告知
心太
※
僕はその日、部屋で何もせずに寝そべっていた。
何もすることがなかった僕は、なんとなく太陽系の本を読んでいた。一生見ることのない月の裏側とか、冥王星の地表を思い浮かべてあくびをしたとき、インターホンが鳴った。
モニターを見ると、見知らぬ男が立っていた。
無視をしようと思ったとき、もう一度インターホンが鳴った。どうしようかと思うとまた鳴った。
しぶしぶ玄関に向かって、ドアチェーンギリギリにドアを開けて相手を見ると、男は持っていたレジ袋を前に突き出していった。
「お久しぶりです」
見覚えがないし、聞いたこともない、外国の人みたいに真っ白い肌と金髪の男だった。
「お中元です」
とりあえず暑いので、上がってもよろしいでしょうか、と丁寧な日本語で話すので、僕は僕の忘れた、昔の知人だと思って中に入れた。
にしても暑いですね、日本の夏はまた格別ですよと軽快にソファに腰かけた男は、慣れた手つきでエアコンの温度を下げた。
図々しい奴だな。
追い返すか。
と思ってはみたけれど、本当に知り合いじゃないとも言い切れない。親戚中に悪い噂でも流されたらたまらんと恭しく麦茶を出した。
「宇宙大辞典ですか」
いいご趣味で、と麦茶片手にページをペラペラめくる。外から差し込む光が彼の顔の産毛さえ見えるようにしていた。
「最近、変わったこととかありましたかね」
気まぐれに煙草に火を付けると、彼もぐいと顔を近付け、火をくださいと煙草をくわえたまま言った。
「今日道を歩いてたんですけどね」
忙しそうに強く煙を吐き出して、少しむせた後、男は言った。
「カブトムシが喧嘩してました。ノコギリクワガタと」
暫くしんとしたけれど、僕は愛想笑いをして、そうですかそうですか、そうだったんですね、と返した。
そうですか、と返事をしてしまってよかったものなのか、冷静に聞き返すべきだったのか、そもそもこいつは親戚でいいのか、親戚と偽って家に上がり込む新手のキャッチセールスなのか、しばらくしんとしていた。
その間、台風のニュースだの、小学生が車にひかれて死んだだの、淡々とテレビの中でニュースキャスターが読み上げている声が聞こえた。おまけに、目の前の男も、僕には一切興味もなく、宇宙大図鑑を顔の高さまで上げてペラペラとページをめくっている。
時折出る煙草の煙が、蒸気機関車みたいで面白かった。
ちょうどお昼時で、何か作ろうと思って立ち上がろうとすると、それを引き留めるようにいきなり男は宇宙大図鑑を机の上に投げ置き、あ、そーだと叫んだ。
「深山の沼田さん、背中から羽が生えてきたらしいですよ」
あまりにも突拍子もなく言われたものだから、思わず愛想笑いをするところだったけれど、僕はまた上げそうになった腰を静かにその場に下ろした。
「それは一体どういうことで?」
もうすぐあの世に行くという暗喩なのか、そもそも深山の沼田さんで誰だっけ、と思っていると、男はしばらく固まって、もう一度言った。
「だから、背中から羽が生えてきたんですよ」
男は腕組をして、
「もってあと二、三日かな」
と呟いた。
蝉じゃあるまいし、と僕はつぶやくと、僕は真面目にあなたに言ってるんです、と男は返す。
参ったなと勝手口の暖簾を押し開ける。
知らない親戚の男が知らない親戚の男の病気が深刻であることを、淡々と語る、こんなことを言ったら悪いかもしれないけれど、本当に退屈で、陰にこもっていて、うつらうつらしかけそうになった。
お昼ご飯食べましたか?
と聞いたはいいけれど、何もない。チキンラーメンくらいしかない。
この暑い夏の盛り、ミンミンゼミが蜃気楼の中で泣き叫ぶ中で、熱々のチキンラーメンをすする、結構乙ではないか、と僕は一人納得しかけたけれど、あまり常識的ではない気がした。
人が人なら、とっとと帰れと催促していると取られても仕方がない。
ただ、ないものはないのだ。二つ分のチキンラーメンを鍋に入れ、かき回す。
「いやあ、だいぶ涼しくなってきましたね、日本のエアコンはやっぱり素晴らしい」
その冷めた部屋のど真ん中にある、大宇宙図鑑が転がっているテーブルの上に、富士山の噴火口みたいなラーメンのどんぶりを置き、彼の前に熱々のチキンラーメンと最後の卵一個を差し出す。
「おお、これがうわさに聞くインスタントラーメンですか」
声もなく僕は笑うしかなかった。
「卵は私だけ?」
すみません、一個しかなかったものですから、と、恐る恐るいうと、男は不機嫌そうに卵を僕に突き返して、
「僕は突然押しかけてきたのですから、卵を食べる権利はありません、代わりにどうぞ」
といった。
暫く大丈夫です、いやいや、いやいや、と卓球の玉みたいに卵小さいテーブルの上を行ったり来たりしていたけれど、しぶしぶ僕が卵をどんぶりの上から落とすと。安堵したように男は箸を手に取り、合掌した。
いやおいしい、と夢中でチキンラーメンにがっつく男を見ていて、つくづく、外国人の親戚なんていたっけな、と小首をかしげながらラーメンをすする。
それから全くかみ合わない世間話を少しした。
僕が自転車の練習でずっこけて腕の骨を折った時も、確か朝だった気がするけど、あれは夕方だったよね、とか、おばあさんの誕生日の時にサプライズでケーキを作ったような気がしたれど、みんなでお金を出し合ってでかいケーキを買ったよね、とか。
そんなぎくしゃくした昔話にうんざりしたのか、少しげっそりした体で、男は立ち上がりもう帰ると言った。
エレベーターから降りて、どこの国の言葉か分からない別れの挨拶を一方的にぶつけてハグすると、僕に背中を向けてゆっくりと歩きだした。
その広い肩幅の背中を、じっくり見つめて、誰だったっけな、と腑に落ちないで見ていると、彼は急に立ち止まって、僕の方に振り返り、
「どうかお元気で!」
と手を振った。
僕は、キツネにつままれるとはこういうことなのかと、ぽかんとしながら、また歩き出した広い背中を、消えるまで見送った。
告知 心太 @today121
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