5話 クレイジーのための家

 灰色の公園の寒寒とした空気を乾いた破裂音が裂いた。

 撃ったのはソニだった。

 ルジェタは頬に銃弾の風圧を感じ、ほくそ笑む。

 この距離でソニが弾を外すはずがない。いまの仲間は伏臥させているから、巻き添えにすることなく狙えたはずだった。ヒットさせることを躊躇ったのなら、かわいいものだ。

「やっぱり、わたしを撃てないみたいね」

 母国語は使わなかった。お仲間にも聞かせてやるためだ。

「先生……ルジェタを相手する、正直いいます。動揺して外しました。次、ミスしません。本気です」

 口だけではなかった。呼吸が落ち着き、銃口のぶれもなくなっていた。

「逃げたわたし、殺しにきた。殺す相手、わたしだけでいいはず。その人、関係ありません」

 ソニの視線が険しくなる。

 ルジェタの背後、左右からバックアップの二人が展開していた。銃器の規制が厳しいこの国では、さすがに故国のようにサブマシンガンまでは調達できず、ふたりの武装はハンドガンだった。

「これはね、おまえの進退をかけたゲームになってる。ルールとして、ソニに襲撃を知らせない代わりに、こちらの参加人数を一人減らされた」

「ルジェタ、守ってないですね?」

「余分な一人ぐらいは誤差の範囲。動かせる数があれば、もっと増やしてた。だいたい、こんな規約意味ないでしょう? 律儀に義理を守ることを美徳とするような、カビが生えた組織は淘汰される」

 左手でお仲間を引きずり起こした。ソニからの盾にする。

「こいつが今の〝先生〟なわけ? こんな開けた場所で背中をとられるボンクラに好意的になるとは、鍛え直す必要がある」



 ボンクラは否定しないが、好き勝手いってくれる。

 トニーは引きずられるまま、おとなしく立ち上がった。

 規約を守るバイロンをカビが生えているとするのも早計だ。バイロンなら規約を守らなかったことを逆に利用してくる。

 ソニの意思によっては、以前の住処に戻ってもしょうがないと思っていたが——

 不意に争う人声が聞こえた。続けて、重いものが海に落ちたような激しい水音があがる。

 ひとり悠然としているルジェタが言い放った。

「潜んでいたおまえの仲間を掃除して、海に捨てたらしい」

 ソニが、瞳を大きく見開いた。困惑の視線で問うてくるソニに、小さく首を横にふった。ゲームのメンバーとして誰がチョイスされたのであれ、ソニが気にすることではない。

 その無言のやりとりに、ルジェタが苛立つものがあったようだ。

「メンバーに選ばれたやつは気の毒だったね。文句はお膳立てした、おまえのボスに言えばいい」

 母国語に切りかえられた言葉は、ソニひとりに向けてのメッセージだった。



「逃亡者の始末をつけるためにきた。しかし、おまえを処分するには惜しいというのが、わたしの本音。だからもう一度チャンスをやってもいい」

「あなたにそんな権限はないはずです」

 ルジェタの提案に、ソニも母国語で応えた。本来の自分の国の言葉のはずが、異国語のように感じた。

「始末という処分は、規律維持のための方便にすぎない。再訓練してレベルアップした技能をみせれば、幹部もおまえを認めざるを得なくなる。わたしについてこい。おまえにとって最上の判断をしてみせろ」

 トニーのうなじに当てている銃口をルジェタがアピールしてくる。

「考えろといって脅迫ではありませんか」

 なぜだかトニーに動きがなかった。地面に伏せていれば、目の前に砂利や小石がある。トニーならダメ元で、目潰しからの反撃を試みるはずだった。

 この先の選択を自由にさせる気でいるのか……

「ここで終わりにするか?」

 ソニが最優先で考えることは決まっていた。

「条件をひとつ呑んでもらえるのなら、先生と戻ります」

「条件ね。図太くなったと評価してやろう」

「その人の安全を約束してください。無傷で解放してくれるのなら、わたしは先生に従います」



 言葉を理解できないトニーには、ふたりの会話がさっぱりわからない。

 けれど、苦渋がにじんだソニの顔と声で見当はつく。割って入った。

「自分たちだけで話すな。巻き込まれてるあたしを入れて、この国の言葉で話せ」

「おまえにずいぶん手なずけられたという話をしていた。エサに何を与えたらこうなる」

「別に何も。ボスに命令されて組んでただけ。強いて言えば——」

 銃口を突きつけている女を相手に、挑発的に言った。

「ソニを奴隷ではなく、後進のひとりとして扱っただけだ」

「挑発しても無駄。それとも危機的な状況がわかっていない馬鹿、あるいは命知らず?」

「どっちかなんて意味ない」

 かつて、売られたケンカはすべて買っていた。バイロンの組織にはいると同時に、クレイジーな十代も終わった。終わらせたつもりだったが、フロラが巻き込まれた理不尽に、理性が離れたがっている。そこに怒りの捌け口が現れた。

 まんまと後ろをとられて好き勝手されている自分にも腹が立っていた。二秒後には頭を砕かれているかもしれない体勢で、トニーは思いの丈を吐き出す。

「ソニ!」

 丸まっていたソニの肩が、びくりとして伸びた。

「あきらめるな。人間は平等だなんてお笑い種だけど、仕方ないで流されるな! 誰かに自分の生き方を決めさせるんじゃない! クレイジーと言われようが構わずいけ! あたしがソニにとって本心を明かすに値する存在なら——ッ!」

