第28話 怒りの相 前篇

 晃が命令を下すと、大蜘蛛達が今までにない挙動を見せるようになった。


 低くどっしりと構え、二手に別れるようにしてジグザグと不規則に素早く動く。その速度は巨体とは到底思えないほどに素早い。しかし、よくよく見れば脚を素早く動かしているのではなく、短く跳躍することで移動しているようである。


 蜘蛛には造網性の種と徘徊性の種がいるが、目の前の大蜘蛛たちは徘徊性の性質を持っているのだろう。徘徊性とは網を張ることなく、獲物を追い掛けて捕食する習性を持った蜘蛛のこと。この大蜘蛛達も徘徊することで獲物を捕まえる狩人なのだと伺えた。


「来るっ……! 神楽木さんっ、気をつけて!」


 石灯籠の灯りがあるとは言え、それを頼りにするのは心許ない。そして大蜘蛛の移動には足音がしなかった。それは静かに、獲物に覚られることなく距離を詰めるための業と言える。


 蜘蛛の狩りとは一瞬の勝負。飛び掛かり、獲物が逃げないように抑える。鋏角を獲物に突き刺して神経毒を流し込んで身動きが取れないようにし──それから消化液を注入して、中身をジュースにしてから喰らうのだ。


「…………」

「……神楽木さんっ?」


 大蜘蛛たちの動きに警戒した辰巳が結衣に注意を促した。しかし、当の結衣は未だ何事かを考えでもしているのか心ここにあらずといった様子。何の対策をするでもなくただ棒立ちの状態だった。


 このままではすぐに捕えられてしまうことは想像に容易い。黙り込んだまま様子のおかしい結衣に辰巳は緊張に顔を引きつらせた。


 ──そして、辰巳が目を離したその一瞬の隙に、黒い方の一体が跳躍して神速の如く視界から消える。恐らくは石灯籠によって僅かに照らされるばかりの暗闇の中へと姿を潜めたのだろう。


「っ!」


 次いで腹に白い模様を持つ蜘蛛が辰巳の前に躍り出る。──が、それも囮かフェイク。辰巳の気を引くように威嚇するも、その攻撃には本気ではない遊びが見られていた。


 その蜘蛛の行為に気を取られた一瞬の後、辰巳がハッと気配を読む──気づけば綱彦と呼ばれた黒い大蜘蛛が二人の背後に回り込んでいた。そのまま間を開けない内に背後から襲い掛かろうというのだろう。しかし、辰巳の背後にいる結衣は気が散逸したまま……そのことにも気がついてはいないようだった。


「後ろだっ!」

「……えっ?」


 辰巳からの警告で我を取り戻し、慌てて背後を振り向いた。結衣が背後の大蜘蛛に気がついた時には時既に遅く。黒い大蜘蛛は結衣へと狙いを定め跳躍の姿勢を取っていた。


「っ……」


 黒い大蜘蛛が跳躍して迫り、その触腕で自身を捕まえようとしていた──その速さに目を見開くも、身体が反応することはない。元来、運動神経のよくない結衣では咄嗟の時に身体を反射的に動かすことなど出来ようもなかった。


 ただ頭の巡りだけは良く、刹那の思考に回避方法や防御策を考える。式を呼び出す──奥の手をきる──結界を張る──しかし、その全てが間に合いそうもない。結衣は迫ってくる大蜘蛛の圧にただ目を反射的に閉じ、衝撃に耐えることを選択するしかない……筈だった。


 ──羯磨よ


 目を閉じている間に、結衣の耳に確かに聞こえた言葉。その羯磨という言葉は広く仏教で用いられる言葉であろう。しかし、結衣はその言葉の意味を考察する余裕など、この時は欠片も持ち合わせてはいなかった。


 目を固く閉じたまま、はたして一秒立ち、二秒が過ぎ──結衣が大きな衝撃を感じることはない。


「あぶねぇ……! 神楽木さん、逃げて!」


 声が聞こえ、恐る恐る目を開く。すると、そこには綱彦の巨体を受け止めている辰巳の姿があった。


「石動くんっ……!! ──痛っ」

「っ! どうした、神楽木さん!?」


 その時、不意にチクリ、と──何かが肌を突き刺すような感覚がして結衣が首筋のうなじ辺りを手で触れて確認した。するとそこには手の平に収まるほどの大きさのの感触がし──慌てて手で振り払った。


