7話 とどまるな、逃げ出せ
トニーは途切れそうになる意識のなかで、ぼんやりとソニを見ていた。
悲壮な顔は、トニーが撃たれたことを悲観して。なら教育係として、言っておかなければいけないことがある。
「ソニ、忘れてない?」
片肘で上体をささえ、のばした手をソニの首の後ろに回した。自分のほうへと、ぐっと引き寄せる。こうでもしないと、ままならない呼吸で声が届きそうになかった。
顔がふれるほど近くなったソニへ、諭すように話す。
「撃つのなら、撃たれることも当然なの。どれほど経験を積んだとしても、逃れることはできない。銃を握るなら、こうなるかもしれないこと承知しないと。あと、『トニー』呼びを許した覚えない……けど、まあいいや」
身体がつらい。仰向けにひっくり返った。
あと何を言おうとしたんだっけ……? 思い出そうとする。
カーゴスペースを血で汚した。歩実に先に謝らないとシバかれる。それから……
「新聞紙って結構あったかいでしょ?」
「いま訊くのがそれ?」
濡れた服を脱いで、上は流花のジャケット、下は毛布がわりの新聞紙を巻き付けているリザヴェータが苦笑した。
「寝てしまいそう。ホームレスになってた頃を思い出すそのカッコのほかで、面白そうなことが聞かせて」
「はいはい。ルブリと決死のアタックやった結果なんだけどね」
「敵を食い止めててくれてた?」
「銃を取り上げられちゃってさ。あたしもルブリもラフファイトで反撃は無理だから、相打ちで海に突き落とすしかないなぁって。最悪、時間稼ぎにはなると思って」
「で、飛び込んだんだ、ふたりとも」
「相手のひとりがカナヅチでラッキーだった。助けようとした仲間も巻き込んで溺れてくれた。ただ突堤のあたりは海から上がれるとこないじゃない? そのまま寒中水泳するハメになっちゃって。援護が遅れてゴメン」
「ルブリは助手席?」
「ん?」
リザヴェータが、はたと車内をみまわした。
「あ、置いてきちゃった。相手側のリーダー格を追いかけてもらってたの忘れてたよ。あとで謝っとかなきゃ」
トニーは苦笑する。
笑ってみせた一方で、身体の内部が流れ出ていくような感覚があった。
リザヴェータが応急措置をしてくれていたが、できるのは止血と鎮痛ぐらいだ。あとは、なるようにしかならない。
こうなる可能性には腹をくくっていたので、いまさら慌てはしなかった。
やっておくことをもうひとつ思い出した。
「ソニ」
「います、ここです」
ずっとそばにいたのに、わからなかったのか。
不安な心情を見せずにいたかったが、ソニは抑えきれなかった。
「そんな顔しない。やることが、まだある」
「はい……」
「寝室のベット脇にあるサイドテーブル、その下を見て。床が外れるから」
「はい。何しますか?」
「金をまとめて入れてある。それを持って逃げろ」
「……え!?」
ステアリングを握っている歩実まで、唐突な発言に振り向いた。
クラクションのブーイングを受けて、慌てて前を向く。運転中でありながら、めずらしく動揺していた。
リザヴェータが代表して訊いた。
「ソニひとりで逃げ出せっていうの? 無理でしょ」
「お願い。三分間、耳と目をふさいでいて」
落ちようとする瞼と格闘するトニーが、視線を合わせてきた。
「組織から抜けられるのは、死んだときしかない。だから混乱を利用できる今が、二度とないチャンスになる。バイロンには、あたしが撃たれたスキに拐われたと報告する。リーザたちが来たのは、そのあとってことにしておくから」
「よくないです!」
つかまるものがないカーゴスペースは、カーブやブレーキのたびに揺らされる。小さな身体を振り回されながら、ソニは身を乗り出した。
フロラを巻き添えにしたことを打ち明けたあとでも、突き放したりしなかった。ルジェタたちから護ろうとしてくれた。葛藤に苦しみながらも、そばにいてくれた。
互いの距離を近づけるチャンスがまだ残っていると思っていたのは自分だけだったのか。
なぜ今になって、突き放すのか。
なにより、バイロンに嘘がばれたとき、トニーはどうなるのか。
膨れ上がる思いのまま、すがった。
「お金、いりません。だから……」
「いらないも何も、あんたのぶんの報酬なの。あたしの部屋に残さないで」
「ここで、働いていたいです! もっと、頑張ります。うまくなります」
「はっきり言わなきゃわからない?」
醒めた表情のトニーに息を呑む。
身体の感覚が遠くなっていく。
意識をつなぎ止めようと、トニーは眉間に力を入れた。そのせいで普段の人相から、いっそう悪い目つきになっているだろうが、ちょうどよかった。
「ゲームの場をつくったのはバイロンだけど、もともとの騒ぎの元凶は、あんたなんだ。発砲となれば警察の目が厳しくなる。おかげで……しばらくは息を潜めているしかなくなった。だから……あんたと一緒にいると……とばっちり受けて、迷惑……」
「わたしは……」
リザヴェータが、言葉を詰まらせたソニに代わる。
「だから、出て行け?」
歩実も前をむいたままで口を挟んだ。
「出しゃばってることはわかってるけど聞き流せない。ソニをここから放り出したら、元の組織に戻るしか生きてく場所ない。それでいいと?」
「そう言うと思っ……た」
トニーは眠気を覚まそうと、強く瞬いた。
「金と一緒にある封筒をあらためて。あたしは、ここ<
意思に逆らって瞼が重くなってくる。鎮痛剤、それとも失血のせいか。
「ソニは……にいないほうが……いい……」
ソニの顔が目に入った。
来たばかりの頃に連れていった第二研修所の中には、軍の障害物訓練なみのコンバットシューティング・コースもある。高所をわたり、バリケードを飛び越えながら、罵倒の限りを浴びる。精神的にも追い込むのが目的だ。体力自慢の大人が力尽き、頭から泥土に突っ込むコースを走り回らせた。
それでも、泣き言ひとつこぼさなかったというのに。
それなのに、いまの表情は。ぼやけているが、きっと——
「そんな顔……しなくても……」
大丈夫だ。新しい場所にいけば、これまでのことなど、すぐに忘れることができる。
だから、こんな世界にとどまるな。
こんなところを自分の
逃げ出せ。
──人間は二ヶ月あれば、残虐性を習い修めて生まれ変われる。
子どものうちから、人間の裏面をたくさん見てきた。だから、バイロンが言ったことは真実である実感はある。しかし、十人中十人に当てはまるわけではないはずだ。
ソニならまだ変われるはず……。
酷いことをしていると思う。発する言葉はぶれ、懐に入れたと思わせたあと、あっさりまた放り出そうとしている。
そのくせ、ソニの悲痛な顔を最後に見たくないと思うのは、エゴイスティックというものだ。
無学で、コミュニケーション下手で、言葉の選び方もわかっていない。こんなのが教育係についたソニは運が悪い。
ソニの表情がぼやけてわからなくなってくる。
視界が暗くなっている。
自分の名前を、ふたりにしか許していない通称で呼ぶ声を聞いた。
この名で呼ぶのは──
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます