第19話:レガリオ・アストーノ②

「—――ふうぅ……」


目を閉じて深く息を吐きながら、レガリオは腰の剣を抜く。

両手で正面に突き出された混り気の無い白い刀身が、彼の覚悟をそのまま写すように輝いている。

その一連の動作を見届け、ギーガーもまた斜め上に剣を構え、レガリオを見据える。


(ハンッ……ご立派な剣じゃねぇか。随分な気合を入れてやがる。……だが、一太刀も喰らってやる気は無い。どうやら唯流ユイルを破る秘策があるらしいが、そんなことは関係ねえ。こんな勇敢ぶったクソガキに、このギーガー・フルスイングがしてやられるかって話だ!まともな戦いで圧倒してやるッ!)


両腕を頭まで上げているため一見すれば胴体がガラ空きに思えるが、これは不用意に突っ込んできた相手を圧倒的なパワーで上から一刀両断するという、彼の必勝の構えだ。

それを感じ取っているからか、レガリオもその場から軽々けいけいには動かない。

まるで先に動いた方が負けると言わんばかりに、お互いがタイミングを計り、じっと相手を観察している。


「…………」

「…………」


周りの時間だけが流れていくような感覚に身を溶かす。

呼吸することもはばかられるような静寂の中—――レガリオは足先や肘、腰など限られた部分での細かいフェイントを仕掛ける。

しかし心的余裕のあるギーガーにはあまり効果がなく、なかなか彼のを崩せずにいた。

そういった駆け引きに気付いてすらない手下たちからすれば、この数秒間は退屈に、何十倍にも思えたことだろう。


「カシラが勝つに決まってるだろぉ、へっへっへ……!—――っといけねッ」


すみで気分よく酔っていた男がフラつき、テーブルにぶつかった。

振動で安物のワインボトルが倒れ、ゴロゴロと転がる。

やがて足場を失ったそれは垂直に落下。地面に触れた、その刹那。

ガラス特有の綺麗な音は、中の液体に吸収された柔らかい響きとなって―――砕けた。


「!?」

「—――ッ!」


染み付いた気のゆるみ。

それを消しきれなかったギーガーの視線が外れた瞬間、レガリオが床を蹴り一気に間合いに飛び込んだ。

脱力がなされた腕と、握った剣を右後ろに尻尾のように浮かせて接近する彼のスピードは、むしろギーガーの防衛本能を刺激することとなる。


「ッ!?、ぬぁッ!」

「フッ!」


身長差を逆手に取った、横から胴を狙った低い一撃が這い寄る。

ギーガーは手首を返し肘をへそまで曲げることで剣の位置を下げ、すんでのところでそれを防いだ。

磨かれた鋼が火花を散らしてぶつかり合い、柄を握るレガリオの手に速さと重さが跳ね返っていく。

彼はその衝撃を逃がすように空中で体を回転させながら、再び距離を取った。


「てめ―――ッ」


この俺に声を上げさせやがって、と恨み言を吐く暇もない。

レガリオは着地したその場から瞬きする間に大きく横に跳び、ギーガーの視界から姿を消していた。


「!?ッどこに―――」

「カシラッ上だァッ!!」

「なッ!」


取り乱した部下の声に反応して上を向いた時、頭を真下に向けたレガリオが薄暗い天井を蹴り出した瞬間だった。

最短距離で首を獲りに来るその様はさながら暗殺者アサシンのようだ。


「チィッ!」


迎撃のために振りかぶっては間に合わない。

素早く頭上に大剣を寝かせ、防御に徹する。


「—――くッ」

「なにッ!?」


だが金属音は発生しなかった。

防がれると分かった瞬間にレガリオは剣を引き、大剣の横っ腹に足で着地したのだ。ギーガーの腕に伝わったのは、グッと重さが増える感覚のみ。


「ッ……この野郎ッ!」


出し抜かれた怒りを放出するかの如く。

頭上のレガリオを吹き飛ばそうと添えていた左手を使い剣を跳ね上げるが、彼は宙返りでその勢いを殺してその場に滞空—――そのまま背中を反らせて大上段に構え、一気に振り下ろす。


