取り憑かれてる

泡盛草

第1話

「ほんと、すごいよねー。技術の発展は」

 私の隣でイチコが、スマホとかいう物を操作しながら呟いた。

 興味を惹かれた私は、イチコのスマホを覗いてみる。イチコが見ていたのは、何だか怪しげなサイトだった。一番上に、「都市伝説」という文字が見える。

「AIが人間を支配するかもしれないんだって。怖っ!」

「えーあいって何?」

 聞き慣れない言葉に、私は小さく首を傾げた。

「そんなことも知らないの? 人工知能って言ったらわかる?」

 イチコは呆れたように言う。……スマホを見ながら。

「あ、聞いたことあるかも。でも、お化けとか妖怪のほうが怖いと思うよ」

「えー? お化けとか妖怪は人の想像ってわかってるけど、この話は本当にありそうじゃない」

「お化けとか妖怪だって、いるかも」

「いや、いないね。だってあたし、この前、学校で『トイレの花子さん』を呼んだけど、出てこなかったよ。AIの方が怖いって!」

 イチコは楽しそうに言うが、私には怖いとも面白いとも思えなかった。

 それに、私の意見はすぐに否定されたことに、少しムッとする。

「もしかしたら出てきてるかもよ」

 そっけなく言い、私はイチコの赤いスマホをこっそり睨みつけた。

 はぁ、イチコはいつまでここにいるつもりだろう。

 私はイチコの視線を奪うスマホに嫉妬していた。今日は二人で遊びに来たはずだが、イチコは駅前のベンチに座り込んで、ずっとスマホを見ている。

「ねえ、早く行こうよ。水族館に行くって言ってたじゃない」

「うーん。なんかもう面倒だから、ここでスマホしてようよ」

「それじゃあ私が楽しくないよ。だって私、スマホ持ってないもの」

「花子がスマホ持ってればいいのになー」

 イチコはそう言いながら、私の顔を見ようともしない。

「ねえイチコ、私、水族館に行くの楽しみにしてたの。せっかくここまで来たんだから行こうよ」

 私はイチコを立ち上がらせようと、スマホを持っていない方の手を引っ張った。だが、イチコはびくともしない。

「ねえ」

「もうちょっとだけー」

 さっきからずっとこの調子だ。私の我慢の限界も、そろそろ近い。

 いつになったら水族館に行けるの?

「イチコ、あそこに鳥が飛んでる! かわいい!」

「うーん」

「あの人が持ってるジュースおいしそう! どこで買ったのかな?」

「そうだねー」

 私はイチコの興味をスマホから離そうと、ひたすら話しかけた。それでもイチコは気のない返事ばかりして、スマホを見続けている。

 ああ、もう!

 ついにイライラが最高潮に達した私は、イチコに向かって叫んだ。

「ねえ、イチコ!!」

 その時だった。

「取り憑かれてるねぇ」

 突然、声が聞こえたので顔を上げると、ベンチの前に背の低いお婆さんが立っていた。どことなく、怪しい雰囲気がする。

「は? 急になんですか?」

 イチコが顔を上げた。眉をひそめ、警戒心を露わにしている。

 私が呼んでもこちらを見なかったのに、と少し悔しくなったが、そんな場合ではない。

 お婆さんは私とイチコを交互に見て、意味深に笑った。

「ふふふっ、早く気づかないとまずいね。心配されてるよ」

 イチコを指さしてそう言うと、こちらが何かを言う間もなく、すっと消えるように去っていった。

「なんなの、感じ悪っ」

「ま、まあまあ。それよりイチコ、行こうよ」

 憤慨するイチコを宥めながら、私は再度イチコの手を引く。

 イチコはやっとスマホを鞄にしまった。

「あー、うん。なんか気持ち悪くなっちゃったもんね。あ、お祓いとかに行ったほうがいいかな?」

「え! 水族館がいいよ!」

 イチコが言い出した「お祓い」という言葉に、私は慌てた。

 今、イチコに必要なのは、スマホから目を離す時間であるはずだ。


 そうして、やっと着いた水族館。

 私は内心、ホッとしていた。

 水族館には珍しい魚や、かわいい生き物がたくさんいる。スマホを見るより、ずっと楽しいはずだ。

 これならさすがに、イチコもスマホを見ないだろう。

「イチコ。私、ペンギンが見たい」

 中に入ると、私はパンフレットを見てイチコに話しかけた。

「あたしはイルカが見たいなー」

 やっとイチコとスマホ以外の話ができている!

