ざわめく心

 扉が目の前に立ちはだかっている。いや、ただ扉がそこにあるだけであとはノックをすればいいだけ。


 ハルトから返事が聞こえて扉を開けて入り、そして一言二言会話を交わす。そ、それだけ、それだけなのに。


「──何よ。しっかりしなさい。ルイス。ルイス・バルバロッサ。あんたは肝心なときに手が震えるようなそんな弱い人間じゃないでしょ」


 ヴァイオリンのネックを持つ手が震えていた。


 練習はした。間違えるはずはない。それに、あのハルトに会うだけだもの。なのに、なんで、どうして……鼓動がいつもよりも早い気がする。


「何をためらっているの。今よ、今──待って、わかった。あと10秒数えたら」


 頭の中で数を数えながら大きく深呼吸を繰り返す。1……2……3……時が経つのと比例するように鼓動もどんどん早くなっていく。


 7……。


「落ち着いて、大丈夫」


 8……。


「ヴァイオリンなら誰にも負けない」


 9──ユセフィナの女神が描かれた赤い扉が勢いよく開かれた。


 予想していないタイミングで現れた彼の顔。柔和でそれでいて力強い黒の瞳と目が合い、思わず視線が逸れてしまう。


 ハルトは、いつものようにため息をついた。


「なんだルイスか」


「な、なんだとは何よ!」


「いや、部屋の外でぶつぶつと独り言がするかと思ったから、何事かと」


「独り言?」


「ああ」


「っつ!! き、聞いてないわよね! 内容はっ!」


「ああ、話の内容まではわからなかったが……何か、あったのか?」


「いや、いい、いいの! 気にしないで!」


 ハルトは目を丸くすると、ふっと笑みをこぼした。


「よくわからないが、とりあえず中へどうぞ。何か用があるんだろ?」


 扉が大きく開かれる。ハルトの肩越しに中を覗くと、部屋の中央を陣取るグランドピアノの屋根の上にいくつかの楽譜とコーヒーカップが置かれている。


「あ、ありがとう。お邪魔するわ」


 揺れる瞳がこちらを見ている。だけどまた視線を合わせることができなかった。鼓動は高まるばかりだし、手の震えも止まらない。ハルトに気がつかれていないだろうか。


 中へ入るとハルトはピアノに向かいコーヒーを口にした。独特の強い香りと暖炉の匂いが漂ってくる。


 暖かい部屋の中でも毛皮のコートを着ているのはハルトくらいだ。日に日に春に近づいているものの、この国の冬にはまだ慣れていないらしくいつも寒そうにしていた。


「スルノア王宮にいたときは、屋根はいつも開けっ放しだったんだけどな。防音対策のされていないこの屋敷では、常に閉めたままだ。おかげで練習中もこうやってすぐにコーヒーを飲むことはできるけど」


 片手にカップを持ったまま、ハルトは適当に鍵盤を押した。ポーンと高いソの音が部屋中に響き渡る。


 そうだ。音楽魔法が主流のスルノア王国と違って、この国では音楽が溢れてはいない。音楽が盛んじゃないわけではないが、昼も夜も常に誰かの音が聴こえていた王宮や学院に比べれば寂しく感じてしまう。


 だから、ハルトへのプレゼントはこれにした。


 ヴァイオリンを首と肩の間に挟むと、弓を弦の上に滑らせ目を閉じて音を確認する。


「ハルト。聴いてほしいの。カップを持ったままでいいから、そこに腰掛けて」


 ハルトは眉を上げたが、理由を聞くことはせずに静かにピアノのイスへと座ってくれた。




◇◇◇◆◆◆


お読みいただきありがとうございます。


うるさいくらいに感じていた音も、急に聞こえなくなると淋しくなるあの感じがルイスとハルトの二人には共通点としてあるのかなと想像しました。


この国では扉は、やはり女神の国、宗主国なのでユセフィナ神の絵や彫刻、紋章が描かれていることが多いです。

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