P6 後日談
「あー……どうしよ」
私――
今日のコーディネートが決まらないだとか、ヘアースタイルのセットが上手くいかないといった女子高生らしい悩みではない。
私は服装にこだわる人間ではない。他人から変な目で見られない格好ならどんなのでもいいと思っている。流行に敏感なオシャレ女子高生は夜中にジャージ姿で出かけたりしないだろう。
この全身鏡もいつもなら寝癖を確認する程度にしか使っていない。それすらも、洗面所の鏡で事足りているが。
そんな私が鏡をまじまじと見ている。服装は気にならない。問題は胸元だ。
今、私の首の少し下、胸元には魔法陣――魔法使いのおじいさんが儀式で床に描いてそうな図形が刺青のように浮かんでいる。濡れたタオルで擦れば落ちるかもと、実行したので、その付近の肌は赤くなってしまっている。
他人が見れば、恐らく真面目な人間だとは思われなさそうなファンキーな図形。ファッションたと言い切れば、変な目では見られないかもしれない。
昨日、自分は悪魔だと名乗った女の子――ベルの胸元にも同じ魔法陣が描かれていた。その彼女と同じ、悪魔になる儀式をした私の胸元にも同じ魔法陣が浮かび上がってきたということは、彼女は本物の悪魔だったらしい。
本物の悪魔だったら、悪魔になる儀式に同意するのはもっと慎重になるべきだった。と、私は少し後悔した。
悪魔になったのなら……。
勉強机の上に置かれた柴犬の写真の卓上カレンダーを指さし、念じた。
燃えろ。燃えろっ。燃えろっ!
私がいくら念じても、卓上カレンダーは発火しない。写真の柴犬は可愛らしくお腹を見せたポーズで寝転がっている。
呪文が必要なのかもしれないと思い、漫画や映画で見た呪文を声に出して叫んでみる。
「ファイア!」「アブラカタブラ!」
「楽しそう。何の遊び?」
突然、自室のドアが開き声をかけられて、「ひやっ?!」という情けない悲鳴とともに、私の心臓と身体はビクリと跳ねた。
「ね、何の遊び?」
もう一度尋ねる彼女――昨日出会った女の子ベルは子どもがイタズラをした時のように笑みを浮かべている。恐らく、私が悪魔の力を試そうと呪文を唱えているのを理解しているのだろう。
「う、うるさいな! 」
わたしは突っぱねるように、部屋中、下階のお母さんにまで聞こえるんじゃないかという声量で叫んだ。
「そもそも、何処から私の家に入ってきたの?お母さんは? 不法侵入?」
私の畳み掛ける問いかけにも、彼女は涼し気な顔をしている。
「いっぺんに質問されても困る。聖徳太子じゃないんだから」
「ご、ごめん」
「わたし、不法侵入はしてない。正式に正面玄関でインターホンを鳴らして、アヤノのお母さんに招き入れてもらったの。アヤノの仲間だって言ったら、入れてくれた」
我が家のセキュリティはザルだったらしい。お母さんめ、悪魔の侵入を許すなんて。何の仲間だと思ったのか……。
「アヤノって友達を部屋に呼んだことないでしょ。お母さん、わたしが訪ねてきたのを感激してたよ」
お母さんめ、余計な事を。
私は他人を自室に入れるのも、他人の部屋に入るのも嫌いだ。自室というプライベート空間を他人の目に晒すのは、私にとって性癖を晒す、裸を見られるのと変わらないとすら思っている。だから私は他人を自室に招いたことは無いし、他人の部屋に入ったことも無い。
ベルが初めて。
「で、火はつきそう?」
言って、彼女は机の側まで歩き柴犬の写真の卓上カレンダーを撫でた。
私の心を悪魔の能力で読んだのか。それとも、私が内面のわかりやすい人間で、心が表情に出ていたのか。
「悪魔の目には発火しそうに見えるの?」と出来る限りの嫌味を込めて言うが「人間の眼と同じ。可愛らしい子犬が見えているわ」と返されてしまった。
「悪魔なら、簡単に火をつけられるの?」
私が素朴な疑問を投げかけると、
「うん。この周辺一帯を消し炭にするくらいは。大悪魔のわたしならね」得意気に彼女は答えた。
いつの間にか大悪魔に昇格したらしい。昨日から今日までの間に悪魔の昇進試験でも受けてきたのだろうか。恐らく、新米悪魔の私に先輩風を吹かせたいのだろう。
私のベッドに座ると彼女は右手の人差指を天井に向けた。
彼女は何も言わない。私は何が起きるのかとじっと指先を見つめる。
彼女の指のあたりが陽炎のように、ゆらりと歪んで見えた。瞬間、彼女の指先には小さな炎が灯っていた。
「ほら、魔力がもったいないから、小さめにしたけどね」
炎を指先から出せるのは凄いのだが、私の第一印象は「ライターみたいで可愛い」だった。
今更ながら、彼女は悪魔を自称する妄想好きな女の子ではなく、本物の悪魔と呼ばれる、人間ではない存在なんだなと思った。
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