「っ!」


 振り払った先の地面、そこで結衣が見たのは始めに辰巳へと魅了の術を掛けていた縁繋と呼ばれた蜘蛛が払われて転がるところだった。


 結衣がヤバイ、噛まれたと認識して間もなく……結衣の脚からは力が抜け、フラリとその場に倒れ込みそうになる。


「神楽木さん!!」


 倒れそうになる間際──フワリとした柔らかな衝撃と風、押し出されるような慣性を結衣は感じた。立ち眩みのように意識が一瞬抜け……気づいたときには、眼前には辰巳の顔が普段よりも近くにあった。そして認識が追いつく。自身がことに。


「あ……え……?」


 結衣は辰巳によって倒れそうなところを間一髪で支えられたが……支えられた側の結衣は自身の現状に理解が追い付かずに思考停止の状態に陥っていた。


「──ぁ……抱っこ? ……抱っこ……抱っこした……私だってまだなのに……なんで……あの女……あの女ァ……許さねぇえぇぇぇ……!!」


 そしてもう一方の晃はと言えば……最初は小さな悲鳴、そして徐々に地の底から響くような怨嗟の如き声に変わってゆくのだった。


「神楽木さんに何をした……! 何を考えて──」

「なんでその女なんだよぉぉぉおぉ!!!」


 式神をけしかけ、結衣を害した──その暴挙には流石に辰巳も怒りの声をあげる。しかし、晃は辰巳の声に反応することはなく、むしろ塗り潰すように発狂して頭を振りかぶって絶叫した。その叫びには、まるで魂が引き裂かれるような悲痛さが込められている。


 苦悩、絶望、怒り、悲しみ、嫉妬心。精神を圧迫する感情の大きさに耐えきれず、パニックを起こす。その悲嘆の感情に辰巳は臆したように言葉を途切れさせた。


「さっさとあの女を引き離せぇえぇぇえ!!」


 咆哮の後、二匹の大蜘蛛が指示に応えるように、辰巳達との距離を詰めようとジリジリと迫っていた。


「──神楽木さんっ! 大丈夫かっ? このままじゃっ……」

「……ぁっ、ぁ、ぁぅ……」


 大蜘蛛から目を逸らさないようにしながら、腕の中の結衣へと声をかけた。しかし結衣の様子は変わらず、おかしげなまま。


 結衣は身体を脱力させ、言葉を……いや、息でも詰まっているようにハクハクと喘ぐばかりで何も答えない。辰巳が改めて結衣の様子を伺うと、目の焦点も合わず虚ろで、彼方此方へと視線が揺れていた。


「神楽木さん……? 神楽木さん! なにがっ……!」

「あっ、あぅ……いするぎ、くん……」


 辰巳が結衣の身を近づけ、揺するように問う。しかし、結衣は呼びかけには反応するが、その身体は力が抜けたようにダラリとし、小さく震えていた。


 顔が紅潮し、発汗も見られる。発熱もあるようだ。流涙に頻脈も認められた。過呼吸になりかけているように呼吸が浅く荒い。その症状を見た辰巳の脳裏に蜘蛛の毒の影響、という考えが過ぎる。


「もしかして……蜘蛛の毒……!?」

「はぁ……はぁ……ど、く……」


 結衣が辛そうに小さく肯定した。蜘蛛という生き物にはその強弱こそあるが毒を持っている。その多くは人間には無害とされるが、種によっては人間にも作用する強力な神経毒や壊死毒を持つものもある。そして、目の前の相手は生物ではない蜘蛛の精やら妖といった存在であり、『蜘蛛』という概念上の存在。人間に作用する毒を有している可能性もあった。


 蜘蛛毒の症状は様々だが結衣の状態にも似通ったものがあった。──これがもしも強力な死に至るようなものであったなら、と焦る。速やかに対処する必要があった。


『……縁繋か。余計なことを』


 綱彦がポツリと白蛛にだけ聞こえるように呟いた。


「傷口はどこにっ」

「ぁ……ぁぅ……ぅぅっ」

「答えてくれ、神楽木さんっ!」


 結衣が喘ぐように返答しようとした。しかし、辰巳が焦った様子で顔を息が掛かるほどに結衣へと近づかせると、途端に黙り込んでしまう。


 その様子に焦れて、血が出ているという傷口を探す為に彼女の身体を弄るようにして確認した。肩、腕、腹部、尻、脚、手……思いつく場所は全て。しかし、抱きとめたままの体勢のせいか、何処に傷口があるのかを見つけられなかった。


「あっ、あひっ……だっ……めっ……あぁっ…………」


 ただでさえ毒の影響で意識も朦朧としている中──抱いている辰巳の熱が結衣に伝わる。弄る手の触れた場所が熱を帯び、喜びすら感じる。こんな時だと言うのに、慕う男の腕に包まれ結衣の心臓はドクドクと荒々しく鼓動していた。