「ハアアアァッ!!」

「ンダラアアアアアアッ!!!」


伸びきった腕を全力で引き戻し、ギーガーは顔面スレスレでその一撃を受け止めた。

哀れな養分と侮り、歯牙にもかけていなかったいち村の少年と、今は拳一つ分の距離で顔を突き合わせている。


「—――チクショウがァッ!!!」


大剣を引くと同時に、ギーガーはレガリオの腹を蹴り飛ばした。


「ぐはッ!!」


空中では踏ん張ることはできず、あえなく放物線を描いて遠ざけられてしまう。

なんとか空中で体勢を立て直し、身のこなしでダメージを散らす。


「……ッ」


すぐさま前を向く彼は表情を歪めることも無く、虎視眈々と足を動かし続けている。


「オカシラ!やっちまえ!」

「大丈夫でさあ!このガキ、ただ滅茶苦茶に動いてるだけですぜ!」

「うるせえッ!余計なことしてんじゃねぇぞッ!黙ってろッ!!」

「へあッ……は、へえ、すいやせん……」


小さく歯噛みするギーガーは、手下に怒号を飛ばす間もレガリオから目を離せないでいた。

ここまで何も上手くいっていないという、迫りくるような焦りが自分の中で大きくなっていくのを感じ、とうに笑みは消え失せている。


「シッ!」

「ッ!?」


思考の不意を突き、呼吸を整える素振りもなくレガリオが動き出す。

凝視するギーガーの視線を置き去りにして足元に潜り込み、膝の関節目掛けて剣の軌跡が真横に滑る。


(なんだ……コイツの動きは……ッ!)


紙一重で後ろに足を引いて躱すことは出来たが、反応というより反射で避けたようなものだ。

生きた心地はしなかった。


「フッ!、ゥンッ!!」

「ッ……の野郎……!」


豪雨のような、横から、上から、斜めから絶え間なく降り注ぐ連続攻撃。


(速い!いやそれよりも​───長い!息切れする気配がねぇ!)


僅かながら基礎は見える。しかし、今まで戦ったどの剣士よりだ。

まるで人間ではなく、野生動物を相手にしているような印象を感じる。

ギーガーは剣の側面を盾代わりに防御が手いっぱいで、レガリオに対してやいばを向けることもできずにいた。


(そうかッ……考えてみりゃ当たり前だ!コイツは…………!)


決まった型も、セオリーもあるはずがない。

姉が攫われたあの日から、彼にはじっくり剣術を学んでいる暇など無かった。

ただ生き延びる事に必死だったのだ。

その過程で身に付けた剣捌けんさばきは対人戦を考慮している訳でもなく、あらゆる敵を殺すための動きに特化している。


「ハァッ!」

「グッ……!」


なぜなら彼はこの十年間、毎日ずっと―――


(—――森の魔物を相手にしてきた男だッ!)

「せぇええええッ!!」


一際激しいくろがねの音が響き、上から叩かれたギーガーの大剣がズレた。


「しまッ……!?」

「……!」


その一瞬をレガリオは見逃さない。

同等の反動を受けていた彼は瞬時に体を逆回転させ、速度のエネルギーを剣に伝えて振り抜いた。

白刃が一閃、塵の舞う部屋でカッと光る。


(クッ―――間に合わねぇッ!)


淀みなく空気を分かつレガリオの斬撃は、ギーガーが引き上げる大剣の上を掻い潜り、彼の利き腕である右の肩に向かって、引き寄せられるように伸びていく。


—――しかし。


「うッ!?」


研ぎ澄まされたやいばはギーガーの皮膚を傷つけることなく、ガツ―――という虚しい音を響かせて止まった。

これまでレガリオを苦しめていた【慈愛と抱擁オーバーオール】が、やはり彼の邪魔をしたのだ。


「ッ!……くそッ!」

「—――ッくはァ!……調子に乗るなコラァッ!!」


無意識に息を止めていたギーガーは現実に理解が追いつき、大剣を横薙ぎして振り払う。レガリオも後ろに飛び退いてそれを躱し、二人の間合いは最初と同じ───振出しに戻った。


