ありふれたロマンティック・ウォーリアーの平凡な恋

full moon

 地球が丸いのと瑠奈ちゃんが可愛すぎるのが悪い。彼女のシルエットをファインダー越しに眺めながら、私はそんなことを思う。


 好きだ。愛してると言ってもいい。一緒の苗字になって、子どもを産んで、同じ墓に入りたいくらいには。古い考えかもしれないけど、それがなかなか難しい事だからこそ、私は強くそう思える。

 それは私たちが女同士であることとか、そもそも瑠奈ちゃんがもう既に誰かのものであることとか、仕事が忙しくてなかなか構ってくれないこととか……色々な要因があるけど、湧き立つ感情の前では関係ない。

 恋をしてしまったのだ。向かいに見える。 


 丸みを帯びたフォルムに指を沿わせれば、指先に残るのはざらついたインクの感触だけだ。そこに温度はなく、虚しさだけが残る。プリントアウトした貴女の虚像を撫でて感慨を得る時期は、もう過ぎてしまった。

 テーブルに置かれたチオビタとコンビニ弁当の空き容器。開きっぱなしのパーソナルジム会員登録ページ。どれも私を癒したり成長させるには遠く、私は日に日に強くなっていく想いに火を足していく。


 きっかけは些細なことだ。

 社会人4年目で重要な仕事も任され、婚活なんかも視野に入れないといけない時期。私の体を動かす歯車が、急に噛み合わなくなった。自分ではない自分が消耗していくのをどこか俯瞰した視点で覗きながら、悲しくもないのに涙が止まらなかった。

 仕事が苦痛なわけじゃない。ただ、このままの生活が少なくともあと30年は続くことに対する虚しさのようなものが頭の奥に残っている。溜め込んだ貯蓄と有休を目の前に並べてみてもそこにあるのは過去の足跡だけで、これからの未来を担保してくれるものは何もない。何のために働くのかがわからなくなった。


 バックパックを背負って自分を探すか、エコでロハスな生活で自分を磨く。SNSに溢れるキラキラした同年代女子の投稿は都会的で、そこに混じっていけるほど私の人生は充実していない。

 周りの人が自分を置き去りにして生きているような感覚だ。なにか生活の糧がないと、緩やかに消耗してしまう。生きる理由が欲しかった。


 ただ窓の外を眺める夜が続いたある日。何気なく見つめた景色の中に、彼女は居た。普段の生活なら気にも留めない日常の風景に溶け込んでいる輝き。生き甲斐は、すぐ近くにあった。築40年ほどの老朽化したアパート、4階建ての建物に鎮座する球形の貯水タンクだ。

 満月を思わせるフォルムは表面の反射さえも美しく、感じる色気は女性的ですらある。少し色褪せたとしても綺麗な乳白色のカラーリングも、風雨に晒されても立ち続ける健気な姿も、全てが愛おしく思えた。

 私は彼女を〈瑠奈〉と名付けた。瑠奈ちゃんは都会の片隅で忘れられまいと、必死に自らの存在をアピールしている。私が目を留めなければ、日常に埋没する存在になる気がした。

 きっと、瑠奈ちゃんと私は似ている。時代の流れは早く、立ち止まっていると朽ちて誰かに忘れ去られていく。それでも其処に居続ける姿に、不思議と胸が高鳴った。


「……で、それが結婚したいと思った理由なわけね」

「うん。今度の恋こそは本物だから!」


 数ヶ月ぶりに顔を合わせた親友は、溜め息を吐きながら頭を抱えている。オシャレなカフェテラスで過ごす午後、彼女の大好物であるエスプレッソは一切減っていない。


「一旦整理しよう。その……想い人?は」

「瑠奈ちゃんね」

「その呼び方の方が腑に落ちるか。瑠奈ちゃんは、暴力とかは……」

「振るってこない!」

「ギター代として渡した金が浮気相手の女とのホテル代に消えたりは……」

「しないよ」

「駐輪場でチャリを日常的に盗んだりも?」

「しないって!!」

「OK、今までのよりはずっとマシだわ」


 親友は高校時代からの付き合いだ。サバサバしたタイプで、既に旦那も子供もいる。よく私の相談を受けてくれる、とても大切な存在だ。


「瑠奈ちゃん、かなりの優良物件だと思うんだよね……」

「この比喩が適切なことってあるんだ。いや、まぁ……確かに、アンタが選ぶ相手の中では一番良いのかもしれないけど……無機物かぁ……」

「やっぱり。もう既に誰かのものだもんね」

「まぁ、そうだね。それ以外にもあるけど」


 親友はエスプレッソをひと口啜ると、本気かぁ、と呟いたきり沈黙する。彼女は私の恋愛遍歴を理解した上で、私のことを〈ロマンティック・ウォーリアー〉と呼ぶ。誰かを好きになると無我夢中で突っ込んでいく性格を表した言葉らしい。私にとってはそれが当たり前のことなのだけど。

 とにかく、彼女は数分の逡巡の後に私の恋を応援することを決めたようだ。追加の注文をすると、堰を切ったかのように話し始める。


「……とりあえず、結婚には両者の同意が必要だよね。瑠奈ちゃんに結婚の意思があるかの確認プロセスが必要だと思うんだ」

「確かに、今のところは私の片想いだもんね」

「そうそう。お互いの気持ちを確かめるためにも、同棲から始めたら?」


 一つ屋根の下で暮らす。厳密には瑠奈ちゃんが上で私が下だ。それはほとんど同棲と言えるのではないか? つまり、例のアパートに住むことから始める。

 親友の提案に私は一も二もなく飛び付いた。帰宅後に荷物をまとめ、引っ越しの荷造りを始める。

 今の部屋に残っている賃貸契約の違約金とか、生活水準に見合わないアパートの古さとか、そういったものを気にしている場合じゃない。仮に風呂無しトイレ無しでも、瑠奈ちゃんと生活を共にできるなら万々歳だ。

 ゆくゆくは大家親御さんに挨拶をして、一生を添い遂げることを認めてもらう。愛の巣が文字通りの意味になる!


 3日後、私は泣きながら大家親御さんに詰め寄っていた。向かい合う相手は白髪の目立つお爺さんで、涙を流して縋る私に少し困惑している。


「なんで……取り壊すんですか……?」

「悪いねぇ、お嬢さん。建物自体が老朽化してるし、維持費も管理費も馬鹿にならないんだよ。転居者も年々増えているもんで、有っても一銭にもなりやしない」


 大家親御さんが言うには、このアパートを一旦更地にして駐車場を建てるつもりらしい。瑠奈ちゃんを今まで育ててくれた存在を悪く言うのは気が引けるけど、正直なところ愚の骨頂だと思う。瑠奈ちゃんは平凡な日常で絶えず輝き続ける美しさの象徴で、孤独だった私の支えで、生き甲斐で……。

 そんなことを語ってもキリがないことはわかっていた。私は解体の日を聞きながら瑠奈ちゃんを見上げるような画角で撮影し、家に帰って16時間眠る。諦めて夢の果てに逃避したわけじゃない。与えられた期限までに、やることはまだ沢山ある。

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