第49話 その歌声

 何を言ってるんだ? 口を動かすだけで刃先が喉に入り込みそうで言葉を発することはできなかった。


「あのカールステッドのお姫様も人の命、人の命って……人の命ってそんなに偉いの? 稀人くんも散々仲間を殺してくれたけどさぁ。ねぇ、どうなのぉ?」


 今まで穏やかな微笑みを浮かべていたグラティスの表情が悪鬼のそれのように歪む。


「やっぱり答えられない? みんな、そうだった。自分達の都合で壊すくせに、責任は持たないんだ。だから、だからねぇ、楽しいんだよ、愉しいんだよぉ、人を殺すのはぁ、あはははははぁ!」


 その言葉を聞いて、その顔を見て、僕はようやくグラティスに抱いた恐怖の理由がわかった気がした。つまるところ、グラティスもあのエルサと一緒にいた子どもたちと同じ。そして。


「マリーと同じか」


「はぁ? なんだってぇ?」


 僕は息を細く長く吐き出すと、怯えた心を静めて視線を焔が揺らめくその瞳へぶつけた。


「お前がどういう人生を歩んできたのか知らないが、僕のこの命は、誰のものでもない。僕だけのものだ」


 片手でグラティスの剣を握り締めると、食い込む痛みに堪えながら、制服の内ポケットに潜ませた短刀を空いている手に持った。


 この戦いの前にカロリナに頼んでリベラメンテと一緒に武器庫から出してもらった護身用の物だ。カロリナ曰く「ヴェルヴがあるなら必要ないじゃない」と言われたが、少なくとも一矢報いるのには役立ったようだ。


 短刀を思い切りグラティスの胸に突き刺す。赤い鮮血が飛び散った。


 グラティスは驚いた顔をして自分の血を拭うと、狂ったように長い髪の毛を手でおさえて笑い出した。


「面白い! 面白いよぉ!! 傷つけられたのなんて初めてだ!! やっぱり予想外のことしてくれるねぇ、稀人くんは! 楽しいから全力で殺してあげる!!!!」


 グラティスは頭上高く剣を掲げた。


 その後ろでは懸命に戦う人々の姿に、奏でられる多様な音。目を閉じると生き生きと輝き出す珠玉のその音楽は、さながら大楽団のオーケストラを聴いているようだった。


 その旋律を破り、カロリナの甲高い声が聞こえたような気がした。ふっと目を開けると今にも剣を振るわんとするグラティスの頭に何かが落ちてきた。


「楽譜……?」


 続けて本や食器が上から降ってくる。頭を上げるとそこにいたのは──。


「マリー!!!!」


 開け放した窓から身を乗り出して、マリーが手近な物をグラティスに向かって投げつけていた。その後ろでは執事長がマリーを羽交い締めにしているが、それをはね除けて今度は花瓶を放り投げた。


 涙でぐしゃぐしゃになった顔で口を大きく開いてマリーは何かを必死に訴えていた。声が出ない喉をもどかしそうに両手で絞めながら。


「マリー様! 危険です! お止めください!!」


 首をふるふると横に振るとマリーは、僕と視線が合ったとたん悔しそうに窓枠を叩いた。


「あれがマリー・カールステッドかい?」


 グラティスは降ってくる花瓶をさっと避けると張り付けた笑顔をこちらに向けた。


「魔法が使えれば稀人くんを助けられたかもしれないのにねぇ! 目の前でまた大事な人が殺されるんだ!!」


 おそらく、グラティスはわざとマリーに聞こえるような声でしゃべっていた。この場をあくまでも楽しんでいる。


 マリーはさらに口を大きく開けて窓枠を叩いた。その拍子に割れた窓ガラスの破片が手に突き刺さっても構わず叩き続けた。


 声が出なくとも言葉が出なくとも、マリーが今何を望んでいるのかは、その行動がその瞳が物語っていた。


「だけどね、もう終わりだよ! 稀人くんは、もう! さよならだ……」


 グラティスは今一度血に呪われたその刃を振り上げると、勢いに乗って振り下ろす。だが、僕が見たのはその刃ではなく、空から落下してきた一冊のノートだった。


 何の変哲もないそのノートには、びっしりと文字が書き込まれていた。あれはそう、マリーと僕の言葉と感情と思いが書き連ねられた筆談用ノート。マリーがどんなときでもどんなところでも肌身離さず持ち歩いていたノートだ。


 僕は真上に視線を向けた。というよりも自然と視線がマリーを捉えていた。涙で濡れたその顔は、何かを叫んでいた。そう、確かに叫んでいた。口の動きと、聞こえる鈴の音のようなその音が確かに符合し、僕の名を奏でていたんだ。


「ハルト!!!!!」


 大量の水が僕を包み込む。振り下ろした剣は水に跳ね返される。驚き、手が止まったグラティスに向かって体当たりをすると、意表をついたのか簡単にその身体が地面へと倒れ込んでいく。


 メロディが聞こえてきたのはそのあとだった。感動した演奏は数多く聴いてきたが、その音は全然違った。心の奥底を鷲掴みにし、心が揺さぶられる。大粒の雨をその身に受けるような圧倒的な哀しみの旋律。


 それは、マリーの歌声が創り上げていた。

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