第4話 暗幕の世界で約束

 突然。世界が黒い幕に覆われた。


「何が起こったの?!」


 暗闇の中で、私は慌てた。


 私の他には誰もいない。今の今まで、すぐ隣にいたファビアン様も。

 そして目の前には光る……。


「クラゲ?」


「失敬だなぁ! クラゲはないだろう!」


「クラゲが喋った!!」


 ふよふよと漂う発光体が、目の前で青白く上下している。

 丸い傘部分に、何本もの細い触手。見た目はクラゲそのものだ。


「だからクラゲじゃないってば! 吾輩には顔があるし、体は水で出来てないぞ?」


(顔……?)


 確かに、子どもの落書きのような目と口がついている。

 アンバランスに歪んだそれは、見ようによっては可愛く見えない……こともない?


「あなた、何?」


「ん──。君たちのいうところの、死神?」


 なぜ疑問形。

 でも待って。


「死神ですって??」


「そうそう。アルドンサ。キミに幽冥界の視力を与えたのは吾輩だよ」


「なっ!」


 私が人生迷惑してるのは、このクラゲ──、もとい死神のせい?!


「いやぁ、参っちゃったよ。アルドンサ、意中の彼と共謀して、たくさん命救っちゃったねぇ」


 共謀。悪いことしたみたいに表現されて、カチンと来る。クラゲはなおも続けた。


「吾輩、上司にすっごく怒られちゃったよ。あの火災で死ぬはずだった人間が、大勢助かっちゃってさ。幽冥界の入荷数が足りなくなったわけで」


人間ひとの命を品物みたいに……」


「まあまあ。こっちにもいろいろ事情や都合があるんだ。だけどアルドンサ? これまでは死期が見えても、妨害なんてしなかったでしょ? それが今回の"裏切り"だよ。"与えた能力を回収してこーい"って上から大目玉」


("裏切り"ですって?)


 ぷるぷると、握りしめた拳が震えた。


 声が、気持ちが、絞り出される。


「今までだって……。救えるものなら救いたかったわよ!! 歩くだけで、母を亡くすだろう幼子おさなごを見かけ、息子を失くすだろう老父を見かけ、どれだけ悲しく泣いてきたことか!! あげくに自分の母親からは気味悪がられて、父親からは利用されて!!」


 ずっと押さえつけていた気持ちが吹きこぼれる。

 この死神のせいで! 私はずっと割り切れない思いを抱え続けてきた!


「うんうんうん。人間には重すぎる力だからねえ」


「わかっているのなら、なんで私に──」

「アルドンサのパパが望んだからだよ。吾輩、彼に助けられたんだよね」


「っつ」


 それは父も、言っていた。


「当時、吾輩は新米でさ。知ってる? 死神ってそんな万能じゃないわけで。死んだ人間に、この触手を絡ませて魂を吸うんだけど、完全に死んだ相手じゃないと、逆にこっちが吸われちゃうんだよ」


 クラゲが何本もあるヒラヒラとした触手を動かして言う。


「それで、しくじっちゃったんだなぁ。まだ息がある人間に、うっかり命を吸われかけて」


「……」


「その人間にサクッとトドメをしてくれたのが、アルドンサのパパだったわけ」


「な!!」


(それはつまり父が、人を殺したという意味で──)


「いやぁ。すごかったねぇ。壮絶だった。多勢に襲撃されて、ぜーんぶ返り討ちにしちゃうなんて、パパ何者?」


「え……?」


(父が襲撃された? どういう状況なの?)


 そんな話は聞いてない。父はただの強欲な伯爵家当主で、強いなんて欠片カケラも聞いたことがない。


 そう答えると、クラゲは「ふぅん?」と、愉快そうにフワリと揺れた。


「まあいいや。それで吾輩、うっかりパパに姿を見られちゃったんだ。回収焦って早く駆けつけすぎたし、暗幕・・も張り忘れてたし。で、彼との会話で、生まれて来る子に力を与えるよう約束しちゃったわけ。パパは常々命のやり取りをする立場にあるっぽいし、我が子に自分の死期を知ってて貰いたかったのかもね。覚悟が出来てれば、別れる心積もりも出来るでしょ」


「父はそんなつもりで、私に力を望んだわけじゃないと思うけど……」


「ま、そこは親の心子知らずっていうか、互いにわかんないよね。誰の心もさ。さてと、話を戻すよ? そういうわけで、アルドンサの力を回収したい。代わりに、キミの要求に応じるね。望みは、片思い相手の延命、ということでいいのかな?」


 クラゲみたいな死神の言葉に、もう一度自分の心を確かめる。


 この視力があれば、今日みたいに人助けが出来る。


 だけど、この力のせいで、これまで散々苦しんできた。

 消えゆく命を見守るだけというのは、本当に精神こころを削られることで、何度経験しても決して慣れはしない。


 諦めの中で生きるうち、自分がとても薄情な、最低な人間のようにも思えて辛かった。


 ずっと力を手放したいと願い続け。

 その上、初恋相手の命を助けることが出来るのなら。


(私が報われたいわけじゃない。ファビアン様には、この取引を一生秘密にするつもり)


「ええ。それでお願いするわ」


 私はクラゲ死神相手に頷いた。



「でも死相が見えなくなったら、ファビアン様の病が癒えてるかどうか、私には確かめられないわね……」


 "本当に約束を守ってくれる?"

 疑問を持ってクラゲを見たら、クラゲは妙に嬉しそうだ。


「アルドンサのそういうところ、しっかりしてて吾輩は良いと思うよ。だから特別……」


 そう言ってクラゲは、ファビアン様だけでなく、万病に効く特効薬の作り方を教えてくれた。

 

「この薬で愛しい彼を治してあげなよ。きっと感謝されるから」


「いいの? 彼だけじゃなく、他の人にも使える薬のレシピなんて……。たくさんの命を救ったら、死神と幽冥界が困るんじゃないの?」


「ハハハ。今日みたいにいっぺんに運命をくつがえされないなら、治療の間にこっちも人数を融通出来るんだよ」


 幽冥界にも何かの法則があるようだ。


 クラゲの傘がフープスカートみたいに、ブワッと膨らみ広がった。


「ねえアルドンサ。これからは自分の目に見えてることだけじゃなく、みて。そしたらキミの人生はもっと豊かで、いろどりに満ちてることに気づくと思うよ」


「? 見えてない部分は、見えないでしょう?」


 ナゾナゾみたいなことを言う。

 不満を顔に出すと、クラゲが私の機嫌を取るように言った。


「まあまあまあ。とりあえず、その丸眼鏡はもう外すといい。若いキミには似合わないから」


 その言葉と共に、私の周りの黒い幕は立ち消え、目の前には私に向かって心配そうに呼び掛ける、ファビアン様のご尊顔があった。

 近ッッ!!

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