摂氏50度の希望
市原碧人
第1話 私が大人になる為には
「さくちゃんは、卒業した後はどこに配属になったの?」
私は22歳で、今日は1回目の教育の卒業式。親友だったヒトとお話をしている。
「私は今すぐにでも研究に入りたいけど、やっぱりだめだって。最初は誰でも強磁場環境での軽作業だ!今の子供はヒトとしての本能を失ってる~なんて理由で卒業したら全員労働させられるの、私からしたら一緒にしないでって感じだよね」
「さくちゃんは真面目からだねぇ。ヒトの価値はもっと高くあるべき、テクノロジーで人類の価値を底上げすれば自殺率は減るはずだって、いつも言ってた。」
「真面目なんかじゃないよ。チリだって、卒論発表前に言ってたじゃない。手術以外で、ヒトが長生き出来る方法を探せる筈だって」
「──実は私ね、永遠の子供になろうって思うんだ」
わたしは彼女の突然の告白に目いっぱい言いたいことがあったのに、泥水の中にいるみたいに何も言えなかった。何とか絞り出した「どうして」は、薄霧のように消えた。
そんな私を見て、チリは笑って言った。「ごめんね、さくちゃん」
わたしは目覚ましの音楽で目を覚ました。目を開くと音楽が止まる。ベッドから起き上がり、鏡の前に立つ。
「……まただ、ひどい顔」
大人へのリミットが近づくにつれて、あのときのことを夢に見る事が増えた。
昔から、人類には持続的な成長が大切だと言われている。人が自分で子供を育てなくなった中で生まれてきた私だって、きっと必要とされてこの世に生まれて来たはずなのに。
「それなのに、どうして毎日こんな事やってるんだろ」機械たちが活動できない屋外で働く私たちの職場は、今日も摂氏50度を超えていた。
私は高く組み上げられた足場の手すりに触れないよう左手を上げ、西を眺めた。水平線と呼ぶにはあまりにも狭く、人工物により凸凹している地球の裏側に沈む夕日に手を伸ばし、軽く掴んだ。そして、ふたたび開いた指の隙間からそれを覗き込んだ。
高温の大気により歪んだ太陽は膨張と収縮を繰り返しゆらぎ、ただ赤いインクのように海と自分の指に溶け込もうとしている。太陽はかつて生命の象徴だったが、今の私達、とりわけ機械たちにとっては、活動を停止させる死の象徴となっていた。
──この現場に変わってから、もう何度目だろうか。
日に日に作業場所が地上から離れ、代わりに太陽が近づき湿気を伴った熱風が吹き付ける。夏季のビルの建築現場はとりわけ死に近く、私にとっては一番苦手な作業現場だった。仕事が作業員の監督になってからは、ぼんやりとする意識や水分補給への気配りで、まるで自分と戦うのが仕事のようだ。
「おーい
しかしながら、優れた、細やかな動きをするロボットはとても貴重で、またいくつかの場面では性能を著しく下げる為使用を避けられる。私たちはロボットにとっての過酷な環境下で、彼らの出来ない事をする下請けとして働いているというわけだ。そしてここで働いているもののほとんどが──
「──おい、咲耶!」ヘルメットに衝撃が走る。「いたい! 危ないし! ……菊池さん! 私今日の段取り、おかしなところありませんでしたよね!?」私はわざと上目遣いで頬を上げて見せながら、わざとらしく口を尖らせ、自分を呼ぶ声の主を見つめた。
菊池さんの色黒の肌はボロボロで伸びかけのヒゲに白髪が混じり、目だけがやけにギラギラしていた。ニヤついた時に出る歯が特徴的な、痩せたおじさんだ。
頭には給水キャップの上から、制式のヘルメットを被っている。
「おめーが話を聞いてないからだろうが!宮島がここの現場明日で終わりなんだから、今のペースだと間に合っていかないんじゃないか?」大声で菊池は続けた。
「いいんですよ、作業工数なんてちょっと足りないぐらいで。大体ズルして仕事したら、宮島さんの後に代わりの人、増やしてくれないじゃないですか」
「ズルじゃねぇだろ。咲耶なぁ、人間様にしか出来ないことって何か知ってるか?」
「はいはい、知ってますよ。高磁場、高温湿度、高腐食性作業。何よりいちばん大事なのはシステムへ入力しないという自由、でしょ」私は標語のようになめらかに唱えた。
「菊池さんには何度もお伝えしていますけど、それで評価さがるの私なんですからね。管理者として」
私は目線を菊池から、後ろの昇降用のエレベーターの方へ向けた。菊池もその意図は察したらしい。
「嫌なもんですねぇ、機械様に使われる管理者ってのは」
子供のくせに機械様の立てた予定に振り回されて、勝手に消耗してるのはどっちだよ、と内心毒づきながらも、ハラスメント通知機能を使いはしない。
「ほらほら、後片付けは私がやりますから。菊池さんは早く帰って。さ、明日もお願いしますね。」と、慣れた笑顔で背中を軽くポンポン叩いた。菊池は頭をかいて、「わかったよ。わかったから叩くなって。お疲れさま。もうすぐ再生の時期だからって、あんまり無理すんじゃねぇぞ。」と言い残し、クレーンで地上へと降りていった。「退勤です」と言う無機質な声が響きその姿が見えなくなった瞬間、私は頬の下の表情筋と、ついでに眉の緊張を緩めた。
──私たち子供は、一回目の教育(これは昔の大人が受けたレベルらしい)を終え、一度働く事となる。そして概ね30歳になる頃に希望者には「
もちろんヒトの権利として再生を受けずにそのまま生きることもできる。彼らは「永遠の子供」と呼ばれている。永遠の子供はテクノロジーから解放されたヒト本来の姿、として自らを定義している。
しかしながら、今のヒトはごく一部の極地を除いて、テクノロジー無しに生き延びることは出来ない。だからこれを
だいたい、再生を受けなかった彼ら彼女たちの少なくない数は生きる意味を見出す事ができず、どこかで自殺する事となる。生き残った永遠の子供の半数はただ機械に生かされるがまま一生を終えるともされている。
だから私は再生を受けて子孫を残したい。それがヒトと言う動物の持つ本能だと思うし、当然のことだと思う。死ぬのも怖いとしか思えない。
子供が希望を持てない社会は、再生の技術が確立した後1世代を経過しようとする今となっても解決できない問題とされている。
一方で、「彼らは再生を受けない時点で終わりを迎える権利を行使している。これはヒトという種が真に自由である証拠だ」と前向きに定義付けるヒトもいる。
今の生活が単調で苦痛なのは、私がただ子供で、修行中の身だからだと思う。20代の頃はそう考えていたのに──。「大人になるためには、いくつかの条件が必要でね」そう告げられたのは、私が30歳の誕生日での、政府との面談だった。
「あなたはそのうちの一つを満たしていない」ヒトのくせに、やけに無機質な声は続ける。
「それは、ともに一生を生きるパートナーを見つけることです。」
「──ご安心ください。猶予は今から3年もありますから。これは大人になる為に皆乗り越えてきた試練なのです」
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