 ただでさえ余裕のない精神がグツグツと昂ぶり、初めての感覚に視界がグルグル揺れていた。結衣の口からは歓喜にも苦悶にも似た興奮混じりの吐息が漏れる。しかし、必死に傷口を探している辰巳はその様子に気づかない。そして──


 ふと、ピタリと辰巳と目があってしまった。先程は断絶されていた心は、しかし今回は視ることが出来た。そこにあったのは結衣を想い慮る感情。心の底からの心配。その感情に無防備に包み込まれ、胸がいっぱいになり──


「ひうぅっ♡…………………………」

「か、神楽木さん……? 神楽木さんっ!!」


 辰巳が諦めずに結衣の身体にどこかにある筈の傷口を探し出そうとし、濡烏の髪をかきあげてその細い首筋に触れ、蜘蛛の咬傷を見つけた瞬間──結衣がビクンッと一瞬身体を跳ねさせ、意識を完全に飛ばした。


 粗い息をついている結衣の顔は紅潮し苦しげだったが、一方で上気し色っぽい表情にすら見える。そのクッタリと辰巳に身を預けたままの姿に辰巳は──


 邪な考えを振り払うように首を振る。まさか、こんな時に何を考えているんだ自分は、と辰巳は自身の節操の無さを恥じた。


「ハッ、そんな女っ、毒で心臓でも止まってしまえっ……! どいつもこいつもっ! ムカつくんだよぉぉおぉっ!!」


 その二人の距離が近づくのを見ていた晃は怒りに叫びを上げた。


『……綱彦よ、毒を使う気などあったか』

『いいや、ないのぅ』

『……アヤツ、何を考えておる』

『さてな、縁繋は雌蜘蛛の子。本性は儂らよりも雌蜘蛛に近い』

『厄介なことにならねば良いが……』


 大蜘蛛たちが顔を突き合わせてジッとしていたが、まさかこうして会話をしているとは辰巳も晃も思いもしなかった。いや、辰巳と晃は大蜘蛛達の行動など気にも止めていなかった。晃は感情をコントロール出来ずに狂乱し、残る辰巳は──


「晃……やっていいことと悪いことがあんぞ」


 如何に子どもの頃を共に過ごした幼馴染が相手とはいえ……恩人を傷つけられて静かに激怒。事態は混迷を深めていた。


 □


『むぅ……何やら急に雰囲気が変わったのぅ』

『何故かのぉ……繊毛がザワザワしてくるわい……』


 大蜘蛛たちが居心地悪そうに足踏みする。本能だろうか、大蜘蛛たちは辰巳の雰囲気に嫌なものを感じ始めていた。


「神楽木さん……こんなことになって本当にごめん……楽になる方法をすぐに聞き出してくるから」


 辰巳が意識を失い、荒い息を繰り返している結衣を石造りのベンチにゆっくりと横たえる。それから立ち上がり晃へと向き直った。その目には静かな怒りが籠もっている。


 ──ただし、それは厳密には晃に対する怒りではない。


 辰巳のことを待っていてくれた晃の気持ちを考えられず、傷つけてしまった。自身の行動の結果として、このような事態を招いてしまった自分に対する怒り。そして、結衣の祓いの負担を軽くしたい、何かあれば自分を頼って欲しいと言っておきながら、盾になることすら出来なかった情けなさによるものだった。


「……晃、まだ間に合う。その蜘蛛の毒はどんな物なのか教えてくれ。巻き込んでしまった神楽木さんには……俺も後で一緒に謝るから……お願いだ」

「っ! ……なんで、なんでだよ!!」


 しかし──辰巳から怒りの籠もった視線を向けられ、しかし怒りに耐え懇願する姿を見た晃は……結衣のことなど気にする様子もなく、むしろ裏切られた気分になった。


 いつも優しかった辰巳の怒りの籠もった目。幼い頃はいつも味方でいてくれた筈の存在が怒りに耐える表情をしている。しかも、晃の行いを責めず、ただ結衣を助けるために晃に懇願している。晃にはその関心が結衣に向いているように思えた。


 それほどまでにその女は大事な存在なのかと……辰巳の結衣への好意を見せられた気がした。そのことに晃は動揺し、心臓が押し潰されるようなショックを覚えていた。


「晃、落ち着いて話を聞いてくれ」


 辰巳が一歩、また一歩と、ゆっくりと近づいていく。しかし、晃は──現実を受け入れられないあまり辰巳を拒絶した。


「うるせええぇえぇ!! 裏切りものっ……!! そんなのっ……知らないっ……!! もういやだ! もうどうでもいいっ! そんな目で私を見るなぁっ!」


 極度のストレスに晒された晃が錯乱したように二匹の大蜘蛛へと指示を出す。するとすぐに綱彦と白蛛が応えるように動き出した。二匹の大蜘蛛が辰巳へと飛び掛かるように迫る。