 撃たれなかったが殴りつけられた。気に障ったようで何より。

 そこにさらに、ソニが加勢した。

「もう、どこにも……いきたくない。ひとりでいる、いやでした。アントニアさんいる場所、これからも帰る場所、したいです。帰る家、ずっと欲しかったです」

「<アクイラ>がある。わたしがいる!」

「先生、恩人です。死なない技術、おしえてくれました。でも足りない、ありました。わたしが欲しい、ホームです。ハウス違います。外からカバーするものHouse、違う。安心できる場所Homeです」

「そんな瑣末なこと」

 吐き捨てたルジェタに、

「認めなよ。ソニは銃で脅して従わせる人間に魅力を感じないって言ってるんだよ」

 刺激し、注意力を散漫にさせる。その陰でトニーは手をのばす。

 トニーの手の動きにソニが呼応した。照準したまま前に踏み出す。ルジェタの意識がソニへと傾いた。

 その隙で、トニーはポケットからブックマーカーを抜き出す。手の中で回転させ、アイスピックグリップに握りなおす。

 ルジェタの右大腿部に突き立てた。

 フロラのもとから帰ってきた真鍮のボディが、ルジェタの脚を貫く。

 筋肉を食むブックマーカーの抵抗にあらがって手を引き、えぐるように肉を裂く。

 トリガーが絞られる前に続けて反撃。左肘をルジェタの右の鎖骨に叩き込んだ。

 手応えあり。

 小さく細い骨だけに、脆くて折れやすい。これで利き腕は使えない。

 倒れ込んだルジェタの頭部にサッカーボールキックを入れた。



 ルジェタの呻き声を、ソニの発砲音が上書きする。

 バックアップのふたりを牽制するのに、二対一では勝ち目がうすい。ソニは照準してくる銃口に応射しながら前方にダッシュした。

 小柄な身体が敵の弾をすり抜ける。敵ふたりの射線が交差する位置までくると、同仕打ちを恐れて発砲がとまる。

 そのひとりの足元にスライディングで飛び込んだ。足首を刈り、前のめりに転倒させる。そこで頭——は撃たずに、右腕と右足を撃つ。盾にして、もうひとりも封じ込んだ。そちらも腕と足だけ。

 バイロンのやり方に従う。

 第二研修所から帰ったあと、バイロンのオフィスに呼ばれたときのことだった。

「殺すより生け捕るほうがむずかしい。なぜだかわかる?」

 ソニは精一杯、考えた。

「やり返すチャンス、相手に残ります……から? すぐ殺したほうが安全、思います」

「そう。それでもソニならできる確信があるから『殺すな』と指示しておく。組織への貢献に期待している」

 ソニを来客用のレザーソファに座らせて言った。

「トニーのそばにいたいなら、わたしに従え。<ジュエムゥレェン掘墓人>の規約に従う限り、守ってやる。そしてソニ・ベリシャという人間最高に活きる場を提供してやろう」

「そうです。わたしは……おかしい思うところ、あります。クレイジー……それでもいい?」

「自覚できているなら話が早い。宇江田アントニアをみろ。ストリートのチンピラにすぎなかったトニーを、組織の<熟練者>に育てたのはわたしだ。ただ能力を育てただけじゃない。トニーが求めるものに、わたしが応えたからこそ、あそこまでのびた。

 トニーもそれがわかっているから、わたしに『トニー』呼びを許している。フロラとの思い出を守りたいがために、ノヴァク中谷リザヴェータや、類沢〝ルブリ〟ルーシャンといった、親しい仲間にすら『トニー』と呼ばせないのにね」

 バイロンがソニの瞳をのぞきこんだ。

「ルジェタ・ホッジャのように仕事のコマとして使うだけなら、こうはいかない」

 ソニがトニーのそばにいたかったのは本心だ。ただ、トニーへの敬愛とともに、別の願いもあった。

 自分の感覚は、一般の人間とはずれたところにある。異常といってもいい気がする。そんな自覚があっても、自分の居場所が欲しくてたまらなかった。

 バイロンは、その切願に対して言い切ってみせた。

「クレイジーなおまえの居場所ホームをつくれるのは、わたしだけだ」

 このときの、ふたりだけでの席でのやりとりをソニは忘れない。



 トニーは、ルジェタのハンドガンを拾いあげた。

「ソニ、走れ!」

 バックアップふたりをソニが倒したが、殺したわけではなかった。バイロンの「なるべく殺すな」を律儀に守っているにせよ、場面による判断が甘い。

 ソニのハンドガンにスライド・ストップがかかっているうえ、敵の人数がわかっていない。弾切れのソニをカバーして、遮蔽物を求めて退却に入った。

 数歩も行かないうちに、発砲音。左脚に灼けるような熱が走った。銃弾がトニーの肉を穿っていた。

 忌々しい。セカンド・ガンを持っていた。

 プローン伏射の相手に応射しつつ、ソニのコートを引っ掴む。腕の力だけで強引に伏せさせる。

 トニーのオートマチックも、すぐにスライドストップがかかった。

 ソニの銃弾でえぐられた肩口を血で汚した男が、トニーの弾切れに気づいて上体をおこした。照準してくる。

 替えのマガジン弾倉はない。考えるでもなく身体が動く。

 ソニに覆いかぶさった。

 人間の身体をつかえば銃弾を防げる。

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