第2話 カロリーは腹にいまし



 日の光が鬱陶しいです。

 沿道には聖都に住む民たちがひしめき合い、私の乗る山車パレードフロートに向けて声援を送っています。私が手を振り返すと物凄い盛り上がり。


 今日は一か月近く続くお祭りのいわばメインイベントになりますから、この賑わいは当然なのでしょう。車列は前後に数十台もあり、役者や音楽隊のみなさんが魔竜討伐を模した見世物を披露しています。


 沿道にいくつも建てられた屋台からは肉やタレに火が入る香りが漂ってきています。数キログラムの料理を貯め込んだお腹を抱えておらず、こんな仰々しいパレードフロートに乗っていなければどれだけ楽しめたでしょうか。


 何故今日に限って食べ過ぎたのでしょうか。自分自身の貪欲さを呪います。おい、そこ、御者、揺らすな。出すぞ。


「ベリル、これはいつまで続くのですか?」

 傍らで目立たないように控えている軽装の騎士に話しかけます。


「主要道路に沿って聖都を一周しますので夕暮れまでです」

「休憩は?」

「半分過ぎた広場で予定されてます。まだまだこれからです」


「テレネー様あ!」

「はいはい聖都のみなさまは楽しそうでようござんすねえ」

「こら」

 ため息を声援で邪魔されたので、騒音で聞こえないと高を括って小声で毒づき笑顔で手を振ったらベリルにたしなめられました。

 せめて座りたい。




 ――♰――




 休憩までもう少しというところでしょうか。胃と腸の状態はあまり変わらず、日差しが純白のドレスに反射して私の内外を加熱しています。気分は悪くなる一方。鳥の腹にお米などの材料を詰めて煮込んだ料理がありましたよね。サムゲタンでしたか。あんな気分です。聖女サムゲタン、まったく面白くない。



 突然、パレードが止まりました。反射的に文句と未消化物が出そうになるところを何とか耐え、周りを見ると少し様子がおかしい。役者や音楽隊は皆プロフェッショナルです、演目を止めることはありませんが、笑顔に戸惑いと緊張が混ざっている。この停車は予定されたものではないということですね。


「何が起きてる?」

 日程を把握しているベリルが訝しんでいるので裏付けは取れました。

「車列の先頭……休憩地の広場あたりですね。修道服を着たお子さんが集まっています」

「テレネー、よく見えますね」

「私の視力は5.0です」

「修道服……ああ、孤児院の子供たちがパレードの途中からと、ミサに参加する予定です」

「なるほど、ちょっと行ってきます」

 ちょっと待、まで言ったベリルを尻目に、スカートを摘まんで裾を持ち上げ前の馬車に飛び移りました。そしてさらに前の馬車に飛び移り、ぴょんぴょんと休憩地までの距離を詰めます。川面に顔を出した石に飛び移りながら対岸へ渡っていたのを思い出すなあ。


 あっという間に先頭に到着し、馬車から石畳へさっそうと着地しました。ウ、今、出そうになった。少し動くくらいのつもりだったのに運動し過ぎました。口の中が酸っぱい。唾でさえ飲み込みたくない。

「聖女様……」

「テレネー様だ……」


 落ち着いてから動くと、皆さん目を丸くしているのが見えました。そして、予定外のトラブルが発生したのがここだと確信します。


「誰か、この子を!」

 私が歩を進めると人垣が割れて、その中心には修道服を着て涙を浮かべるおばさまが座り込み、少女を抱いていました。ああ、なるほど。


 経緯は分かりませんが、少女の右腕が馬車の車輪に巻き込まれたのでしょう。肘のあたりから皮一枚でつながっています。ふたりの白かった修道服は真っ赤に染まり、少女の顔は青ざめていました。


 グロテスクです。気分が悪くならないではありません。ですが、これまでの旅ではもっと酷いものを見ました。人は生きてさえいれば慣れるようです。ベリルやジャックが負っていた怪我はこの娘の比ではありませんでしたし。

 満腹で見たいものではありません。空腹でも見たくはありませんが。少女に近付き、血の海に腰を下ろします。


「聖女様、いけません。お召し物が汚れます」

「黙りなさい」


 咎める役人を制します。これでやっと座れる。

 彼女の取れかかった右腕を拾い、回復魔法を行使し始めます。私はどうも人よりたくさんの魔力を扱うことができるようでした。元々持っていた回復魔法の適正も合わさり、髪の毛一本でも残っていれば生き物を復元することができる。


 決して万能ではなく、限界に歯噛みをしたこともありましたが、まあ、満腹の今なら余裕でしょう。満腹。私の腹はそれどころじゃないと思います。満腹のその先って何と表現するのでしょう?