「ハァッ!ハァッ!何が俺を倒しに来ただッ!結局駄目じゃねえか!分かってただろうがよッ!このガキがぁッ!」


自身の中に芽生える認めがたい屈辱感を消し去る様に、ギーガーは怒鳴り散らした。

深く素早い呼吸を繰り返すレガリオは、それをただ無言で受け止めている。


「オ、オカシラ……?そんなにキレなくても……」

「そうですぜ、どのみち負けやしねぇんです!」

「ッ!?—――どのみち……負けねぇだと……?」


そうではない。

そんな問題ではないだろう。

その言い方ではまるで、唯流ユイルが無ければ負けるかもしれないと。

自分のが足りていないようではないか。


(ふっざけんなッ!!!あるわけねえッ!俺は強いッ!あの男の唯流ユイルなんか無くとも、こんなガキに負けるはずぇッ!!)


普段のギーガーなら、身の程知らずの反逆者程度にここまで熱くなることは無い。生意気な人間を教育の目的で恫喝することはあっても、いざ戦いとなれば冷ややかに見下し、笑いながら殺してきた。

だがレガリオと対峙してからずっと、どうにも落ち着かない。

心の底を静かな火で炙られているような感覚が消えないのだ。


「クソがッ……!なんなんだてめぇはッ……なんだってここまで俺をムカつかせやがる……ッ!」


レガリオにどんな考えがあったにせよ、今だって唯流ユイルに阻まれて千載一遇のチャンスを逃した。

だというのに、彼の瞳は相変わらず闘志に燃えたままではないか。


『私は死んでも……お前には負けん。ギーガー・フルスイング』


あの日最期まで―――斬り殺されるその瞬間まで、心折れることなく立ち塞がった、忌々しい騎士とそっくりだ。


「あきらめろよッ!大人しく絶望しとけよッ!何を……対等のつもりでそんなぇ―――」


ここで初めて、ギーガーは攻勢に転じる。

やられっぱなしでたまるか、というただの反骨精神に突き動かされ、レガリオの立つ場所に向かって猛然と剣を打ち込む。


「―――してやがんだコラァッ!!」

「!?」


迫りくる段階で破壊力を体感できるほどの、常人離れした腕力から繰り出される真向切り。一瞬でもまともに防御しようなどと考えてしまえば、人体など武器もろとも野菜のように真っ二つにされるだろう。

まさに豪速と言うべきその剣撃を、レガリオはなんとか見切ることに成功する。


「ッ―――のぁっ!!」


その切っ先が床に叩きつけられるよりも速く体を移動させ、間髪入れずに真横からの斬り返しを狙う。

全力で剣を振っている最中のギーガーに対処できるようなタイミングでは無い。

側腹部への直撃は必死と思われた。


「ナラァッ!!」

「ッ!?」


だが、彼はレガリオが回避することを読んでいた。

振り下ろす剣の軌道を手首と肩をひねって限界まで変えることで、カウンターに踏み込むレガリオの足元を大きくえぐり、破壊する。


「—――うッ!」


いきなり足場を奪われたレガリオの太刀筋がフラりと彷徨い、攻撃としての価値を失う。

彼は即座に攻めを放棄して飛び込む様に前方に転がり、この圧倒的不利な状況からの脱出をまず優先した。


「死ねやァッ!!」


しかし、ギーガーはさらにレガリオの移動先を予測しており、振り上げた剣を両手で突き刺そうとしていた。

脆い床で満足に踏み込めず、体勢を崩して仰向けに倒れるレガリオに、そこからの回避は不可能だった。


「あ……」


―――決定的な死。

それはやたらとスッキリ冴えわたる彼の脳内に、穏やかな夢を映し出す。

極限状態が見せる懐かしい思い出が、埃をかぶったアルバムをめくる様に―――鮮やかに蘇っていく。

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