「晃っ!」


 その跳躍の速度は人知を超えた神速──しかし、辰巳は動じなかった。ただ冷静に蜘蛛の動きを観察し、その攻撃が到達する瞬間を見計らう。


 そして、黒い大蜘蛛の攻撃を躱し様に蹴り飛ばして転がし、腹の白い大蜘蛛も脚を掴み投げ飛ばす。しかし、二匹の大蜘蛛はすぐに体勢を立て直した。


「ううぅっ……! ずっと……ずっと待ってたのに……! それなのに、他の女の方がいいのかよ……私は……私はどうなるんだよ……? 今度こそ一人に……そんなのいやだ……いやだぁ……」


 それが晃の心を縛る恐れなのだろう──辰巳は晃の元に駆け寄ろうとしたが、そうは出来なかった。二匹の大蜘蛛達が態勢を整えると一端飛び退く。そして今度は左右から大蜘蛛達が迫り、その鋭い牙で襲い掛かったからだ。


「ぐ……二匹同時か、厄介な……!」


 その手数の多さに辰巳は顔を歪めた。第一脚による強打に、背後からの不意打ち。一撃打って駄目ならばすぐに飛び退く。剛柔併せ持つ攻撃の二重展開。加えて蜘蛛達は足音もせず、気配がどうにも読みづらい。それを拳で打ち払い、蹴りで弾き飛ばす。辰巳はその連携に防戦一方で、なかなか反撃の機会を掴めない様子だ。


 ──しかし、視点を変えれば攻めきれていないのは大蜘蛛達も同じだった。


『ほうっ! やりおる。こやつ本当に人間か?』

『なんとっ! 先ほど綱彦の不意打ちを受け止めた際も思ったが、何故儂らの動きに反応できるのだ?』


 蜘蛛が視線を合わせテレパシーで会話する。大蜘蛛たち驚愕は当然のことだった。


 世の中に強力な式を従える術者は数いれども、人は人。人は人の範疇を越えられず、どれだけ修練を積もうとも怪力乱神の如き人外の力は持ちえない。この現世においては、妖怪や怪異と直接渡り合えるのは、同じ存在である妖怪や怪異しかいないというが存在しているのに。


 白兵戦──それも単騎で人外の存在に渡り合おうとする人間が存在するなど非常識の極みであった。それこそ遠い遠い昔話や物語に語られる化物退治の英雄や神の血を引き、加護を受けた偉人達の伝説を除いては。


 ──羯磨よ、刹那無常を成せ


 再び力ある言霊が辰巳の口から唱えられる。そしてそれは、二匹の大蜘蛛が喧々諤々と意見を交わしている……その瞬間であった。


「……お前ら……俺の邪魔をするなら多少の痛みは覚悟するんだな──退いていろッ!」


 瞬きのような刹那に間合いを詰め、回避する暇も与えない内に白蛛とよばれた大蜘蛛を上段回し蹴りで吹き飛ばす。


 その衝撃は凄まじく、霊体である筈の大蜘蛛の頭胸部の外骨格を砕き、目の幾つかに罅を入れるほどの威力であった。


『うぐぅっ……』


 吹き飛ばされた白蛛は地面に何度も叩きつけられながら転がり、やがて止まった。そんな光景を見た晃が肩をビクリと跳ねさせて驚愕に目を見開く。


「っ……」


 白蛛を蹴散らした、その人外の身体能力と予想外の現実──動揺する晃を尻目に、辰巳は白蛛を無力化したことを認めると今度は黒の大蜘蛛へと肉薄する。


「お前もだッ……!」


 真っ直ぐ綱彦の方へと何らかの歩法の術理を用いて踏み込む。その速度はやはり軽々と常人の限界を超えており、晃の目では移動の入りと終わりしか捉える事が出来なかった。


『なっ……こやつ、ばけもんかっ……!』


 世に聞く縮地とも見紛う技法──一瞬で間合いを詰め、大股を開くと円を描くように高く振り上げ──そのまま斧で打つように背足を打ち下ろした。大振りな一撃であったが狙いは的確であり、見た目通り威力は絶大であった。