 超腹、ストマックブレイク、胃腸引き延ばし健康法。

 そんな無益なことを考えているうちに、彼女の怪我は何事もなかったかのように治っていました。


「もう痛くない?」

「うん。へいき」


 微笑みかけると、すっかり顔色が良くなった少女は恥ずかしそうに微笑み返してくれます。可愛らしい。持ち帰ろうかしら。

「奇跡だ……」


 わっ、と集まった人々が歓声を上げました。当たり障りのない聖女スマイルを振りまき、おしとやかに手を振っていた、その時に気が付きます。

 少しだけ、胃腸引き延ばし健康法の苦しみがやわらいでいる。何故、と考えを巡らすうち、落雷に当たったかのような天啓が――。


 旅の道中、とても美味しい豚さんがおりましたので、食べ終わった後に残った豚鼻から豚さんを回復させて、もう一度食べることにしました。


 皆は満足そうでしたが、私は満腹になることはなかったのです。忙しさのせいで疑問は消えてしまいましたが、理由はもしかして、私の回復魔法は、魔力だけでなくカロリーを消費している?


 私のカロリーを消費して豚さんを回復させたので、食べてもプラスにはならなかったのではないでしょうか。聖女になる前も、旅の途中も、満腹になるということがあまりなかったために、今まで気付かなかったのでは。


 この仮説が正しいとするのならば。あらためて辺りを見渡すと怪我や病気の者が少なくありません。

「テレネー!」

 おっとり刀で駆け付けたベリルの姿を見、

「ベリル、休憩は返上です。怪我を負っている者や患っている者をここに集めなさい」

「は!? いや、でもですね」

「文句がおありで?」

「えぇ。もう、後で怒られても知りませんよお」

 ベリルが弱音を吐きながらも動き始めてくれました。私はこの男の何だかんだ言ってやってくれるところ、ではなく顔の良さを気に入って仲間にしたのです。やるなら初めから「はい」と言えばいいのです。


 私は集まってきた皆さんに片っ端から魔法を行使し始めました。湾曲した関節をもとに戻し、不治の病を取り除き、失った視力を取り戻し、その度に、私を追い詰めていた満腹感がやわらいでいくのが分かりました。


「テレネー、時間が押しています。本当に休憩が取れなくなってしまいますよ」

「大丈夫、大丈夫」

「服もそのままで行くつもりですか」

「大丈夫、大丈夫」


 そうして夕暮れ時、広場には私を中心に善良なダイエット器具の皆様が跪いていて、さながらスポーツジムのようでした。満腹感はつゆと消え、パレードを多少のアドリブがあったものの無事に終えることができたのです。


 ありがたや。


 これも主のお導きでしょう。


 これでこの後のミサも心おきなく――。


 ゴロゴロゴロゴロゴロ。


「ふッ!!」

 反射的にお腹を押さえました。サッと体温が下がる感覚に襲われ、脂汗が滲み、腸をねじってロープを作ろうとしているかのような痛みに耐えます。痛すぎる、回復魔法は、効果が無い。ということは。


「テレネー? どうしました?」

「いえ、何でも」

 ベリルに向かい会い、全力で表情筋を固めて素知らぬふりをします。


 考えれば、当然なのです。


 喰ったら、出る。


 普通は、口からではなく――。




 ミサには二時間はかかる。その間は大聖堂で座りっぱなし。

 きっと耐えられない……。


 お祈りの最中にクソを漏らすわけにはいかない!

 聖女ではなく便女になってしまう……!

 どうする。どうする。どうする……ッ!


「テレネー? テレネー? 聞こえていますか? 無表情が怖いのですが」


 人生最大のピンチを迎え、脳が全力で動き出しました。

『痛くない?』

『うん、へいき』

 思い浮かんだのは、あの時助けた少女の笑顔。


「そうだ――ッ! ベリルッ!」

「は、はい!」


「ジャックとセッテへ伝言を!」

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