 私は思わず顔が緩んだ。初めてのお出かけに、一気にテンションが上がる。

 だが、そうしていられたのは束の間だった。

「……あ! 水族館の中、フラッシュ焚かなければ撮影オッケーだって!」

 イチコがそう言って、スマホを鞄から取り出してしまったのだ。

「え……」

 何でよ、と叫びたい気分だった。


 パシャパシャ、パシャ。

 イチコは水槽にスマホを向け、写真ばかり撮っている。

「あ。あそこの魚、綺麗な色してる。後でネットに載せよ」

 綺麗な物を見て写真を撮りたくなる気持ちはわかるけれど、イチコは少し撮りすぎではないか。もう百回はシャッター音を聞いている。

「ねえ、早くペンギン見に行こうよ」

「もうちょっと」

 私はうんざりだった。イチコは水槽ではなく、スマホの画面を見ている。

 私はその様子に、疑問しかなかった。

 スマホばかり見て、何が楽しいのだろう。スマホの画面を通して見たものは、自分の目で本当に見たと言えるのだろうか。

 水槽の前から動かないイチコは放っておいて、先にペンギンを見に行こうと、私は歩き出した。

 その時、私は信じられないものを見た。

「え……どういうこと」

 イチコの周りには、イチコと同じように水槽にスマホを向ける人々がたくさんいたのだ。

 全員、同じ方向にスマホを掲げている。

 生き物を見ることではなく、写真を撮ることに夢中になっている。

 その様子が、震え上がるほど恐ろしかった。

 もうだめだ。人間はスマホばかり。

 お願い、スマホを見るのはやめて!

 私がそう祈っても、誰も動かなかった。皆、スマホの画面を見続けている。

 そうだ。こうなったら、スマホを見たくないと思わせればいいのだ!

 我ながら名案だと思った。

 周りを見れば、やはり皆、スマホを水槽に向けている。

 よし、今のうち。

 私はイチコの側をそっと離れて、ある場所へ向かった。


 パシャパシャ、パシャ。

 次々に鳴るシャッター音。

 あたしは撮ったばかりの写真を確認する。

 上手く撮れたかな。

「え……」

 あたしは思わずスマホを落としてしまった。

 心臓がバクバクする。息が苦しい。

「今の、何?」

 あたしは震えながらもスマホを拾い、もう一度写真を確認した。

 そこに写っているのは、たくさんの魚……と、女の子の姿だった。

 水槽の中に、普通の女の子がいるはずがない。さらに、不思議なことに彼女が着ている服は、全く濡れていない。

 そして、彼女はひどく恐ろしい顔をしていた。目を吊り上げ、眉間に皺を寄せている。

 これは明らかに心霊写真だ。

 しかし、一番驚いたのは、彼女はさっきまで隣にいた花子と同じ顔をしていることだ。

「な、何で花子が? 花子は幽霊? お化け?」

 花子は学校のトイレで仲良くなった、ただの友だちのはずだった。だが今は、とにかく恐ろしくて仕方ない。

 本当に花子は幽霊なの? それとも、花子はガラスに反射してたまたま写っただけ?

 あたしはもっとよく見ようと、写真を拡大した。

 すると、彼女は白いTシャツを着ていることがわかった。

「あれ、何か書いてある?」

 まるで血のように赤い文字で、Tシャツに文章が書かれている。

 何よ、これ……

「ス、マ、ホ、を、見、る、な?」

 震える声でなんとか読み終わったとき、ゾワっと震え上がるような、冷たい空気が体にまとわりついてきた。左肩にナニカがのしかかってくる。

「……そうだよ。だって、イチコ、スマホばっかり見てるんだもの。私のことも見てよ」

 耳元で囁かれ、恐る恐る顔を向けると、そこには無表情の花子がいた。

「きゃあ!」

 やっぱり花子は幽霊か何かなのだ!

 そういえば、さっき変なお婆さんが「取り憑かれてる」と、あたしに言った。

 もしかしてあたし、花子に取り憑かれてるの?

 やはりお祓いに行くべきだったと、心の底から後悔した。だが、もう遅い。

「は、花子、なの?」

「……そうだよ。イチコ、私のこと毎日トイレで呼んだから出てきてあげたのに。イチコと出かけるの楽しみにしてたのに、恨むよ」

 「恨む」という部分にゾッとした。それと同時に「トイレ」という部分も引っかかった。

 花子、トイレ……そうか。

 花子はおそらく「トイレの花子さん」で、あたしが興味本位で呼んだことに怒っているのだ。

 どうして今まで気づかなかったのだろう。

 なぜ、あたしは「トイレの花子さん」を呼んでしまったのか。スマホで都市伝説のサイトを見て、どうしても試したくなってしまったのだが、それが間違いだった。

 頭の中に「逃げる」と「謝る」の二つの言葉がぐるぐる回りだす。

「よ、呼んじゃってごめんなさい! だからあたしに取り憑かないで! お願い!」

 あたしはとにかく逃げようと走り出した。

 走って、走って、走って……ようやく外に出た時、遠くから花子の声が聞こえた。

「……私は取り憑いてないもん! イチコに取り憑いてるのはスマホだ! AIよりスマホの方がよっぽど怖いよ!」

 振り向くと、もう花子はいなかった。

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取り憑かれてる 泡盛草 @Astilbe

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