『ぐああぁっ……! 儂の脚がっ……!』


 致命傷は流石に不味いとわざと狙いを外して振り下ろされた一撃は、しかし、左側の触肢と第一脚を根本付近から破砕。無情にも砕けた触肢と第一脚が地面へと転がる。


「……っ! 綱彦っ! 白蛛っ!」


 それは人間が有するには過剰な力。目の前で起こった暴力と惨劇に晃が一瞬怯み……しかし、自身が気圧されたという事実に気づくと、負けじとギッと睨みつけて返した。そんな晃へと辰巳は再び静かに歩み寄ろうとする。


「……落ち着け、晃。俺はお前の味方だ……昔からずっと。何があってもそうだった」

「ならどうして……どうしてそんなにあの女のことなんか気にするんだよ……! どうして抵抗するんだよ……!」

「彼女は困ってた俺に良くしてくれた。その恩は忘れられるものじゃない。危害加えようとするのに、抵抗するのは当然のことだろ……」

「そんなのっ! あの女の打算に決まってるっ」

「仮にそうだったとしても、助けられたのは本当のことだ」

「っ、じゃあ、なんでっ……なんでそんな目で私を見るんだよ……私に怒ってる……本当は私はいらないってことなんだろっ……私がタツ兄とその女の邪魔だって……クソッ……あの女のせいだっ……あの女が全部悪いんだろ……! コロしてやる……コロしてやるっ! タツ兄を騙してるアイツをっ……! そうすればタツ兄は前みたいに戻ってくれるよなっ」

「騙されてなんかいない! 晃のことを邪魔だとも思っていない! いい加減にしろ! 冗談でもそんな事は言うなっ!」

「冗談じゃないっ。あの女っ、私からタツ兄を奪おうとしてるんだ……私は間違ってない……! 私は何も悪くないっ……! 私は守ろうとしてるだけ!!」

「っ!」


 睨みつけるようにして支離滅裂に宣う。まるで、精神が狂っているかのように情緒が乱れている。無表情ではあるが、その目の奥には荒れ狂う激情が狂気となって湛えられていた。


「……本気で言ってるのか?」

「だとしたら何っ? あの女さえいなければ……あの女さえいなければ全部上手くいってた……! 今頃、二人で愛し合って、結ばれてたっ……!」

「……晃。もし本当にそう思ってるなら、俺はお前を止めないといけない」

「……どうやって? 殴って聞かせる? それとも話し合いで? そんなの無駄! 私は話合いなんてしたくないっ……だって、それって結局は自分の言うこと聞けってことでしょ……私は間違ってないっ」

「……」

「……ちゃんと私を見てよ……私の話聞いてよ……どうしても止めたいって言うなら、無理矢理止めればいいっ……私はもう止まれない……コロしてで止めてみろよっ」

「……晃……俺はお前を止めるぞ。でも、お前を傷つけたりもしない。何度でも言うぞ、俺は晃の味方だ」

「……うぅっ」


 頭を抱え、苦しむ──半狂乱の晃は表情を凍らせたまま、その激情を内で荒れ狂わせる。怒りの根本にある悲しみ。それは心を引き裂くような悲痛さを感じさせた。苦しみ、昏い目をした晃の言葉を見極めるように……辰巳は目を細める。


 そんな時だ──


『ぐぅっ……油断した……! 姫さんには近づけさせぬっ! 我ら蜘蛛の精を舐めるでないっ……!』


 圧し折れた脚を無視して引きずり、晃の前へと躍り出た白蛛が無事な第一脚を大きく広げ、鋏角から毒と思われる液体を滴らせながら威嚇した。


『おのれぇ……! 夜の蜘蛛は潰してはならんという言葉を知らんのかっ! 祟るぞっ!』


 触肢と第一脚を粉砕された綱彦も晃を守護するように戦線へと戻った。そのまま姿勢を低く腹部をようにして構える。その体勢は正に獲物を狙う狩人のようであった。


『見ておれ……儂らの獲物となったこと、後悔させてくれるわ……!』

『もはやお主のことは只の人間とは思わぬ……! 実は鬼か何かの血筋であろう……! 儂らの連携でその四肢絡めとってくれよう……!』


 晃を庇うように立ち塞がる大蜘蛛二匹は臨戦態勢。しかし、辰巳にはその威嚇に怯む様子はない。


 そして──


「……お前たち……タツ兄を捕まえて……!」

『──うむ、元よりそのつもりだ。……お主は強い。故にまずはその脚を潰そう』


 何がそうさせているのか──晃は止まれない。晃の中の恐れが、不安が、辰巳を信じることを拒む。それはまるで、かのように……晃の精神は不安定になっていた。


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