怪我人は多く出ましたが、術の治癒効果によって回復し死人は誰一人としていません」



 違う、とルーカスは思った。

 単なる詠唱士コラールにこれほどの力はない。


 素質と感覚が求められる詠唱士コラールは、力の扱いが難しく魔術師の中でも稀有けうな存在である。


 そのため実態があまり知られていないが——ルーカスはその力に触れる機会があり、知っていた。

 これは一端の詠唱士コラールせる業ではない、と。


 領域魔術を一人で行使する実力だけでも常人離れしていると言うのに、繊細な技術が要求される治癒の効果までも、一人でこうも発揮出来る者はそういない。



 銀髪。

 詠唱士コラール

 たぐい稀なる実力。

 

 出揃ったキーワードに胸が脈打つ。



「ハワード曹長、このことは他言無用だ」

「え? あ、はい! 承知しました!」



 ルーカスはまさかという思いを抱きながら、の元へ向かった。

 はやる気持ちをおさえて。


 彼女らの元へ向かうと、先に向かったロベルトの背が見えた。

 

 その前方には座り込んで考え込む治癒術師ヒーラーの少女がいて、銀髪の詠唱士コラールの女性の上半身を抱き支えていた。

 

 ロベルトが困ったように「リシアさん?」と少女の名を呼んでいる。



「どうした?」



 ルーカスが声を掛けると、ロベルトが振り返った。



「いえ、彼女を運ぶのに手を貸そうとお話をしていたのですが、途中で固まってしまいまして」


 

 「困りましたね」と笑ってロベルトは肩をすくめた。

 治癒術師ヒーラーの少女は顔を曇らせ、うーん、と首をひねっている。



(確か名はリシアと言ったか?)



 何やら熟考じゅっこうしているようで、目線がこちらを向いていない。

 ちらり、とその腕に抱かれた銀髪の詠唱士コラールの女性を盗み見る。


 容姿を見てルーカスは確信する。

 に間違いなかった。

 

 力なく項垂うなだれ、汗を流し、白い肌は心なしか赤く火照ほてっている。

 大分憔悴しょうすいしている様子だ。


 彼女を抱える少女は思考の沼にはまっているのか、一向にこちらに気付く様子がない。



(このままでは話が進まないな)


 

 ルーカスは少女の目線にかがみ、トントンとその肩を叩いてのぞき込んで見た。


 すると、ぎくりと肩を震わせ漆黒の瞳がまたたいて、地面を向いていた視線がこちらへと向けられると、ぱちりと開いた瞳とかち合った。



「ひゃあ!? 黒髪、紅眼ルージュ——特務部隊の、だ、だ団長さん!?」



 少女は動転したようだった。

 こちらを直視したかと思えば顔を赤く染め、奇声を発して飛び退く勢いだった。



「救国の英雄様が、何でここに……!」



 〝救国の英雄〟とは、ルーカスを差した言葉である。

 戦果に応じてたまわったが、自分には過分な称号だ。


 一瞬ほうけた少女だが、すぐに「しまった!」という風に顔色を変えた。

 ようやく思考が現実に戻って来たようだ。



「ごめんなさい! 別の事を考えていて……お姉さんをお願いします!」



 少女は「ごめんなさい!」と頭を下げ何度も謝罪の言葉を繰り返した。


 あまりにも必死に謝るものだから、こちらがいたたまれない気持ちになる。



(……それにしても)


「何をそんなに考えこんでいたんだ?」

「ええっと……」



 ルーカスは問いかけた。

 こちらの存在にも気付かずに熟考する事とは一体何なのか、と。


 少女は神妙な面持ちで口籠くちごもり、しばし沈黙の時間が流れた。


 そうして数秒。

 黙考ののち「実は……」と話を切り出してきた。



「お姉さんの怪我が気になって。魔熊まゆうと遭遇した近くで倒れてたから、てっきり魔熊まゆうに襲われたのかなって思ったんですけど。よく思い返して見ると、刃物による刺し傷に似てたなって」



 「確信はないんですけど」と少女は呟く。

 告げられた推察に、ルーカスは表情を硬くした。


 それが事実だとすれば彼女は何者かに害された事になる。



(あのが?)



 信じられない事実に、ルーカスは眉をひそめた。

 


「それは事件性のありそうなお話ですね。ひとまず軍の治療院へお連れしましょう」

「あ、はい! お願いします!」



 ロベルトは少女に支えられた彼女を抱き起こそう手を差し伸べたが——ルーカスはその手をさえぎって彼女の体を抱き上げた。


 彼女と触れた部分が燃えるように熱い。



(……熱があるようだ)



 一刻も早く、安全に休める場所へ連れて行かなくては、と気が急いてしまう。



「彼女は公爵家で預かろう。ロベルト、すまないが後を任せて良いか?」

「は、はい。お任せ下さい」



 その言葉にロベルトは戸惑う様子を見せたが、有無など言わせない。

 公爵家が預かる——すなわち公爵家の私的な客として迎え入れると言う事を示す。


 王家に連なる家紋かもん庇護下ひごかに置かれるのだ。

 何人も、軍でさえ安易に手が出せなくなるだろう。



(彼女の身に何が起きたのかはわからないが、それが今取れる最善だ)



 ルーカスはそう信じ、颯爽さっそうかかとを返した。


 かくしてルーカスは、力なく眠る銀髪の詠唱士コラールを腕に抱き、その場を後にするのだった。

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