第10話 揺れる心と固い決意
まぶしい光に目がくらむ。扉を開けるといつもの中庭が広がっていた。いつもと違うのは、そこにいる生徒たちが魔法や武術の練習を繰り広げていることだけだ。
あるものは一人でまたあるものはペアを組んで。さすがに持ち運ぶのは難しいピアノはいなかったが、ヴァイオリン、フルート、トロンボーンなど持ち運び可能な楽器奏者が生き生きと練習を重ねていた。僕とマリーの気持ちとは対照的に。
「マリー少し落ち着いた?」
ベンチに座ってなるべく冷静を装って聞いた。いつものように。
深く腰掛けたマリーは少しの間押し黙っていたが、短く息を吐くとブロンドの前髪を整え、胸にずっと抱いていたノートを僕とマリーの間に置いて、確かめるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
〈大丈夫だよ。ごめん、ありがとう〉
マリーのペンを取ってその下に言葉を連ねる。
〈シグルド様のこと、マリーが苦手なのは少しわかるよ〉
そこまで書いて首を傾げたマリーが文字を読むのを確認し、続きを書いていく。
〈もしマリーの状況に思いを寄せているのなら、選抜試験なんてやらないと思う〉
マリーはコクン、と頷いて僕の手からペンを抜き取った。
〈バレちゃった。でも、しょうがない。シグルド兄様はこの国のことを考えているから、私のことなんて〉
そこまでマリーが書いたところで乱雑に小さな手からペンを奪い取る。
〈それは違うよ! 少なくともマリーが辛い目に合わないよう、たとえばマリーは試験に参加しなくていいとか、そういうふうに言って〉
マリーの手がペンを持つ僕の手を止めた。顔を上げると、マリーは少し怒ったような真剣な面持ちで顔を左右に振り、真っ直ぐに僕の瞳を見つめた。わかって、と言うように。
数秒経って僕がどうしたらいいのかわからないままその瞳を見つめ続けていると、マリーはふっと哀しげな笑顔になり僕からペンを奪う。
〈特別扱いは嫌なの。魔法は使えないかもしれない。試験ですぐに負けちゃうかもしれない。みんなに冷やかされ、さげすまれ、馬鹿にされるかもしれない。それはすごく怖いけど、それでも、私はカールステッドの名を持ち、この魔法学院の生徒。だから、特別扱いしないで〉
顔が熱くなっていた。マリーが本当に苦しんでたのは、しゃべれないことじゃない、魔法が使えないことでもない、周りから変な目で見られてしまうことでもない。
──本当に苦しいのは、そうした理由から自分が特別視されることだった。
マリーがノートを閉じて立ち上がろうとする。そのとき、後ろから声が掛けられた。
「また、こんなところでイチャついてるのね」
僕はイライラを胸に秘めながらすっと立ち上がって、後ろを向いた。やっぱり、ルイスだ。
「ごきげんよう」
ルイスは、その取り巻きの2人と一緒に小馬鹿にしたように形だけの挨拶をした。
「何か用かルイス」
「ええ。選抜試験と聞いてマリー様がご心配で」
「お前に心配されなくてもマリーは大丈夫さ」
「あら、そうかしら。あなたはマリー様の足を引っ張っているだけじゃなくて? まだ一つもしっかりした魔法を発動できていないのに」
にやりと意地悪く微笑むと、ルイスは挑発するように自慢の赤髪を手で払った。
「シグルド様にでも頼んだらどうかしら。僕達を試験対象から外してくださいって。それくらい簡単ですわよね。マリー様はカールステッド家の一員なのですから」
もう我慢ができなかった。熱いものが腹の底から上っていく。
「お前に何がわかるんだ! マリーがどんな気持ちで過ごし、どんな思いでいるか考えたこともないのに!!」
声が青空へと拡散していく。ずっと奏でられていた音楽が止まり、中庭にいる全員の視線がこちらに向けられているのを感じた。
「な、何よ! いきなり大声出さないで! みんなこっち見ちゃったでしょ!」
「お前が怒らせるようなこと言ったんだろ!」
「そんなに怒るってことは図星なんでしょ!? 選抜試験で不安になってたんじゃない!! そんなに不安ならさっさと──」
ルイスの言葉が途切れ、驚いたように目を丸くした。そりゃそうだ僕も驚いているんだから。
生徒たちが注目する中、マリーがゆっくりと立ち上がりルイスの顔をきっと睨み付けていた。
「マ、マリー様。あの、その、すみません、私」
急に落ち着きなく手足を動かし、おどおどとするルイス。きっとマリーがこんなふうに動くとは思わなかったんだろう。
なおも睨み続けるマリーに、ルイスは「ご、ごめんなさい、でしゃばり過ぎました」とか細い声で言うと取り巻きと一緒にそそくさと逃げていった。
「あっけない。なんだったんだいったい……それにしてもマリー、マリー!?」
マリーは体を縮こませると大きく肩を揺らしている。
「どうした! やっぱりルイスの言葉が、ん?」
思わずマリーの肩に手を置いて顔をのぞきこんでしまったが、その顔は笑っていた。苦しそうに時折息を吸って眉毛も目元も口も歪めたその表情は、もし声が出ていたら爆笑といったところだろう。
笑いが収まらないマリーは僕の体をバシバシと叩いた。その間、僕は驚くとともにどうしたらいいかわからずされるがままになっていた。ひとしきり笑い終えると、マリーは笑いすぎて出た涙を人差し指で拭って、ありがとうと言った。
もちろん、本当に言葉が発せられたわけではない。ただ、柔らかく動く口が僕には「ありがとう」と聞こえたんだ。
続けてマリーはノートを開いて何かを書き込み始めた。その髪を爽やかな風が揺らす。いつの間にか遠目に様子を窺っていた他の学生たちは練習を再開し、風に魔法の彩りを与えていた。
マリーがペンとともにノートを僕に手渡した。
〈ルイスのあの驚いた顔面白かったよね。本当は泣きそうになってたんだけど、ハルトがあんなに怒ってくれたから私もちょっと腹立たしくなって。みんなに注目されてるし、怒るの苦手だし、ルイスは怖かったから、でも、よかった〉
「えっと……ルイスの顔が面白くてあんなに笑ったの?」
微笑みながら首をふるふると横に振ると、マリーは僕の隣へ来てまたノートにペンを走らせる。
〈たぶん、緊張が解けたから。ルイスが逃げていくのを見てたら、なんか体の内側からくすぐられているみたいな変な感じになって、それで堪えきれなくなったの〉
流れるように文字が綴られる。心なしかマリーの表情も生き生きとしていた。
〈私、決めた。いや、決めてたけど、仕方ないなって半分思ってた。でも、そうじゃなくて私、今心の底から選抜試験受けたいって思った。ハルト、私と一緒に試験受けて、くれますか?〉
そう書き終えると、マリーはまっすぐ僕と向き合った。海のようなブルーの瞳が輝く。
僕は「もちろん」と笑顔でうなずいた。うなずいたものの、 一方でどうしたらいいかと不安もあった。よくある言葉だが「参加することに意義がある」ではダメなんだ。
実力主義のこの学校でカールステッドの名を
それだけならまだしも下手すれば王宮からも追い出されるかもしれない。あのシグルド王子のことだ。必要と思えば、たとえカロリナの助言があったとしても容赦なく切り捨てるに違いない。
ああ、遅くても着実に魔法を覚えていく予定だったのに!
「おい!」
「なんだよ、今考えごとしてんだよ、エド。ん? エド?」
「試験受けるんだろ? いい方法があるぜ!」
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